つらつら思うこと

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三省堂例解古語辞典⑲【こきまず】㈦ 2000年代~

【こきまず】の各古語辞典の記述を比較してみる。〜その(5)

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三省堂詳説古語辞典(秋山虔渡辺実編、2000年1月)
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こきま・ず【こき混ず】[他ザ下二]〘「こき」は接頭語〙種類の違うものをまぜ合わせる。取り合わせる。
[例]「見渡せば柳桜をこきま・ぜて都ぞ春の錦なりける」〈古今・春上・56・素性〉
[訳]はるかに見渡すと、緑の柳と薄紅の桜を混ぜ合わせて、この都こそが、春の錦だったのだ。
[参考]柳が芽ぶき、桜が花開いた都の春景色を錦に見立てた。

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★全訳全解古語辞典(山口堯二・鈴木日出男編、2004年10月、文英堂)
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こき-ま・ず【扱き混ず】[動](ザ下二)〔「こき」は接頭語〕いろいろなものを混ぜる。
[例]見渡せば柳桜をこきまぜて都ぞ春の錦なりける〈古今・春上・素性〉
[歌意]遠く眺め渡すと、柳の若葉と桜の花びらとを混ぜあわせて、都はまさに春の錦なのであった。
[読解]小高いところから春の都全体を眺望して詠んだ歌。柳の新緑と桜の薄紅とが美しく混ざりあった都の春景を錦織に見立てている。錦は、秋の紅葉を見立てる表現として一般的であったが、それを「春の錦」としたところにこの歌の斬新さがある。

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三省堂例解古語辞典⑱【こきまず】㈥ 1990年代

【こきまず】の各古語辞典の記述を比較してみる。〜その(4)

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★要語全訳必修古語辞典(平田喜信編、1992年2月、学習研究社
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こき-ま・ず【扱き混ず】他ザ下二(「こき」は接頭語)かきまぜる。まぜ合わせる。
「見渡せば柳桜を━━・ぜて都ぞ春の錦なりける[釈]はるかに見渡すと、新緑の柳と薄紅色の桜とをまぜ合わせて、この都こそがまさしく春の錦であったよ)」〈古今・春上・56〉
[発展]用例は素性法師の歌。秋山の紅葉を錦に見立てる漢詩の詞句を転じて、柳桜の織りなす春景色を「春の錦」と断じたところに新鮮味がある。
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※「完訳用例古語辞典」(金田一春彦監修、小久保崇明・平田喜信・菅野雅雄・中村幸弘編、1999年4月、学習研究社)・「全訳用例古語辞典・第2版・ビジュアル版」(金田一春彦監修、菅野雅雄・中村幸弘編、2002年12月、学習研究社)・「学研全訳古語辞典」(金田一春彦監修、小久保崇明・平田喜信・菅野雅雄・中村幸弘編、2003年12月)・「学研学習用例古語辞典・改訂第三版」(金田一春彦監修、菅野雅雄・中村幸弘編、2015年1月編)もほぼ同じ。

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★古語林(林巨樹・安藤千鶴子編、1997年11月、大修館書店)
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こきま・ず【扱き混ず】〘他ザ下二〙種類の違うものをまぜ合わせる。
[例]見渡せば柳桜をこきまぜて都ぞ春の錦なりける(素性)〈古今・春上・56〉
[訳]はるかに京の町を見渡すと、柳の緑と桜の淡紅をまぜあわせて何とも美しい景色、この都こそが、春の錦の織物だったのだなあ。
❖山の「秋の錦」に対する春の都の美を歌う。
❖「こき」は接頭語。
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※「大修館全訳古語辞典」(林巨樹・安藤千鶴子編、2001年11月)・「新全訳古語辞典」(林巨樹・安藤千鶴子編、2017年1月)もほぼ同じ。

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三省堂例解古語辞典⑰【こきまず】㈤ 1980年代

【こきまず】の各古語辞典の記述を比較してみる。〜その(3)

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★旺文社高校基礎古語辞典・初版(古田東朔監修、旺文社編集部編、1982年10月)
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こき-ま・ず(他ザ下二)〔「こき」は接頭語〕かきまぜる。まぜあわせる。
「見渡せば柳桜を━━・ぜて都ぞ春の錦なりける」〈古今・一・春上・56・素性〉
遠くはるかに都のほうを眺め渡すと、柳の緑と桜の紅をかきまぜにしたようで、この都こそが春の錦であったのだなあ。
[参考]紅葉の美を錦に見立てる「秋の錦」に対して、柳と桜の織りなす美を「春の錦」と見立てたところに作者の工夫がある。
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※「旺文社高校基礎古語辞典・第二版」(古田東朔監修、旺文社編集部編、1997年)も同じ。

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★学研新古語辞典(市古貞次編、1986年12月)
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こき-ま・ず【扱き混ず】{他ザ下二}{[成]「こき」は接頭語}
まぜ合わせる。かきまぜる。
「見わたせば柳桜を━━・ぜて都ぞ春の錦なりける〈古今・春上・56〉
[訳]はるかに見渡すと、新緑の柳と薄紅色の桜とをまぜ合わせて、この都こそがまさしく春の錦であったことよ。
[参]詞書に「花ざかりに京を見やりてよめる」とある。春たけなわの平安京をやや高いところから俯瞰展望した景をうたう。秋山の紅葉を錦に見立てる常套を転じ、柳桜の織りなす都の春景色を「春の錦」と断じたところに新鮮味がある。

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★ベネッセ古語辞典(井上宗雄・中村幸弘編、1988年9月)
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こき−ま・ず【こき混ず】〔他ザ下二〕混ぜ合わせる。かき混ぜる。取り合わせる。
「見渡せば柳桜を━━・ぜて都ぞ春の錦なりける」〈古今・春上・56/素性〉
[訳]はるかに京を見渡すと、新緑の柳は紅の桜をとり混ぜて、都がまさに春の錦であるのだなあ。
[参考]詞書に、「花盛りに京を見やって詠んだ、とある。眺望のきく高みから臨んで、都全体を緑と紅の織り込まれた錦とみた。「春の」とあるのは、ふつう、錦と見立てられるのが秋の山の紅葉であるため。
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★ベネッセ全訳古語辞典(中村幸弘編、1996年11月)
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こき−ま・ず【こき混ず】[動詞]〔ザ下二段〕混ぜ合わせる。かき混ぜる。取り合わせる。
「見渡せば柳桜をこき混ぜて都ぞ春の錦なりける」[歌]〈古今集・春上・56〉
[訳]はるかに(景色を)眺めると、(緑の)ヤナギと(紅の)サクラとを(見事に)混ぜ合わせて都(そのもの)は春の錦(を敷きつめたよう)であったよ。
[発展]「こき」は接頭語。
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★ベネッセ全訳コンパクト古語辞典(中村幸弘編、1999年11月)
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こき−ま・ず【こき混ず】[動詞][他]〔ザ下二段〕混ぜ合わせる。かき混ぜる。取り合わせる。
【発展】「こき」は接頭語。

