つらつら思うこと

特にテーマは決めずに書きます

辞書における『ねこ』

手許にある辞書で『ねこ』を引いてみる。



★時代別国語大辞典上代
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ねこ[猫](名)ねこ。食肉目ねこ科の家禽。「我正月一日、成レ狸〈禰古〉入=於汝時_之時、飽=供養宍種物_ 」(霊異記上三〇話)「猫狸 猫レ捕レ鼠也、貍狸也、又云野貍、倭音上尼古、下多々既」(華厳経音義私記)「野猫ノ皮」(小川本願経四分律甲本古点)「貓 禰古」(新撰字鏡)「猫・貓 ネコ」(名義抄)
【考】上代には猫についての記述が少なく、どの程度飼われたものか明瞭でない。「狸」の字は猫の一種で野猫をいう字である。なお「家狸、一名猫 禰古末」(本草和名)「猫 禰古麻、似レ虎而小、能捕レ鼠為レ粮」(和名抄)などのネコマはネコの別名であろう。

❄『こ』の上の_は上代音の甲類を示す。名義抄については手許の「類聚名義抄四種声点和訓集成」(望月郁子編、笠間書院)では「猫」は確認できなかった。「狸 メコマ」はあったが。



★岩波古語辞典

ねこ[猫]《擬音語ネに接尾語コを添えたものという》①食肉目に属する小動物。「ねこま」とも。「我、正月一日、狸(ねこ)に成りて汝が家に入りし時」〈霊異記上三〇〉。「猫、尼古」〈華厳経音義私記〉②《猫の皮を胴張りに使うところから》三味線。また、三味線を使うところから、芸妓の異名。「おもしろい/生きた━━より死んだ━━」〈雑俳・軽口頓作〉。「三絃の皮、猫皮を良とす。故に三都とも弾伎を異名して━━といふ」〈守貞漫稿19〉 neko



★例解古語辞典

ねこ【猫】〈名〉ネコ科の小動物。家猫のこと。[用例](a)「━━は、上のかぎり黒くて、腹いと白き」〔枕・猫は〕
(b)「来つらむ方も見えぬに、━━のいと和(なご)う鳴いたるを、驚きて見れば、いみじうをかしげなる━━あり。いづくより来つる━━ぞと見るに、姉なる人、『あなかま(=ダマッテイナサイ)、人に聞かすな、いとをかしげなる━━なり。飼はむ』とあるに、いみじう人馴れつつ、傍にうち臥したり」〔更級・大納言殿の姫君〕[解]「和う」は「和く」のウ音便。

