つらつら思うこと

特にテーマは決めずに書きます

在九州国文資料影印叢書

f:id:nobinyanmikeko:20170803173016j:plain一昨日、五十嵐書店に注文した在九州国文資料影印叢書・一期12冊二期9冊全21冊(1979年7月、熊本大学文学部内在九州国文資料影印叢書刊行会発行、今井源衛先生華甲記念として限定600部発行、非売品)が届いた。

No.9の伊勢物語は以前に別の通販専門書店から購入して既に翻刻も終えているが、他にも伊勢物語がある(No.10)ようだし大和物語・古今和歌集なども入っているので全冊購入してみようと思った。

21冊で¥2,800、1冊あたり¥130台と信じがたいほど安いのでどんな状態なのか気がかりだったけど、予想よりずっと綺麗でほぼ新品の状態。一冊だけ赤線が若干入っているものの、これで¥2,800は掘り出し物。

ただNo.10の伊勢物語は写本ではあるものの古い本ではなく、近世の書写で慶長14年本の嵯峨本を書写したもののようだから本文研究の資料としては価値が低そうだ。それでも独自の挿絵があったりして見て楽しい。

21冊は以下の通り。
 1ー1.新撰万葉集・千載佳句
 1ー2.古今和歌集
 1ー3.八代集部類第十九
 1ー4.藤原道信朝臣集・藤原義孝集・めのとのふみ
 1ー5.山家集
 1ー6.建礼門院右京大夫
 1ー7.詠歌大概聞書
 1ー8.蜻蛉日記
 1ー9.伊勢物語
 1ー10.竹取物語伊勢物語
 1ー11.源氏物語奥入・種玉篇次抄
 1ー12.保元物語
 2ー1.大和物語(影印)
    大和物語(解題・釈文)
 2ー2.袖鏡(上)
 2ー3.袖鏡(下)
 2ー4.拾玉集
 2ー5.自讃歌・自讃歌抄・自讃歌注
 2ー6.代々勅撰部立・神祇和歌・連歌新式
 2ー7.宝物集
 2ー8.八帖花伝書

このうち、大和物語は134段以後のみの零本だが、数少ない六条家本系統の本文を伝える重要資料らしい。機会があれば翻刻もしてみたいと思ったら既に今井源衛氏が翻刻を行っていた。

伊勢物語69段の狩の使の話はどこまで事実か。

片桐洋一氏は「鑑賞日本古典文学・伊勢物語」等で清和天皇の時代に狩の使が派遣された記録が無く、また清和天皇は鷹狩りも行わなかったほどに殺生を嫌う性格だったから69段に書かれたことはフィクションであり、業平自身が唐の元稹の「會眞記(鶯々傳)」をモチーフとして創作したものだとの見解を述べ、内田美由紀氏などもこの見解を支持しているようだ。(もしそうであるなら三代実録の「略無才學」という評価に反して業平は漢学の素養があったということになる)

一方で奈良の不退寺に伝わる伝承では業平が伊勢神宮に参詣した時に平城天皇の霊を鎮めるために平城天皇旧居の跡地に寺を建立せよとの神託を承けて建立したのが不退寺であるとされており、伊勢神宮参詣自体は事実ではないかとの見方もある。

田中久三氏はこれは清和天皇の時代ではなく文徳天皇の時代であり、伊勢斎宮晏子内親王、男は在原棟梁としているが、年齢から言って棟梁は考えにくいだろう。晏子内親王清和天皇即位とともに退下して恬子内親王と交替しているが、これが858年なので業平は数え34歳。紀有常は数え44歳だから業平の妻になった有常の娘はまだ20歳前後だろう。となると有常の娘の子である棟梁は既に生まれていたとしてもまだ子供だから。また晏子内親王文徳天皇の死によって退下したもので何らかのトラブルがあった形跡はない。

ところが晏子内親王の妹で賀茂斎院を務めた慧子内親王は不審な辞め方をしている。857年に理由が明らかにされることなく過ちがあったとして退下させられている。

http://kamosaiin.net/aoi04.html

慧子内親王が844年生まれとすれば賀茂斎院に卜定された850年には数え7歳、退下させられた857年には数え14歳ということになる。
理由が明らかにされていないだけにいろいろな憶測がされたであろうことは想像に難くない。