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三省堂例解古語辞典⑯【こきまず】㈣ 1970年代

【こきまず】の各古語辞典の記述を比較してみる。〜その(2)

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★精解古語辞典(金子武雄・三谷栄一編、1970年4月、金園社)
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こきま・ず〔扱き混ず〕(他下二)まぜ合わせる。かきまぜる。
「見わたせば柳桜を━━・ぜて」(古今)♢「こき」は接頭語。

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三省堂古語辞典・初版(佐伯梅友監修、小松英雄編、1971年1月)
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こき-ま・ず【こき混ず】(動下二)混ぜる。かき混ぜる。
「見わたせば柳桜を━━・ぜて都ぞ春の錦なりける」[古今・春上]
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※「三省堂古語辞典・修訂版」(佐伯梅友監修、小松英雄編、1974年1月)も同じ。

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★詳解古語辞典(佐藤定義編、1972年11月、明治書院
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こきま・ず【こき混ず】(他ザ下二)混ぜ合わせる。
「見わたせば柳桜を━━・ぜて都ぞ春の錦なりける」〈古今・春上〉
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★新訂詳解古語辞典(佐藤定義編、1982年10月、明治書院
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こきま・ず【扱き混ず】(他ザ下二)(手で取って)きれいに混ぜる。
「見わたせば柳桜を━━・ぜて都ぞ春の錦なりける」〈古今・春上〉
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★最新詳解古語辞典(佐藤定義編、1991年10月、明治書院
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こきま・ず【扱き混ず】(他ザ下二)混ぜ合わせる。また、きれいに混ぜる。
「見わたせば柳桜を━━・ぜて都ぞ春の錦なりける」〈古今・春上〉

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★旺文社標準古語辞典(鈴木一雄編、1973年1月)
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こき-ま・ず【こき混ず】(他ザ下二)〘「こき」は接頭語〙まぜる。かきまぜる。
[例]見渡せば柳桜を━━・ぜて都ぞ春の錦なりける〈古今・春上〉
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★旺文社学習古語辞典・改訂版(鈴木一雄編、1977年1月)
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こき-ま・ず【扱き混ず】(他ザ下二)かきまぜる。まぜあわせる。
「見渡せば柳さくらを━━・ぜて都ぞ春の錦なりける」〈古今・春上〉

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★岩波古語辞典・初版(大野晋佐竹昭広・前田金五郎編、1974年12月)
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こきま・ぜ【扱き混ぜ】〘下二〙しごき落したものを混ぜる。混ぜ合わせる。
「見渡せば柳桜を━━・ぜて都ぞ春の錦なりける」〈古今56〉
「御箱の蓋に、いろいろの花紅葉を━━・ぜて」〈源氏少女〉
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※「岩波古語辞典・補訂版(大野晋佐竹昭広・前田金五郎編、1990年2月)も同じ。

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三省堂例解古語辞典⑮【こきまず】㈢ 〜1960年代

【こきまず】の各古語辞典の記述を比較してみる。〜その(1)

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★參考古語辞典・學生版(松下大三郎監修、江波熈編著、1940年2月、中文館書店)
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こきまず……「まぜ合せる」
[例]春も過ぎて、桃も櫻もひとつ柳と見ゆるに、こきまぜし春の錦も忘れぬるころ、山吹のいさゝか咲き出でたるも、いはぬうらみぞふかげなる。(花月草紙、1818年刊か)=春も過ぎて、桃も櫻もすべて靑葉になつて柳の綠と一緒に見えるので、春闌な頃に櫻や柳をまぜ合せて錦の様に美しかつた景色も忘れたころ、山吹がすこし咲きかゝつたのも、表に出しては言はない恨みが深さうである。

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★明解古語辞典・初版(監修:金田一京助、編修主任:金田一春彦、編修協力:石垣謙二・大野晋・永野賢、編修幹事:吉沢典男、1953年4月、三省堂
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こき-ま・ず(他動下二)混ぜ合わせる。
「見渡せば柳桜を━━・ぜて、都ぞ春の錦なりける」〔古今〕
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※「明解古語辞典・改訂版」(1958年12月)も同じ。
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★新明解古語辞典・第二版(監修:金田一京助、編者代表:金田一春彦、編修参与:石川徹、編修委員:辻村敏樹・永野賢・西宮一民・秋永一枝、1977年12月)
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こき-ま・ず【━━混ず】(他動下二)混ぜ合わせる。
「見渡せば柳(ノ緑と)桜(ノピンク)を━━・ぜて、都ぞ春の錦なりける(=春の錦トイウノハコレカト思ウホド美シイ)」〔古今・春上・56〕
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★新明解古語辞典・第三版(監修:金田一京助、編者代表:金田一春彦、編修参与:石川徹、編修委員:辻村敏樹・永野賢・西宮一民・秋永一枝、編修協力:桑山俊彦、1995年1月)
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こき-ま・ず【こき混ず】(他動ザ下二)混ぜ合わせる。
「見渡せば柳(ノ緑ト)桜(ノピンク)を━━・ぜて、都ぞ春の錦なりける(=春の錦トイウノハコレカト思ウホド美シイ)」〔古今・春上・56〕