要説「ねこ(猫)」

 猫についての記事は平安時代にはいってからの文献に現れる。日記・記録などから貴族社会ではペットとして好まれたことが知られる。特に「唐ねこ」とよばれる舶来の猫が珍重された。宇多天皇は愛猫家で、九州の大宰府に赴任していた官吏の献上した猫を愛したが、それは、大陸からもたらされた『唐ねこ」と考えられる。同天皇の御記によれば、それはみごとな黒猫であった。愛猫家の天皇としては、一条天皇も有名である。『枕草子』の「うへにさぶらふ御猫は」の段には、猫を愛する同天皇の姿が生き生きと描かれている。一ニ世紀の貴族で、左大臣まで昇進した藤原頼長の日記『台記』には、少年のころ愛した猫についての回想の記事がある。病気になった猫の回復を祈り、十歳まで長生きするようにと願って観音像を描いたところ、そのおかげか元気になり、願いどおり十歳まで生きたという。寿命が尽きて死んだときには丁重にそれを葬ってやったという。
 物語では、『源氏物語』が恋に苦しむ男性の心理を描くのに猫をうまく使っている。光源氏の妻のひとりに女三の宮がいる。ひとりの貴族がその女三の宮に恋をする。女三の宮は小さなかわいい「唐ねこ」を飼っていた。その貴族は、口実を設けてその猫を手に入れ、恋慕の情を慰めようとするのだった。その猫についての記事のなかには「ねうねう」という鳴き声の描写がある。現代なら「ニャアニャア」とか「ニャンニャン」とか書くところで、猫の鳴き声の描写としてはもっとも古い例である。この趣向に似た猫の使い方は、『狭衣物語』にもみられる。
 夢のなかに猫が現れるという話も、よくある。用例に引いた『更級日記』の場合も、すぐあとのところに、作者の姉の夢のなかに猫が現れて、大納言のなくなった姫の生まれ変わりであると告げたという話がある。猫の夢は、室町時代では懐妊の知らせと解されたようであるが、鎌倉時代の作品には不吉の知らせとして忌んだ例もある。
 かわいがられる猫の話が多い一方には、のら猫の例も古くからある。鎌倉時代の私撰集の『夫木和歌集』には「まくず原下はひありくのらねこのなつけがたきは妹が心か」(源仲正)という例がある。なかなか心を許してくれない女性は、いっこうになつこうとしないのら猫と同じだというわけである。
 また、愛猫家がいる一方では、猫のきらいな人間もいる。『今昔物語集』巻ニ八の三一話には、「猫恐(ねこおぢ)の太夫」というあだ名のある極端に猫嫌いな人物の話がある。この人物は、「猫をだに見つれば、極(いみじ)き大切の要事にて行きたる所なれども、顔を塞(ふた)ぎて逃げ去りぬ」というありさまだった。清少納言は、猫の耳の中が苦手だったらしい。「むつかしげなるもの」の段には、「ねこの耳の中」が挙げられている。
 猫には、魔性の動物とする怪異談も多い。そのほとんどは、時代が下ってからのもので、『古今著聞集』にみえる話などは古い例である。ひとりの僧が迷いこんできた「唐ねこ」を飼っていたところ、秘蔵の守り刀を奪って姿を消したというのである。「ねこまた」も、猫の化物であるという。
 近世になると、猫の皮が三味線の材料として使われる。そこから三味線のことを「ねこ」というようになる。さらに三味線と縁の深い芸妓のことをも「ねこ」というようになる。

❄猫雑学本顔負けの詳しい記述に驚かされるが、若干の疑問点もある。
・「猫についての記事は平安時代にはいってから」……「猫」の初出である「新訳華厳経音義私記」は伝本が小川本一本だが、奥書に「延暦十三年書写」とあり、794年に書写されているので原本の成立はそれ以前、上代特殊仮名遣いがほぼ正確に使い分けられている点からみて8世紀中頃の成立か。また日本霊異記の膳臣広国の記事は慶雲二年の事と書かれているが慶雲二年は705年なので、いずれも平安以前になる。
宇多天皇が直接猫を献上されたのではなく、太宰少弐源精(くはし)が光孝天皇に献上し、光孝天皇から皇子だった後の宇多天皇に下賜されたもの。
宇多天皇の時代に『からねこ』という語は無かった。『からねこ』の初出は花山院が昌子内親王に贈った「敷島の大和にはあらぬから猫を君がためにぞ求めいでたる」(夫木和歌集)。
また「から猫」が大陸渡来の猫であったという証拠はなく、おそらく当時は大半の猫が雉猫であった中で、黒猫・白猫・黒白猫などが珍しがられて「から猫」と呼ばれたものと思う。(赤虎猫・三毛猫が現れるのは室町時代以降)
源氏物語の『ねうねう』は neng-neng という音を現したものではないか。平安時代には『う』の文字がしばしば ng という音に宛てて使われており、ここでは柏木が猫の鳴き声を『寝む寝む』の意に取って戸惑う様子が描かれていることからも、『ねうねう』の音価は neng-neng ではないかと思う。



三省堂詳説古語辞典

ねこ【猫】[名]❶動物の名。平安時代、貴族社会では猫を愛玩することが流行した。中国渡来の唐猫が、とくに愛育された。❷(猫の皮を胴に用いることから)三味線の別称。また、芸妓の別称。



言海

ねこ(名)猫〔ねこまノ下略、寝高麗ノ義ナドニテ、韓國渡來ノモノカ、上略シテこまトモイヒシガ如シ、或云、寝子ノ義、まハ助語ナリト、或ハ如虎(ニョコ)ノ音轉ナドイフハ、アラジ〕古ク、ネコマ。人家ニ畜フ小キ獸、人ノ知ル所ナリ、温柔ニシテ馴レ易ク、又能ク鼠ヲ捕フレバ畜フ、然レドモ、竊盗ノ性アリ、形、虎ニ似テ、二尺ニ足ラズ、性、睡リヲ好ミ、寒ヲ畏ル、毛色、白、黒、黃、駁等種種ナリ、其睛、朝ハ圓ク、次第ニ縮ミテ、正午ハ針ノ如ク、午後復タ次第ニヒロガリテ、晩ハ再ビ玉ノ如シ、陰處ニテハ常ニ圓シ、