私は伊勢物語69段は賀茂斎院慧子内親王の退下事件をモチーフにして伊勢斎宮に置換えた創作だったのではないかと考える。

『月やあらぬ』の歌の恋の相手は染殿の后か

伊勢物語第4段の昔男の恋の相手は一般には二条の后藤原高子とされているがいろいろ疑問点もある。

第6段の終りに「白玉か……」の歌に続けて

これは二条のきさきのいとこの女御の御もとにつかうまつるやうにてゐたまへりけるをかたちのいとめでたくおはしければぬすみておひていでたりけるを御せうとほりかはのおとゞたらうくにつねの大納言まだ下らうにて内へまいりたまふにいみじうなく人あるをきゝつけてとゞめてとりかへしたまうてけり。それをかくおにとはいふなりけり。まだいとわかうてきさきのたゞにおはしける時とや。

とあることなどが相手は二条の后高子とする根拠になっているようだが、実践女子大学蔵異本伊勢物語のように「白玉か……」の歌で終っている本もあり、「これは二条のきさきの」以下は後人による六段の解釈と考えるべきであって、それをそのまま歴史的事実と考える必要はない。

伊勢物語106段の「ちはやぶる神世もきかず……」の歌は古今集では

二条后の春宮の御息所と申しける時に御屏風に龍田川に紅葉流れたるかたを書けリけるを題にてよめる

という詞書がついていて、二条の后高子が春宮(貞明親王)の御息所であった時期、つまり貞明親王立太子の869年から貞明親王陽成天皇として即位した876年の間にこの歌が屏風絵に添える歌として詠まれたことがわかる。
これは片桐洋一氏によれば二条の后の部屋が当時の宮廷の文芸サロンになっており、業平は二条の后のお気に入りの歌人の一人として出入りしていたとされる。
もし6段の終りに書かれたことが事実であるなら何故業平が二条の后の部屋に出入りできたのか不可解と言わねばならない。
また業平は基経の四十の賀に呼ばれて歌を詠んでいるし、業平の孫娘は国経の妻になっていて、業平と摂関家は決して敵対的ではない。

一方塗籠本では第3段の終りに

五條后のいまだ御門にもつかうまつらでただ人にておはしける時のことなり。

とあり、これだと相手は五條の后順子ということになるのだが、順子は809年生まれだから業平より16歳も年上で考えにくい。同様に高子も業平より17歳も年下でこれも考えにくい。

「完訳日本の古典・伊勢物語」の福井貞助氏による系図を見ると、業平の子滋春の母親が染殿内侍となっている。これは冷泉家流古注によったようだが、染殿内侍は藤原良相の娘とされているものの良相の娘に該当するような女性はいない。

一方相手を染殿后明子と考えたらどうだろうか。明子が入内したのは道康親王の春宮時代とされているが正確な年次は明らかにされていない。
仁明天皇の皇太子は当初は恒貞親王だったが842年の承和の変恒貞親王廃太子となり、道康親王が皇太子に立てられた。この時道康親王は数え16歳、即位した850年には数え24歳。
即位直後に惟仁親王が生まれているから849年までには明子は入内していたのだろう。ただ明子入内の前に道康親王には既に藤原列子、紀静子という少なくとも二人の妻がいて文徳天皇即位とともに列子の子の晏子内親王が伊勢斎宮に慧子内親王が賀茂斎院に卜定されている。
明子の入内は842〜849年の間ということになるが、842年には明子はまだ数え14歳だし、844年に惟喬親王が生まれた時点ではまだ入内していなかったと思われるから849年に近いのだろう。
この入内待機中に業平が明子のもとに通っていたと考えたらどうだろう。たとえば847年なら業平は数え23歳、明子は数え19歳。明子は大変な美人だったと言われているし、年齢的にも不自然ではないし、道康親王には既に二人の妻がいて紀静子を寵愛していることを知っている明子には気の進まない思いもあっただろう。