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★角川古語辞典・初版(武田祐吉久松潜一編、1958年3月)
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こき-ま・ず「他ザ下二」混ぜ合わす。入れ混ぜる。
「見渡せば柳桜を━━・ぜて」〔古今・春〕
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★角川古語辞典・改訂版(武田祐吉久松潜一編、1963年1月)
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こき-ま・ず【扱き混ず】他ザ下二《「かきまず」の転という》かき混ぜる。混ぜ合わす。
「装束かたち、花を━━・ぜたる錦に劣らず見えわたる」〔源・少女〕
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★角川新版古語辞典(久松潜一・佐藤謙三編、1972年11月)
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こき-ま・ず【こき混ず】他ザ下二《「こき」は接頭語。一説に「かきまず」の転とも》かき混ぜる。混ぜ合わす。
「装束かたち、花を━━・ぜたる錦に劣らず見えわたる」〔源・乙女〕
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★角川最新古語小辞典(佐藤謙三・山田俊雄編、1975年1月)
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こき-ま・ず【こき混ず】他ザ下二
かき混ぜる。混ぜ合わす。
「見渡せば柳桜を━━・ぜて都ぞ春の錦なりける」〔古今・春上・56〕
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※「角川最新古語辞典・増補版」(佐藤謙三・山田俊雄編、1980年1月)も同じ。
※「角川必携古語辞典」(山田俊雄・吉川泰雄編、1988年11月)もほぼ同じ。
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★角川必携古語辞典・全訳版(山田俊雄・吉川泰雄・室伏信助編、1997年11月)
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こき-ま・ず【こき混ず】他ザ下二
かき混ぜる。混ぜ合わす。
「見渡せば柳桜を━━・ぜて都ぞ春の錦なりける」〔古今・春上・56〕
[訳]はるかに見渡すと、(綠の)柳と(紅の)桜を混ぜ合わせて、この都こそが春を織りなした錦であるなあ。
[訳し方注意]断定の助動詞「なり」が詠嘆の助動詞「けり」と接続した「なりけり」は、今まで気づかなかったことに改めて気づいた気持ちを表す。「……であるなあ」「……だったなあ」と訳すとよい。また、用例では前の「ぞ」と係り結びをなしているので、「けり」が連体形になっている。
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★角川全訳古語辞典(久保田淳・室伏信助編、2002年10月)
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こきま・ず【扱き混ず】〔他ザ下二〕
かき混ぜる。混ぜあわせる。
[例]「見渡せば柳桜をこきまぜて都ぞ春の錦なりける」〈古今・春上・56・素性法師
[訳]見渡すと柳や桜を一面にまぜあわせていて、都こそが春を織りなしている錦なのだなあ。
[分析]▷都ぞ春の錦なりける 強調の係助詞「ぞ」……気づきの助動詞「けり」の連体形「ける」は係り結び。都こそが春の錦であったことに気づいた感動を表す。

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★旺文社古語辞典・増補版(校閲:守随憲治・今泉忠義、編集責任者:鳥居正博、1962年2月)
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こきま・ず(他下二)まぜる。かきまぜる。
「四方の桜を━━・ぜて」〈続後拾遺・春下〉
◇「こき」は接頭語
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※「旺文社古語辞典・中型新版」(監修:守随憲治・今泉忠義、編集責任者:鳥居正博、1965年2月)・「旺文社古語辞典・改訂新版」(監修:守随憲治・今泉忠義松村明、1969年11月)もほぼ同じ。
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★旺文社古語辞典・新版(守随憲治・今泉忠義松村明編、1981年10月)
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こき-ま・ず(他ザ下二)〚[組成]「こき」は接頭語〛まぜ合わせる。かきまぜる。
「見渡せば柳桜を━━・ぜて都ぞ春の錦なりける」〈古今・一・春上・56・素性法師
はるかに京のまちを見わたすと、柳の新緑と、桜の淡紅色とをあちこちにまぜあわせて、この都こそが、一面に延べ広げた春の錦だったのだなあ。(山の紅葉をいう「秋の錦」に対応する美をうたう)
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★旺文社古語辞典・改訂新版(松村明・山口明穂・和田利政編、1988年10月)
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こき-ま・ず【こき混ず】(他ザ下二)〚[組成]「こき」は接頭語〛種類の違ったものをまぜ合わせる。かきまぜる。
「見渡せば柳桜を━━・ぜて都ぞ春の錦なりける」〈古今・一・春上・56・素性法師
はるかに京のまちを見わたすと、柳と、桜とをまぜあわせて、この都こそが、春の錦だったのだなあ。(山の紅葉をいう「秋の錦」に対する美をうたう)
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★旺文社古語辞典・第八版(松村明・山口明穂・和田利政編、1994年9月)
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こき-ま・ず【こき混ず】(他ザ下二)〚[組成]「こき」は接頭語〛
まぜ合わせる。かきまぜる。
「見渡せば柳桜を━━・ぜて都ぞ春の錦なりける」〈古今・一・春上・56・素性法師
はるかに京のまちを見わたすと、柳の緑と、桜の花の色とをまぜあわせて、この都こそが、春の錦だったのだなあ。(山の紅葉をいう「秋の錦」に対して、柳と桜の織りなす美を、「春の錦」と見立てたもの)
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※「旺文社古語辞典・第九版」(松村明・山口明穂・和田利政編、2001年10月)・「旺文社古語辞典・第十版」(松村明・山口明穂・和田利政編、2008年9月)もほぼ同じ。

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★新選古語辞典・初版(中田祝夫編、1963年4月、小学館
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こき-ま・ず【こき混ず】〔他ザ下二〕(「こき」は接頭語〕まぜ合わす。かきまぜる。
「━━・ぜて秋の野辺なる花見れば」〈宇津保・初秋〉
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★新選古語辞典・新版(中田祝夫編、1974年1月、小学館
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こき-ま・ず【こき混ず】〔他ザ下二〕〘「こき」は接頭語〙まぜ合わす。かきまぜる。
「見渡せば柳桜を━━・ぜて都ぞ春の錦なりける」〈古今・56〉

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★学研古語辞典(吉沢典男編、1968年9月)
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こきま・ず【こき混ず】〘他・ザ下二〙《「こき」は接頭語》まぜあわせる。かきまぜる。
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※「学研要約古語辞典」(吉沢典男編、1987年11月)も同じ。

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講談社古語辞典(佐伯梅友・馬淵和夫編、1969年12月)
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こき-ま・ず【こき混ず】〔他ザ下二〕〘「こき」は接頭辞〙混ぜ合わせる。「紅葉の色々━━ぜ」〈源・関屋〉
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※「講談社学術文庫古語辞典」(佐伯梅友・馬淵和夫編、1979年3月)・「講談社キャンパス古語辞典」(馬淵和夫編、1995年11月)も同じ。