伊勢物語初段の『をいつきて』について

伊勢物語初段の

 かすかのゝわかむらさきのすり衣
 しのふのみたれかきりしられす
となむをいつきていひやりける
学習院大学蔵伝定家筆本)

の『をいつきて』をどう解釈するかは注釈書・参考書でもほぼ二つに分かれている。

〈以下は《》の部分が本文。[]の部分が校注・語釈。『』の部分が訳。なお訳のみの本は取り上げなかった〉


【A.『おいづきて』もしくは『おいつきて』と取る】

★池田亀鑑「伊勢物語精講」(1955年4月)━━《おいつきて》[老つきて][大人びて]『ませた口調で』
「学燈文庫/伊勢物語」(1956年9月)━━《おいつきて》[老つきて][大人びて]『ませた口調で』

★伴久美「伊勢物語の解釈と鑑賞」(1958年4月)━━《おいづきて》[老つきて][大人びて]『ませた口調で』
伊勢物語に就きての研究/索引篇」(1961年12月)━━《おいづきて(老い附きて)》

★大津有一「日本古典鑑賞講座/伊勢物語」(1958年5月)━━《おいづきて》[大人めいて][ませた言いぶりで]『ませた言いぶりで』
岩波文庫伊勢物語」(1964年12月)━━《おいつきて》

★山田清市「伊勢物語影印本付」(1967年4月)━━《をいづきて》[大人めいた様][年のわりにませた言い方]
古典文庫/鉄心斎文庫本」(1979年10月)━━《をひづきて(伝為相筆本)》《をいづきて(承久三年奥書本)》

★上坂信男「伊勢物語評解」(1969年1月)━━《おいつきて》[老成した態度と詠みぶりで]『老成した態度で』

★森野宗明「講談社文庫/伊勢物語」(1972年8月)━━《おいづきて》[老いづきて]『ませた口調で』

渡辺実「新潮日本古典集成/伊勢物語」(1976年7月)━━《おいづきて》『経験をつんだ大人みたいに』

★永井和子「対訳日本古典新書/伊勢物語」(1978年4月)━━《おいづきて》[老いづく][ませた態度で]『大人びた口調で』
「笠間文庫/伊勢物語」(2008年3月)━━《おいづきて》[老いづく][ませた態度で]『大人びた口調で』