そう考えた場合、後の明子の精神錯乱も説明しやすい。そして文徳天皇が惟仁親王廃太子にして惟喬親王を皇太子にしようとしたのは惟仁親王は実は業平の子ではないかという疑心暗鬼があったのではないか。
業平の官位の昇進が文徳天皇の8年間はストップしていて清和天皇になるとにわかに昇進し始めたのも清和天皇が業平の子であるならわかりやすい。
摂関家にとっては明子の産んだ子を天皇に据えれば良いわけで、その点業平と摂関家は利害を共有していたと言える。業平は決して不遇の貴公子などではなかったと思う。

伊勢物語96段の品詞分解

知恵袋に伊勢物語96段の品詞分解をしてくださいと書いている人がいるのだが、分量がかなりあるので知恵袋の回答欄に書くのは大変なので、こちらに書いてURLを貼っておこうかと思う。(知恵袋の回答欄だと一度に書かなければならないが、ここなら下書き保存したりして、時間のある時に書き継いで行けばいい)


基本は此島正年著「伊勢物語要解」(1955年、有精堂)だが、疑問点はそのつど注記する。


昔【名詞】男【名詞】あり【動詞、ラ変、連用】けり【助動詞、過去、終止】。

女【名詞】を【格助詞】とかく【副詞】いふ【動詞、ハ行四段、連体】こと【名詞】月日【名詞】へ【動詞、ハ行下二段、連用】に【助動詞、完了、連用】けり【助動詞、過去、終止】。

岩木【名詞】に【助動詞、断定、連用】し【間投助詞(※副助詞説もある)】あら【動詞、ラ変、未然】ね【助動詞、打消、已然】ば【接続助詞】心苦し【形容詞、シク活、終止】と【格助詞】や【係助詞】思ひ【動詞、ハ行四段、連用】けむ【助動詞、過去推量、連体】やうやう【副詞】あはれ【形容動詞、語幹】と【格助詞】思ひ【動詞、ハ行四段、連用】けり【助動詞、過去、終止】。

そ【代名詞】の【格助詞】頃【名詞】六月【名詞】の【格助詞】もち【名詞】ばかり【副助詞】なり【助動詞、断定、連用】けれ【助動詞、過去、已然】ば【接続助詞】女【名詞】身【名詞】に【格助詞】瘡【名詞】ひとつ【名詞】ふたつ【名詞】いで【動詞、ダ行下二段、連用】き【動詞、カ変、連用】たり【助動詞、完了、終止】。

女【名詞】いひ【動詞、ハ行四段、連用】おこせ【動詞、サ行下二段、連用】(※「伊勢物語総索引」は『いひおこせ』までで一語としている)ける【助動詞、過去、連体】今【名詞】は【係助詞】なに【代名詞】の【格助詞】心【名詞】も【係助詞】なし【形容詞、ク活、終止】。

身【名詞】に【格助詞】瘡【名詞】も【係助詞】ひとつ【名詞】ふたつ【名詞】いで【動詞、ダ行下二段、連用】き【動詞、カ変、連用】たり【助動詞、完了、終止】。

時【名詞】も【係助詞】いと【副詞】暑し【形容詞、ク活、終止】。

秋風【名詞】吹きたち【動詞、タ行四段、連用】な【助動詞、完了、未然】む【助動詞、推量、終止】時【名詞】かならず【副詞】逢は【動詞、ハ行四段、未然】む【助動詞、意志、終止】と【格助詞】いへ【動詞、ハ行四段、已然(※命令形説もある)】り【助動詞、完了、連用】けり【助動詞、過去、終止】。

秋【名詞】待つ【動詞、タ行四段、連体(※武田本は『たつ』)】ころほひ【名詞】に【格助詞】ここ【代名詞】かしこ【代名詞】より【格助詞】そ【代名詞】の【格助詞】人【名詞】の【格助詞】もと【名詞】へ【格助詞】去な【動詞、ナ変、未然】むず【助動詞、推量、終止】なり【助動詞、伝聞、終止】と【格助詞】て【接続助詞】くぜち【名詞】いで【動詞、下二段、連用】き【動詞、カ変、連用】に【助動詞、完了、連用】けり【助動詞、過去、終止】。

さり【動詞、ラ変、連用】けれ【助動詞、過去、已然】ば【接続助詞】女【名詞】の【格助詞】せうと【名詞】にはかに【形容動詞、ナリ活、連用】迎へ【動詞、ハ行下二段、連用(※「伊勢物語総索引」では名詞)】に【格助詞】来【動詞、カ変、連用】たり【助動詞、完了、終止】。