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三省堂例解古語辞典⑭【こきまず】㈡

【こきまず】の語釈〜初版・二版・三版の比較
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🔴例解古語辞典・初版(編著:佐伯梅友小松英雄、森野宗明、1980年、三省堂
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こき-ま・ず【扱き混ず】〈動下二〉違った色の花や紅葉などをちぎって、きれいに混ぜる。
※[用例]
(a)「見わたせば、柳桜を━━・ぜて、都ぞ、春の錦なりける」〔古今・春上・素性〕[解]「花盛りに京を見やりて詠める」という詞書がある。「都ぞ」の「ぞ」は、現代語の「は」ではなく、「が」にあたり用法。「なりけり」は、はっと気付いた気持ちを表わす。錦にたとえる自然の美しさというと、和歌では、秋の紅葉ということにきまっていたが、京を離れて山に行き、そこから、自分があとにしてきた都を一望のもとに眺めわたしたところ、柳の新緑と盛りの花の色との配色が、ちぎって並べたモザイク模様のように美しく、春の錦もあったのだ、これこそが「春の錦」だったのだと気付いたということ。知らずにその中に住んでいたという驚きも、この表現の背後にあるとみてよいであろう。
 平安京では、唐の都長安が楊柳(=ヤナギ)を主な街路樹としていたのにならって、南北を縦貫する基幹道路である朱雀大路の両側にヤナギを植えた。そのすばらしい景観は、「大路」という催馬楽で、
 大路に沿ひてのぼれる青柳が花や、青柳が花や、
 青柳がしなひを見れば今盛りなりや、今盛りなりや
などとうたわれている。市中にはヤナギが多く、また、皇室の別荘や藤原氏などの上流貴族の邸宅などには、好んでみごとな桜が植えられていた。史書には、盛大な観桜の宴がしばしば催された記録がある。
(b)「(若イ「女房」タチガ)我も劣らじと尽くしたる装束・かたち、花を━━・ぜたる錦に劣らず見えわたる」〔源氏・胡蝶〕[解]さまざまの色のはなやかな衣服が混じり合って、全体として錦を織りなしたように美しく見わたされる、という意。
※[語形]「扱く」は、花や実などをちぎり取る意の動詞。
※[要説]混ぜる動作ではなく、混ぜた状態についていう。平安時代には、美しい花や紅葉などをちぎり取って混ぜ合わせ、その配色の美しさを鑑賞するならわしがあったらしい。次の例は、それに当たる。
 御箱の蓋に、色いろの(=サマザマノ色ノ)花紅葉をこきまぜて、こなたに奉らせ給ふ。〔源氏・少女〕
しかし、実際には、まるでこきまぜたように美しく、という表現の方が多い。もっぱら連用形で用いられ、その連用形が転成して、「こきまぜ」という名詞としても使われているが、下に「の」「に」を伴う用法しかないので、純粋の名詞とは言いにくい。次の例もその一つで、四位の人たちの着る黒味がかった濃い赤と五位の人たちの着る赤との美しい配色が、いかにも平安朝の作品らしい晩秋の風景に映えているところを描いている。
 霜枯れの前栽(=植エコミガ)、絵にかけるやうにおもしろくて、見も知らぬ四位・五位、こきまぜに、隙なう(=ヒッキリナシニ)出で入りつつ、げにをかしき所かなとおぼす。〔源氏・若紫〕
古今集』の影響を受けて、それ以後の和歌には用いられているが、動詞・名詞ともに散文の用例は、平安時代では『宇津保物語』『源氏物語』など限られた作品にかたよっている。
 ただし、配合美を「こきまず」ということばでとらえる伝統は、貴族社会では、中世になっても生き続けた。『増鏡』には、二か所に用いられており、次のように、ともに配合の美について用いられている。
 菊・紅葉をこきまぜて、いみじうおもしろし。〔内野の宴〕
 色いろの狩衣姿、菊・紅葉をこきまぜてうち群れたる、見所多かるべし。〔老いの波〕
第二の例は、人びとの服装について述べたもので、「菊」「紅葉」は、それぞれ「菊襲」「紅葉襲」をさす。
 しかし、一方では、異質のものの無秩序な混交をさして用いる用法も、鎌倉時代末あたりには生まれていた。建武年間(1334~6)の諸記録を集録した『建武年間記』には、無秩序で混沌とした時代相を風刺した『二条河原の落書』が記載されており、その中に「京・鎌倉をこきまぜて、一座そろはぬ、えせ連歌」という表現がある。京の貴族の間でもてはやされた洗練された連歌を正統な詠み方とし、それに対して、鎌倉武士の間に流行した、どろくさい連歌の詠み方との雑然と混交した詠み方が一つの流行になっているのを皮肉ったものである。