石田穣二「角川文庫/新版伊勢物語」(1979年11月)━━《おいづきて》[老い付きて][大人ぶって]『大人ぶって』

田辺聖子「現代語訳日本の古典/伊勢物語」(1980年11月)━━《おいづきて》『おとなびて』

★吉岡曠「学灯文庫/現代語訳伊勢物語」(1982年12月)━━《おいづきて》『いっぱしの大人がするように』

★坂口由美子「ビギナーズ・クラシックス日本の古典/伊勢物語」(2007年12月)━━《おいづきて》『いっぱしの大人ぶって』

★此島正年「伊勢物語要解」(1955年)━━《おいづきて》[老いづきて]『(年に似合わず)老成したふうで』

★橘誠「伊勢物語の文法と解釈」(1957年11月)━━《おいづきて》[老いづきて][大人びて][年齢に似合わずませた言いぶりをすること]『ませた口調で』

★長瀬治「伊勢物語精解」(1958年4月)━━《おいつきて》[老つきて][老成して][年令に似合わずませた口調で]『ませた口調で』

★小西宏「ニューメソッド国文対訳シリーズ/伊勢物語」(1961年4月)━━《おいづきて》[老いづきて][年に似合わずませて]『年に似合わずませた調子で』

日栄社編集所「要説伊勢物語」(1964年5月)━━《老づきて》[ませた調子で][おとなびた態度で]『おとなびた口調で』

★三ツ木徳彦「伊勢物語精釈」(1965年5月)━━《おいづきて》[老づきて][年令に似合わずませた口調で]『年に似合わないませた言いぶりで』

坂本哲郎「明解古典学習シリーズ/伊勢物語」(1972年12月)━━《おいつきて》[老いつきて][おとなびて]『おとなびた言いぶりで』

★野口博久・関恒延・中野猛「武蔵野古典学習講座/伊勢物語」(1978年5月)━━《おいつきて》[老い付きて][大人びて][老成して]『大人びて』

★原国人「伊勢物語新解釈」(1980年10月)━━《おいづきて》[老づきて][老成した風で][経験を積んだ大人のように]『いかにも成人ぶって』


【B.『おひつきて』もしくは『おひつぎて』と取る】

★屋代弘賢「参考伊勢物語」(1817年仲春)━━《をひつきて》

久松潜一改造文庫伊勢物語」(1930年)━━《おひつぎて》『すぐさま』

武田祐吉「新編伊勢物語選」(1952年3月)━━《おひつきて》[あとからすぐ]

★松尾聰「新註伊勢物語」(1952年5月)━━《おひつぎて》[追継ぎて][女を見るや否や追いつづけてすぐに]

★鈴木知太郎「古典文庫伊勢物語(天福本・谷森本)」(1952年11月)━━《をひつぎて》(天福本)《をいつぎて》(谷森本)
「校註伊勢物語」(1971年4月)━━《おひつぎて》[すばやく]

★大津有一・築島裕日本古典文学大系伊勢物語」(1957年10月)━━《をいつきて》[追ひ付きて][追ひ継ぎて]

★鈴木知太郎・田中宗作「伊勢物語付業平集」(1960年4月)━━《おひつぎて》[すばやく]

★南波浩「日本古典全書/伊勢物語」(1960年7月)━━《をいつぎて》[追ひ継ぎて][間髪を入れずすぐに]

★松尾聰・永井和子「校註伊勢物語」(1968年4月)━━《おひつきて》[追ひ付きて]

★中田武司「泉州伊勢物語の研究」(1968年11月)━━《をいつきて》[女をみるとすぐに]

★片桐洋一「校注古典叢書/伊勢物語」(1971年3月)━━《おひつきて》[追ひ継ぎて]
「鑑賞日本古典文学/伊勢物語」(1975年11月)━━《おひつきて》[追ひ継ぎて][すぐに][間をおかず続けて]『一気に続けて』
「異本対照伊勢物語」(1981年1月)━━《おいつぎて》

★中田武司・狩野尾義衛「伊勢物語新解」(1971年5月)━━《追いつきて》『すぐに』

大野晋・辛島稔子「伊勢物語総索引」(1972年5月」━━《おひつきて(追ひ付きて)》

★福井貞助「日本古典文学全集/伊勢物語」(1972年12月)━━《おひつきて》[追付きて(すぐに)]『すぐに』
「完訳日本の古典/伊勢物語」(1983年2月)━━《おひつきて》[追付きて]『すぐに』
「新編日本古典文学全集/伊勢物語」(1994年12月)━━《おひつきて》[追付きて(すぐに)]『すぐに』
「日本の古典をよむ」(2008年5月)━━《おひつきて》『すぐに』

★森本茂「伊勢物語全釈」1973年7月)━━《をいつきて》[「おひつぎて」で続け書きすること]『(字を散らし書きにしないで)続け書きにして』

小林茂美「影印校注古典叢書/伊勢物語」(1975年5月)━━《をいつきて》[後から追いかけて]