され【動詞、ラ変、已然】ば【接続助詞(※「伊勢物語総索引」では『されば』で接続詞)】こ【代名詞】の【格助詞】女【名詞】かへで【名詞】の【格助詞】初もみぢ【名詞】を【格助詞】拾は【動詞、ハ行四段、未然】せ【助動詞、使役、連用】て【接続助詞】歌【名詞】を【格助詞】よみ【動詞、マ行四段、連用】て【接続助詞】書きつけ【動詞、カ行下二段、連用】て【接続助詞】おこせ【動詞、サ行下二段、連用】たり【助動詞、完了、終止】。

秋【名詞】かけ【動詞、カ行下二段、連用】て【接続助詞】いひ【動詞、ハ行四段、連用】し【助動詞、過去、連体】ながら【副助詞(※接続助詞説もある)】も【係助詞】あら【動詞、ラ変、未然】な【助動詞、打消、未然】く【準体形(※「伊勢物語総索引」では接尾語)】に【終助詞(※接続助詞説もある)】木の葉【名詞】ふり【動詞、ラ行四段、連用】しく【動詞、カ行四段、連体(※「伊勢物語総索引」では『ふりしく』で一語としている)】え【名詞】に【助動詞、断定、連用(※格助詞説もある)(『えに』は縁に懸けた懸詞)】こそ【係助詞】あり【動詞、ラ変、連用】けれ【助動詞、詠嘆、終止】

と【格助詞】書きおき【動詞、カ行四段、連用】て【接続助詞】かしこ【代名詞】より【格助詞】人【名詞】おこせ【動詞、サ行下二段、未然】ば【接続助詞】これ【代名詞】を【格助詞】やれ【動詞、ラ行四段、命令】と【格助詞】て【接続助詞】去ぬ【動詞、ナ変、終止】。

さて【接続詞】やがて【副詞】後【名詞】つひに【副詞】けふ【名詞】まで【副助詞】知ら【動詞、ラ行四段、未然】ず【助動詞、打消、終止】。

よく【形容詞、ク活、連用】て【接続助詞】や【係助詞】あら【動詞、ラ変、未然】む【助動詞、推量、連体】あしく【形容詞、シク活、連用】て【接続助詞】や【係助詞】あら【動詞、ラ変、未然】む【助動詞、推量、連体】。

去に【動詞、ナ変、連用】し【助動詞、過去、連体】所【名詞】も【係助詞】知ら【動詞、ラ行四段、未然】ず【助動詞、打消、終止】。

か【代名詞】の【格助詞】男【名詞】は【係助詞】天の逆手【名詞】を【格助詞】打ち【動詞、タ行四段、連用】て【接続助詞】なむ【係助詞】のろひ【動詞、ハ行四段、連用】をる【動詞、ラ変、連体】なる【助動詞、伝聞、連体】。

むくつけき【形容詞、ク活、連体】こと【名詞】。

人【名詞】の【格助詞】のろひごと【名詞】は【係助詞】負ふ【動詞、ハ行四段、連体】もの【名詞】に【助動詞、断定、連用】や【係助詞】あら【動詞、ラ変、未然】む【助動詞、推量、連体】負は【動詞、ハ行四段、未然】ぬ【助動詞、打消、連体】もの【名詞】に【助動詞、断定、連用】や【係助詞】あら【動詞、ラ変、未然】む【助動詞、推量、連体】。

今【名詞】こそ【係助詞】は【係助詞】見【動詞、マ行上一段、未然】め【助動詞、意志、已然】と【格助詞】ぞ【係助詞】いふ【動詞、ハ行四段、終止】なる【助動詞、伝聞、連体】。