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🔴例解古語辞典・第二版(編著:佐伯梅友小松英雄、森野宗明、1985年、三省堂
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こき-ま・ず【扱き混ず】〈動下二〉違った色の花や紅葉などを摘み取り、きれいに混ぜて並べる。
※[用例]
(a)「見わたせば、柳桜を━━・ぜて、都ぞ、春の錦なりける」〔古今・春上・素性〕[解]「花盛りに京を見やりて詠める」という詞書がある。第四句の「都ぞ」は、現代語の「都は」ではなく、「都が」を強めた言い方。「なりけり」は、はっと気付いた気持ちを表わす。錦にたとえる自然の美しさというと、和歌では、秋の紅葉にきまっていたが、京を離れて山に行き、そこから、自分の住む都を一望のもとに眺めわたしたところ、柳の新緑と盛りの花の色との配色が、摘み取って並べたモザイク模様のように美しく、春の錦もあったのだ、これこそが「春の錦」だったのだと気付いたということ。知らずにその中に住んでいたという驚きが、この表現の背後にある。
 唐の都長安が楊柳(=ヤナギ)を主な街路樹としていたのにならって、平安京でも、南北を縦貫する基幹道路である朱雀大路の両側にヤナギを植えた。そのすばらしい景観は、「大路」という題の催馬楽で、
 大路に沿ひてのぼれる青柳が花や、青柳が花や、
 青柳がしなひを見れば今盛りなりや、今盛りなりや
などとうたわれている。市中にはヤナギが多く、また、皇室の別荘や藤原氏などの上流貴族の邸宅などには、好んでみごとな桜が植えられていた。史書には、盛大な観桜の宴がしばしば催された記録がある。
(b)「我も劣らじと尽くしたる装束・かたち、花を━━・ぜたる錦に劣らず見えわたる」〔源氏・胡蝶〕[解]若い女房たちの、さまざまの色のはなやかな衣服が混じり合って、全体として錦を織りなしたように美しく見わたされる、という意。
※[語形]「扱き」は、花や実などを摘み取る意の動詞「扱く」の連用形。
※[要説]混ぜる動作ではなく、混ぜた状態についていう。平安時代には、美しい花や紅葉などをちぎり取って混ぜ合わせ、その配色の美しさを鑑賞するならわしがあったらしい。次の例は、それに当たる。
 御箱の蓋に、色いろの花紅葉をこきまぜて、こなたに奉らせ給ふ。〔源氏・少女〕
ただし、実際には、まるでこきまぜたように美しく、という比喩的表現の方が多い。もっぱら連用形で用いられ、その連用形が転成して、「こきまぜ」という名詞としても使われているが、下に「の」「に」を伴う用法しかないので、純粋の名詞とは言いにくい。次の例もその一つで、四位の人たちの着る黒みがかった濃い赤と五位の人たちの着る赤との美しい配色が、いかにも平安朝の作品らしい晩秋の風景に映えているところを描いている。
 霜枯れの前栽(=植エコミガ)、絵にかけるやうにおもしろくて、見も知らぬ四位・五位、こきまぜに、隙なう(=ヒッキリナシニ)出で入りつつ、げにをかしき所かなとおぼす。〔源氏・若紫〕
古今集』の影響を受けて、それ以後の和歌には用いられているが、動詞・名詞ともに散文の用例は、平安時代では『宇津保物語』『源氏物語』など限られた作品にかたよっている。
 配合美を「こきまず」でとらえる伝統が、貴族社会では、中世にも生き続けた。『増鏡』には、二か所に用いられており、次のように、ともに配合の美について用いられている。
 菊・紅葉をこきまぜて、いみじうおもしろし。〔内野の宴〕
 色いろの狩衣姿、菊・紅葉をこきまぜてうち群れたる、見所多かるべし。〔老いの波〕
第二の例は、人びとの服装について述べたもので、「菊」「紅葉」は、それぞれ「菊襲」「紅葉襲」をさす。
 しかし、一方では、異質のものの無秩序な混交をさして用いる用法も、鎌倉時代末あたりには生まれていた。建武年間(1334~6)の諸記録を集録した『建武年間記』には、無秩序で混沌とした時代相を風刺した『二条河原の落書』が記載されており、その中に「京・鎌倉をこきまぜて、一座そろはぬ、えせ連歌」という表現がある。京の貴族の間でもてはやされた洗練された連歌を正統な詠み方とし、それに対して、鎌倉武士の間に流行した、どろくさい連歌の詠み方との雑然と混交した詠み方が一つの流行になっているのを皮肉ったものである。

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🔴例解古語辞典・第三版(顧問:佐伯梅友、編集主幹:小松英雄、編集:鈴木丹士郎土井洋一・林史典・森野宗明、1992年、三省堂
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こき-ま・ず【扱き混ず】〈動下二〉違った色の花や紅葉などを摘み取り、きれいに混ぜて並べる。
※[用例]
(a)「見わたせば、柳桜を━━・ぜて、都ぞ、春の錦なりける」〔古今・春上・素性〕[解]「秋の錦」、すなわち紅葉と対比できる「春の錦」を捜しに山に登り、京の都を一望におさめると、桜の花と柳の新緑が美しい「こきまぜ」になっており、自分の住んでいる都がほかならぬ「春の錦」なのだと気づいた、ということ。
(b)「我も劣らじと尽くしたる装束・かたち、花を━━・ぜたる錦に劣らず見えわたる」〔源氏・胡蝶〕[解]若い女房たちの、さまざまの色のはなやかな衣服が混じり合って、全体として錦を織りなしたように美しく見わたされる、という意。
※[語形]「扱き」は、花や実などを摘み取る意の動詞「扱く」の連用形。
※[要説]混ぜる動作ではなく、混ぜた状態についていう。平安時代には、美しい花や紅葉などをちぎり取って混ぜ合わせ、その配色の美しさを鑑賞するならわしがあった。
 なお、時代が下ると、異質のものの無秩序な混交をさした用法もみえる。鎌倉時代の『建武年間記』に収められた『二条河原の落書』中に、「京・鎌倉をこきまぜて、一座そろはぬ、えせ連歌」という表現がある。鎌倉武士の間に、どろくさい連歌が流行しているのを皮肉ったもの。

三省堂例解古語辞典⑬【こきまず】㈠

例解古語辞典初版の冒頭には「古典へのいざない」という一文があり、編者たちががどのような辞書をめざしてこの辞書を作成したかが書かれている。
その中で特に「こきまず」について詳しく書かれているので、この解説を引用した上で、初版・二版・三版の「こきまず」の語釈、そして他の古語辞典の「こきまず」の語釈も比較してみたい。
さらに伊勢物語62段の「こけるから」の各注釈書の記述も比較してみたい。

❂「古典へのいざない」は初版から第二版・第三版と少しづつ書き換えられているので、ここでは第三版の【解釈の道すじ】を引用する。
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🔴例解古語辞典・第三版(顧問:佐伯梅友、編集主幹:小松英雄、編集:鈴木丹士郎土井洋一・林史典・森野宗明、1992年、三省堂

【解釈の道すじ】

〘解釈からの出発〙
適切な用例によって、語釈では示すことのできない意味の陰影や具体的な用法が理解できるように構成する《例解方式》では、他の古語辞典と違った独自の工夫がなされています。以下には、一つの項目が作成される過程を例にして、この辞書の特徴を明らかにしておきます。
古典の用語はその時期にもどって直接に確かめることができないので、作品の文章を慎重に解釈して推定しなければなりません。したがって、この辞書の編纂作業は、特定の文章の解析から始まります。ここでは、『古今和歌集』の一つの和歌を考察の対象としてとりあげます。
  花盛りに京を見やりて詠める 素性法師
 見わたせば柳桜をこきまぜて都ぞ春の錦なりける〔春上〕
一読しただけで、絵のように美しい京の都の光景が目に浮かびますが、和歌の生命は、実景の忠実な描写ではありません。大切なのは、その光景を作者がどのようにとらえ、どのように表現しているかということです。