阿部俊子講談社学術文庫伊勢物語(上)」(1979年8月)━━《おひつきて》[見るやいなやすぐに]『とたんに』

★中野幸一・春田裕之「伊勢物語全釈」(1983年7月)━━《おひつきて》[すぐに]『すぐに』

★中野幸一「対訳古典シリーズ/伊勢物語」(1990年6月)━━《おひつきて》[すぐさま][時間をおかずに]『すぐさま』

★小澤彰「定本伊勢物語」(1992年1月)━━《おひつぎて》

★光學館編輯部「精解國文叢書/伊勢物語」(1946年10月)━━《おひつぎて》[後から][女をかいま見て少し後で引返して]『女を見て少し引返してから』

★雨海博洋「文法全解伊勢物語」(1969年1月)━━《をいつきて》[(女を見ると)すぐ]『すぐさま』

★郷衡・田尻嘉信「明解シリーズ/伊勢物語」(1972年11月)━━《をひつぎて》[女を見るとすぐに]『さっそく』

日栄社編集所「文法解説伊勢物語」(1973年4月)━━《おひつきて》『とっさに』

★奥野光恵「国語 Ⅰ シリーズ/伊勢物語」(1982年5月)━━《おひつきて》[すぐに]『すぐに』

★春山要子「古典新釈シリーズ/伊勢物語」(1984年10月)━━《おひつきて》[すぐに]『すぐに』

★塚田義房「VITALS SERIES伊勢物語解釈の基礎」(1986年3月)━━《をいつきて》「女を見るとすぐに」『女を見るとすぐに』

★西谷元夫「精選古典/伊勢物語」(1986年6月)━━《おひつきて》[女の姿を見るとすぐに」『女の姿を見るとすぐに』
「必読古典/伊勢物語」(1990年7月)━━《おひつきて》[女の姿を見るとすぐに]『女の姿を見るとすぐに』

小原孝「新明解古典シリーズ/伊勢物語」(1990年9月)━━《をいつきて》[追いつくようにすぐに]『即興で』

日栄社編集所「新・要説伊勢物語」(1998年7月)━━《追ひつきて》[(女を見るや)すぐに][間をおかずに]『とっさに』


またAかBかよく判らないものもある。

★西義一「伊勢物語新講」(1948年8月)━━《おひつぎて》『ませた調子で』

★中河與一「角川文庫/伊勢物語」(1953年7月)━━《おひつきて》[弱年のくせにませて]『まだ歳も若いくせに大人びて』

★中田武司「有精堂校注叢書/伊勢物語」(1986年9月)━━《をひつぎて》[大人びて]

高橋睦郎「すらすら読める伊勢物語」(2004年12月)━━《おいづきて》『とっさに』



伝定家筆本の原文は《をいつきて》。
定家仮名遣いでは『老い』は『おい』、『追ひ』は『をひ』となる。
類聚名義抄でもオイ(老)のアクセントは平上で、オフ(追)は上平、ヲヒ(出)は上上だから、平音をオ、上音をヲと表記する定家仮名遣いと矛盾しない。
伝定家筆本では88段の「つもれば人のおいとなる物」、97段の「おいらくのこむといふなる」は『おい』と書かれていて『をい』ではない。
一方「追う」の意味では、24段の「しりにたちてをひゆけど」、40段の「ほかへをひやらむとす」「この女をゝひうつ」は『をひ』だが、24段の「えをいつかで」、40段の「まだをいやらず」では『をい』と表記されていて『をひ』と『をい』が混用されている。
それゆえ初段の『をいつきて』は、少なくとも定家は『追ひつきて』の意味に取っていたと考えるべきだろう。

森野宗明氏のように伝本の表記からは「老い」に取るのは難しいと認めながらも意味の上では「老い」に取る方が自然と述べている人もいて、それはそれで森野氏の学者としての誠実さを感じるが、橘誠氏のように『い』か『ひ』かだけを見て『を』と『お』の違いを無視するような暴論には賛同できない。

『追ひつきて』・『追ひつぎて』説の大半が「すぐに」の意味に取っている中で、森本茂氏が「続け書きにして」の意味に取っているのが目を引くが、それなりの根拠も示しているので一概に否定できない。

しかしまた、ここを『をいつきて』とは全く違う語句で記している本もある。
実践女子大学蔵異本伊勢物語及び慶応大学蔵異本伊勢物語(この二つの写本の親本は同じ本で兄弟本になるようだ)では、ここは『家にきて(よめる)』となっている。表現としてはこの方が単純で判りやすく、この両写本が定家本6段の「これは二条のきさきの」以下を欠くなど伊勢物語の古態を伝える本と思われることも考えると、『家にきてよめる』が本来の文であった蓋然性も捨てがたい。

これは無いだろ(´ω`)

知恵袋というサイトは質問者がベストアンサーを決めるシステムで、別に専門家が判定するわけでは無いから、エッ??と思うような回答がベストアンサーに選ばれているのを見るのは珍しいことでは無いけれど、それにしてもこれがベストアンサーに選ばれているというのは驚いた。

https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13189337263

伊勢斎宮だった恬子内親王が書いたから「伊勢」物語だって?