ヤフオクを覗いてみたけど……

ちょっとヤフオクを覗いて伊勢物語関係を探してみたけど、全体に高い(´ω`)
あれだったらAmazonや日本の古本屋で買った方がよほど安いよ。

大学時代の不快な記憶

たぶん1970年か71年のことだったと思うけど、今も許せないなと思う不快なことがあった。

私がいた大学の国文科は毎年6月頃の日曜日に年1回の学科大会というのを行っていた。
初めにその春の修士論文及び博士論文から優秀な論文が一つ選ばれて論文著者による発表が行われる。続いてその春の学部卒業論文から優秀な論文が一つ選ばれて同様に論文著者による発表が行われる。
その後司会者(この時は助手のTさん)による年間活動報告が行われ、最後に2~3人の来賓による講演が行われるというスケジュールだった。

この日は最初は溝口睦子さん(後に岩波新書「アマテラスの誕生」を著した)の発表で、記紀の神名を分類整理し由来を考察したもの。なかなか面白いと思った。
溝口さんが発表を終え質問を募るとこの日の来賓の一人だったY氏が「そんなのは思いつきに過ぎないと思うが」と言った。私は「それは感想であって質問になってないだろう」と思った。溝口さんも困惑しているようだった。
次にKさんが江戸時代の漢詩に関する発表を行うとまたもY氏が次から次と質問責めにしていたがほとんど内容の無い質問で、単に自分の知識をひけらかしているようにしか聞こえなかった。

そしてTさんが国文科の活動報告をしている最中だった。突然Tさんが「ただ今Y先生からこのようなメモが回ってまいりました」と言ってメモを掲げ「私は忙しいので議事進行を急ぎなさい」とメモを読み上げた。
呆れてしまった。つまらない質問を繰り返して議事進行を遅らせている当人が何を言ってるのかと思った。
皆の目がY氏に集中してY氏は照れくさそうにして黙っていた。
その後Y氏は講演を行って何事も無かったように帰って行った。

それから一週間ほどして突然Tさんの姿が研究室から消えた。系列の女子高等科の教諭になったと聞いた。
おそらくは、あの学科大会の後でY氏から教授会に対して「あの生意気な助手を何とかしろ」とクレームがあったのだろう。教授会はY氏には「処分しました」と報告でき、かつ無給の助手よりは生活が安定する女子高等科教諭に据えることでTさんの為にもなると判断して横滑りさせたのだろう。

あの後Tさんとは会っていないが、10年くらい前だろうか、ネットでTさんの名を検索したら女子高等科を定年退職したとかで女子生徒たちの退職を惜しむ声で埋まっていた。
結果的にはあれで良かったのかも知れないが、あの時の不快な思いは今も消えない。あの温厚なTさんがああいう行動に出たというのは相当に煮えくり返る思いがあったと思うから。

「鑑賞日本古典文学5伊勢物語・大和物語」が届いた

f:id:nobinyanmikeko:20170608134004j:plain「鑑賞日本古典文学 第5巻 伊勢物語・大和物語」(片桐洋一編、1975年初版1976年再版、角川書店、定価¥3,786)

Amazon……アジアンドッグ】表示…良い、本体¥1,000+送料¥257(コンビニ前払い)、注文6月5日到着6月8日(ゆうメール)

Amazonマーケットプレイスアジアンドッグに注文していた「鑑賞日本古典文学第5巻 伊勢物語・大和物語」が届いた。
アジアンドッグという書店らしからぬ妙な名の会社だが、東村山に事務所のある通販専門店で、Amazonだけでなく日本の古本屋のサイトにも登録がある。この本も日本の古本屋の目録にも載っていたが一般にはAmazonの方が送料が安いのでAmazonを通じて購入した。

表示「良い」だが、「非常に良い」相当か。函の四隅に軽いスレがあり、パラフィン紙カバーにやや汚れはあったものの気になるほどのレベルではなく、本体は新品同様と言って良い。

片桐洋一氏の伊勢物語関係書はいろいろあるけれども、研究書・解説書が主で翻訳は初めてになる。と言っても全訳では無く125段中の39段のみだが、片桐洋一氏による伊勢物語の翻訳は他に見当たらず、片桐氏の年齢も考えると今後出ることも無さそうだから貴重な本になる。
先月購入した校注本で気になっていた23段の『けこ』は校注本の「家子」から一般的な「笥子」に変更されるなど校注本から解釈を変えた所がいくつかある。
あとはやはり「伊勢物語の研究 研究篇・資料篇」は早く読みたいな。高価な本だからいつ買えるかわからないけど。