〘「こきまず」という動詞━━これまでの解釈〙
気になるのは、「こきまぜて」という言いかたです。現代語の感覚では、どうも勅撰集の洗練された用語というよりも、俗語のような感じがします。この「こきま・ず」という動詞が、これまで、どのように解釈されてきたかを調べてみると、次のようなことがわかります。
ほとんどの辞書には、この項目に(まぜる)(かきまぜる)(まぜ合わせる)というような語釈が示されています。(種類の違うものを混ぜ合わせる。混ぜこぜにする。かき混ぜる。)と、さまざまに言い換えている辞書もあります。
「ま・ず」は(混ぜる)でよさそうですから、問題は「こき」の方にありそうですが、それらの辞書では「こきま・ず」の項で「こき」を接頭語としておきながら、接頭語の「こき」という項目がありません。「かき曇る」「かき晴らす」などの「かき」のように軽く意味を添えるだけだということでしょうか。一つの辞書では、「かきまず」の転として、(かき混ぜる)という語義を示しています。また、「こき」を動詞「こ・く」の連用形とみなして、(しごき落としたものを混ぜる)という、独自の語義を示している辞書もあります。一つが正しければ他は誤りですし、ことによると、全部の辞書が間違っているかもしれません。
古語の意味は古語辞典で調べればよいと考えられているようですが、こういう有名な和歌の用語についてさえ、右のような食い違いがあります。教科書にとられている文章ぐらいは解釈が確定しているだろうと安心することもできません。

〘助詞と助動詞〙
この和歌の「こきまず」の意味を明らかにするためには、和歌そのものを理解する必要があります。
 柳 桜 都 春 錦 見わたす こきまず
右に抽出した名詞や動詞は場面提示のキーワーズ(keywords)ですから、それだけで実景が目に浮かびます。しかし、表現を支配するキーワーズは別にあることを知らなければなりません。
まず、「都ぞ」の「ぞ」にういて考えてみましょう。『古今和歌集』の注釈書では、「都ぞ」が、たいてい、「都は」と口語訳されていますが、「は」はありませんから、これは「都が」という表現です。それが「ぞ」で強調されていますから、「都こそが」ということです。
下の句の末尾は「なりけり」(「ぞ」の結びなので「なりける」)です。「なりけり」は、すでに存在していた事実の確認ですから、この表現には、そうだったのだと気づいた驚きが表われています。素性法師はこの景色をまのあたりにして、都こそが春の錦だったという事実を驚きをもって確認したということです。それはどうしてなのでしょうか。
平安時代の和歌で、自然をいろどる錦といえば秋の紅葉でした。それは、「うぐひす」が春の訪れを告げて梅の枝に鳴き、「ほととぎす」が夏の訪れを告げて、「花橘」に宿る、というような和歌の約束事として固定していました。
 竜田川 紅葉乱れて流るめり 渡らば 錦 中や絶えなむ
 〔古今和歌集・秋下〕
この和歌では竜田川が「錦」の帯そのものとみなされています。その錦は紅葉の散り乱れた流れのように見える、もしそうだったら渡ると断ち切れてしまうから渡れない、ということです。
秋の「錦」があるのなら、春にも「錦」があるはずだと考えても思い当たるものがありません。錦には多彩ということが不可欠の条件です。文学的設定としていえば、素性法師は、春の錦は何なのだろうという疑問をいだいて、花盛りの時分に山に出かけたということです。
京都の地形を思い浮かべれば、山から見おろした都の光景は想像がつくでしょう。山の上から一望に収めた都の景色は、柳の新緑と満開の桜とがモザイク模様になって、錦にまがう美しさでした。まっただ中に住んでいるばかりに、かえって配色の妙に気づかずにいたけれども、都こそが、探しつづけてきた「春の錦」だったのだと、驚きをもって確認したということです。その新鮮な驚きと喜びとが「なりけり」から直接に伝わってきます。

〘「こきまず」という動詞━━本来の意味〙
源氏物語』には、「こきま・ず」が三例あります。
 九月晦日なれば、紅葉の色いろこきまぜ、霜枯れのくさむらむらをかしう見えわたるに、〔関屋〕
 御箱の蓋に、色いろの花・紅葉をこきまぜて、こなたに奉らせ給へり。〔少女〕
 御方の若き人ども、われも劣らじと尽くしたる装束・かたち、花をこきまぜたる錦に劣らず見えわたる。〔胡蝶〕
目を引くのは、「少女」の巻の例です。紅葉の季節の花ですから菊などが主になるのでしょうが、さまざまの色の花とあざやかな紅葉とを「こきまぜ」て奉ったというのです。これが「こきま・ず」のふつうの意味だと認めてよさそうです。

〘「こく」という動詞〙
現代語で(稲扱き)というのは、稲の穂からもみをしごき取ることです。『枕草子』のつぎの用例はそういう用法です。
 稲といふものを取り出でて(中略)、五六人して扱かせ、〔五月の御精進のほど〕
しかし、花をしごき取ったのでは形もなくなってしまいますから、右の三例の場合には、鑑賞用にする目的で花や紅葉を手で(摘み取る)あるいは、(つまみ取る)ということでしょう。
馴れ親しんでいた女性が男の口車に乗せられてよその国へ行き、召し使いになって、食事の世話をしに、以前の男の前に出てきた。その晩、男は女を呼び寄せ、次のように言ったという話が『伊勢物語』にあります。
 いにしへの匂ひはいづら 桜花 こけるからともなりにけるかな〔六二段〕
「いにしへの匂ひはいづら」とは、以前のあの美しさはどこにいったの、ということですが、「こけるから」については、なるほどといえる解釈がありません。第四句の意味は未詳であるといっている注釈書もあります。
名詞の「から」は、今では(亡骸)とか(抜け殻)とかいう形でしか使われませんが、平安時代には、たとえば、次のように用いられています。
 恋しきに侘びて魂惑ひなば むなしきからの名にや残らむ〔古今和歌集・恋二〕
「むなしきから」とは、恋のわびしさに堪え切れず、魂が迷い出て、そのあとに残った抜け殻ということです。からっぽの「から」ですから、「こけるから」とは(扱いたあとに残った殻)を意味しています。現代風に意訳すれば、花を切り取られたあとに残ったチューリップの葉のようだね、というところでしょうか。あんな男に美しい花をすっかり摘み取られてしまい、見るかげもなくなってしまったね、ということです。今こそ女盛りのはずなのに、という含みがこめられています。
枕草子』には稲を「こく」例があり、また、平安時代末期の字書『色葉字類抄』に、クワの葉を「こく」例がありますから、この動詞に(しごき取る)という使い方があったことは確かです。しかし、美しい花や紅葉を「こく」場合には、形を崩さないように丁寧に摘み取るのが当然です。「こきま・ず」は鑑賞に供するのが目的ですから、摘み取ったさまざまの花や葉などを美しい配色になるように配置するということでしょう。
「こきま・ず」の用例は連用形にかたよっています。それは、この動詞が混ぜ合わせる行為ではなく、あとに「て」や「たり」が付いたり連用形中止法として、混ぜた状態の表現に使用されているためです。

〘「こきまぜ」という名詞〙
動詞「こきま・ず」に対応する名詞「こきまぜ」もあります。まず、『源氏物語』の例をみてみましょう。
 霜枯れの前栽、絵にかけるやうにおもしろくて、見も知らぬ四位・五位、こきまぜに、隙なう出で入りつつ、げにをかしき所かなとおぼす。〔若紫〕
「前栽」は庭の植えこみです。「はう(袍)」は正装の上衣のことで、官位によって色が違います。四位は深緋、すなわち、黒みを帯びた赤で、五位は赤です。「こきまぜに」とは、そういう美しい配色になっているということです。「関屋」の巻の例と同じく、ここにも「霜枯れ」が出てきます。四位の深緋や五位の赤の袍は鮮やかな紅葉の輝きを思わせます。京の市街の眺めでは、他の樹木が柳と桜を引き立てていたであろうように、ここでも四位・五位以外の人たちの袍の色を背景に置いて、いかにも平安期らしい晩秋の風景が、「絵にかけるやうにおもしろく」目に浮かんできます。

〘配色の特徴〙
「こきま・ず」「こきまぜ」の用例が上代の作品に見いだせないのは、花や紅葉を摘み取ってきれいに並べる習慣がまだなかったからでしょう。次の和歌が、年代の明確なものとしては、もっとも古い例のようです。
 紅の蓮〈はちす〉浮かべる緑沼〈みどりぬ〉に 白波立てばこきまぜの花
〔延喜六年(906)右兵衛少尉貞文歌合〕
赤と緑と、そして白との自然の配色が、まるで「こきまぜの花」のように美しい、ということです。素性法師の和歌をはじめ、いくつかの例を見てきましたが、「こきま・ず」「こきまぜ」には、赤系統の色が不可欠であり、それが中心になっている感じです。美しく飾るという目的から考えれば当然のことでしょう。

〘『人丸集』の助詞「かな」〙
 白露と秋の花とをこきまぜて 分くことを難き我が心かな
新勅撰和歌集・秋上・柿本人丸〕
「秋の花」としては、ハギなどを考えるのがふつうですから、やはり赤系統です。「白露」そのものは透明ですが、ことばとして白のイメージですから、この場合にも色の配合です。実景描写ではなく、観念の操作で作られた作品のようです。
新勅撰和歌集』では右の和歌の作者を「柿本人丸」としています。「人丸」と書いて「ひとまろ」と読みます。人麿は『万葉集』の初期の歌人ですから、この和歌が証拠になるとしたら、「こきま・ず」はその時期までさかのぼるので、平安時代以後という推定を訂正しなければなりません。しかし、この和歌にはあやしいところがあります。それは「かな」という助詞で結ばれていることです。奈良時代の和歌なら、次のように「かも」でなければなりません。
 天皇〈おほきみ〉は神にし座〈ま〉せば天雲の雷〈いかづち〉の上に廬〈いほり〉せるかも
万葉集・巻三・235・柿本人麿〕
万葉集』の原文では末尾が「鴨」と表記されています。「かな」の使用は平安時代初期からです。
『人丸集』は平安時代に成立した私家集の一つであり、平安時代以後の用語や表現が目につきます。平安時代の人たちが人麿にふさわしいと考えた作品を家集に入れてしまったためです。この和歌には、素性法師の「こきまぜて」の和歌の影響がありそうです。私家集のすべてが眉つばとは限りませんが、専門家以外の目に触れることの少ない作品群なので、[用例]欄に正式に引用するものは、もっと信頼性が高く、利用者が実際に読む可能性のある作品の中から選んでいます。

〘項目の取りまとめ〙
「見わたせば」という和歌が、ようやく解釈できました。辞書の編纂作業としては、ここまでの検討が部品の整備であり、これから項目の組み立て作業です。「こきま・ず」「こきまぜ」については、従来の解釈を全面的に改めなければなりません。「こ・く」の意味を取り違えていたわけですから、「こきい・る」「こきた・る」「こきちら・す」にも影響が及ぶのは必至です。

〘主項目へのまとめ〙
「こきま・ず」は動詞で、「こきまぜ」は名詞ですから二つの項目になりますが、この場合、いっしょに考えた方が好都合です。
「こきま・ず」と「こきまぜ」との、どちらを主項目にすべきかは、どちらにした方が利用者にとって便利かという判断で決定されます。「見わたせば」の和歌は有名なのでそれを解釈するために引かれることが多いだろうという見とおしが立ちますので、「こきま・ず」の方を主項目にして、「こきまぜ」には、「前項の要説参照」と記しておきます。これが、一般的な処置の方針です。

〘用例の書き換え〙
当面の課題は、「こきま・ず」の項にどの作品からどの用例を選ぶかということです。「見わたせば」の和歌は優先して引用することになりますが、[用例]の欄に裸で投げ出しておいても役に立ちませんから、よく理解できるように処置を施します。
古今和歌集』の伝本は平安時代末期以後に写されたものばかりですが、原本で和歌が仮名で表記されていたことは確実です。関戸本『古今和歌集』(平安末期写)をみてみましょう。
詞書の最初が、「はなのさかりに」となっています。また、「都」が「宮こ」と表記されていますが、「都」を「宮こ」と書くのは平安時代末期以後の慣用です。動詞「見るの語幹には二か所とも漢字が当てられています。このように、写本には、書写した人物の解釈がはいっています。

〘漢字と仮名とを書き分ける場合〙
 見わたせば柳桜を━━・ぜて都ぞ春の錦なりける
「見渡せば」でなく「見わたせば」としてあるのは、「わた・す」に❶【渡す】〈動四※3〉と、❷(補助動詞四※3〉とがあり、ここでは後者の用法であることを示すためです。
〚※3はサ行四段活用を示す〛
動詞の下に付いて特定の意味を加えるものが補助動詞です。現代語の例でいえば、「読みはじめる」の「はじめる」のように、もとの意味を保存しているものもあり、また、「読みかけて」「読みさして」のように、もとの意味からかなり離れてしまっているものもあります。この辞書では、補助動詞を仮名書きにして、独立した動詞と区別しています。ただし、「給ふ」「聞こゆ」「奉る」「侍り」などは誤解のおそれがなく、かえってその方が読み取りやすいので漢字書きが原則です。
 若の浦に潮満ち来れば、潟を無み、葦辺をさして鶴〈たづ〉鳴き渡る
万葉集・巻六・919〕
「わた・る」にも「わた・す」と同じように、動詞と補助動詞とがあります。〈鳴きながら渡ってゆく〉なら「鳴き渡る」、〈鳴きつづける〉なら「鳴きわたる」です。この和歌では、満潮で干潟がなくなり、アシの生えている方に、ツルが鳴きながら渡ってゆくということですから、「鳴き渡る」です。
万葉集』では、どちらか一方に決めればすむのですが、『古今和歌集』になると、そう単純にもいかない場合があります。
 人を思ふ心は雁にあらねども、雲居にのみもなきわたるかな〔恋二〕
ガンが雲の中を鳴きながら渡ってゆくという「鳴き渡る」と、あなたが恋しくて泣き続けていますという「泣きわたる」とを重ねた表現になっています。北に「帰る雁」は春、初雁は秋ですが、この和歌は恋の部に収められています。勅撰集の部立ても、この辞書では《例解》の一部として機能しています。右の和歌は「くもゐ」の項に引用されていますが、[用例]には「なきわたる」として、[解]の欄に、「雁が鳴いて渡るという意味の”鳴き渡る”に、ずっと泣きつづけている意の”泣きわたる”を重ねる」と注記しています。 

〘[解]の欄〙
こういう一連の処置によって用例がわかり、「こきま・ず」の意味が理解できるはずだと編者が判断すれば、項目の編成作業は終了です。この和歌にはありませんが、枕詞が使われていたら、「たまぼこの(=枕詞)」と注記したり、また、必要に応じて、()を挿入して語句を補ったり、語句の下に(= )という形式で、現代語による言い換えや、その場面での意味を示したりして、文脈をとらえやすくする工夫を加えています。これは、仮名に漢字を当てたり、句読点を加えたりする作業の延長です。
説明がなくても、用例だけから、その語の意味がわかれば理想的なのですが、この「見わたせば」という和歌は、よく読まれる作品の中の、よく読まれる部分ということで引用されたものですから、注文どおりの条件をそなえていません。さきに述べたように、「こきま・ず」が引かれるとしたら、この和歌を読む場合でしょうから、和歌全体を理解してほしいというのが、用例として引用した理由ですし、《例解方式》だからこそ、それが可能でもあるのです。右にも[解]の欄について言及しましたが、あらためて言えば、この欄の目的は、用例から語義が理解できるように、解釈のポイントを示すことですから、[解]を手がかりにして、用例をよく読んでください。「見わたせば」の和歌は、『古今和歌集』の名作の一つであり、発想が非常に凝っています。それがよくわかるように[解]の欄に詳しく記したので、辞書の簡潔な文体でも、ずいぶん長い文章になっています。

〘用例の追加〙
「こきま・ず」という動詞の場合には、もう一例、散文からも引用しておいた方が、いっそうわかりやすいようですが、どれを選ぶかとなると、いささか迷います。『宇津保物語』『浜松中納言物語』などにも使われていますが、あまり読まれない作品なので、選択の対象は『源氏物語』の三例です。必要なのは「少女」の巻の、箱のふたにのせて奉ったという即物的な例ですが、[要説]欄で使いたいので、「胡蝶」の巻の方を選びました。さきに引用した形と比較すれば、わかりやすい形で[用例]欄に提示するための工夫が確かめられるはずです。用例の末尾にある「見えわたる」という補助動詞の表記から、ずらりと並んでいる着飾った美女たちが反射的に目に浮かぶところまで、この辞書を使いこなしてみてください。

〘連接と複合〙
素性法師の和歌の「こきまぜて」から「こきま・ず」という単位を取り出し、一語の動詞とみなして説明してきましたが、これを「扱く」と「混ず」の二つの動詞の連接とみなしても、理解には支障がありません。しかし、一方に「こきまぜ」という名詞があることを考慮に入れるとそう単純に割り切ることもできません。
「腹立つ」は、〈腹が立つ〉ないし〈腹を立てる〉という意味ですから、それ自体としては二語の連接とみられますが、「腹立たし」という形容詞の存在を考えると、「腹立つ」も単純な連接だとは言いきれません。この場合には形容詞があとで成立したと考えてよいでしょうが、「こきま・ず」と「こきまぜ」とのどちらが先かは断言できません。「こきまぜ」を作ることを「こきま・ず」と言った可能性を否定できないからです。動詞形と名詞形とでは動詞形の方が先行しているのがふつうでしょうが、逆の関係もないわけではありません。英語でも、動詞beg は名詞 begger から派生しています。
使われる時期によっても、あるいは、同じ時期でも個人によって融合の度合いが同じでないことがあります。辞書にとって大切なのは、みんながどういう形を単位にして辞書を引くかということですから、「こきま・ず」は一語の動詞として扱っていますが、語義解説は、付かず離れずの表現にしてあります。

〘品詞の認定〙
品詞は文法の説明のために設けられたもので、緑色を黄色か青かに決めてしまうような無理をしています。文法の教科書では典型的な語例で説明されていますから、きれいな分類になっていますが、生きたことばはそうもいきません。現実には黄色と青との中間色がいろいろあるからです。この辞書と他の辞書とが同じ語について別の認定をしていることがあったら、どちらが正しいのだろうかではなく、どうしてそういう違いが出てきたのだろうかと考えるようにしてください。用例をよく読んでみることです。どちらとも言えないものを、辞書によって別々の方に寄せてしまっていることも多いはずです。

〘[語形]欄〙
「こきま・ず」の項目に、本来なら[語形]欄は必要ありません。しかし、多くの辞書が「こき」の部分を接頭語と認めているという事情があるので、それが、動詞「扱く」の連用形であるむねを明示してあります。ほかの項目にも、同じ理由から[語形]欄を設けている場合がありますが、一般に通用している解釈が誤りだという指摘は、たいてい省略しています。

〘[要説]欄〙
「こきま・ず」「こきまぜ」という語をいっそう深く理解するうえで重要な事柄のうち、この辞書の目的に沿うものがこの欄に取り上げられています。

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新しく刊行された古語辞典の一つでは、「こきまず」の用例に「見わたせば」の和歌を引用して、下の句を「都こそが……」と口語訳しています。また、「みわたす」の項では口語訳のあとに注を付け、「秋の錦」の対比として「春の錦」の存在が想定されたと考える解釈を示しています。《例解方式》の成果が他の辞書の編者に支持されたことをうれしく思います。ただし、その辞書の「こきまず」の語釈が(かき混ぜる)で、用例の口語訳が「織り混ぜて」になっていることは残念です。