伊勢物語」の題名は「源氏物語」に既に出ているのに対して、作者=恬子内親王説は1960年代に辛島稔子氏が初めて唱えた説で、それ以前にそのような説を唱えた人はいない。どう考えても辻褄の合わない珍説だと思うが。

古語辞典比較~②おはす

『おはす』の各古語辞典の記述。



❂時代別国語大辞典上代編(上代語辞典編集委員会〈代表・澤瀉久孝〉編、1969年12月初版1刷、三省堂
    
◎〚項目無し〛



❂新訂詳解古語辞典(佐藤定義編、1972年11月初版1982年10月新訂初版1985年1月新訂7版、明治書院

◎おは・す【御座す】オワス[一](自サ変)①いらっしゃる。おいでになる。存命なさる。おありになる。「あり(存在・所有)」「をり」・「行く」「来(く)」の尊敬語。「われ、朝ごと夕ごとに見る竹の中に━━するにて知りぬ」〈竹取〉「車持(くらもち)のみこ━━したり」〈竹取〉②お…になる。なさる。「おはし+動詞」で尊敬の複合動詞となる。(「おはす」が動詞の下に位置すると、[二]の①になる)「われかのさまにて━━し着きたり」〈源・夕顔〉
[二](補動サ変)①…ていらっしゃる。…ておいでになる。お…になる。動詞の連用形に付く。「かかる人も世にいで━━するものなりけり」〈源・桐壺〉②…でいらっしゃる。…の状態でいらっしゃる。形容詞・形容動詞型活用の連用形に付く。中間に助詞を介することもある。「世に知らず、さとうかしこく━━すれば」〈源・桐壺〉「左兵衛督の、中将に━━せし、語り給ひし」〈枕・二月晦日ごろに〉「すこし勇幹にあしき人にてぞ━━せし」〈大鏡・伊尹〉⦿上代の四段動詞「おほまします」が転じて、中古から「おはします」が生ずるが、ほぼ同じころ(あるいは、やや遅れて)、「おほまします」の「ます」がとれ、上部が独立し、音転して「おはす」となったもの。「おはす」の活用には、サ変説のほかに四段・下二段説があるが、綿密な用例調査の結果では、サ変説を否定する有力なものはないとされる。なお、「おはす」は「おはします」より敬意は低く、また助動詞「す」「さす」に下接する用法もない。→おほまします・おはします



❂岩波古語辞典/初版(大野晋佐竹昭広・前田金五郎編、1974年12月初版1刷、岩波書店

◎おは・し〘サ変〙《「有り」「居り」「行き」「来(き)」の尊敬語として、上代に多く使われたイマシに代って、平安時代に多く使われた語。主に皇族・貴族の動作をいう。現在の「いらっしゃる」にほぼ相当する。四段活用・下二段活用の両用あるとされていたが、平安時代の語としては、サ変の活用と見るのが正しい。しかし、平家物語などになるとオハセシ・オハセシカバなどの形が見えるようになる》①「有り」の尊敬語。「欲しきものぞ━━すらん」〈土佐二月五日〉。「〔性格ガ〕のどめたる所━━せぬ大臣にて」〈源氏・賢木〉。「内侍が腹に一人━━せし〔方〕は、後白河法皇へまゐらせ給ひて」〈平家一・吾身栄花〉②「居り」の尊敬語。「御後見し給ふべき人━━せじ」〈源氏・紅葉賀〉。「〔自分ノ〕殿に━━しても月を見つつ」〈源氏・夕霧〉。「奥によりて東向きに━━すれば」〈枕104〉。「〔二人ハ〕かたみにそばそばしからで━━せよかし」〈源氏・葵〉。「次男宗盛中納言にて━━せしが」〈平家一・鹿谷〉③「行き」の尊敬語。「この御子のおよすげもて━━する御かたち・心ばへ、有りがたく珍しきまで見え給ふ」〈源氏・桐壺〉。「人ゐて━━せ」〈和泉式部日記〉④「来(き)」の尊敬語。「ここを人にも知らせず忍びて━━せよ」〈源氏・東屋〉。「今日はかくて━━すれば」〈更級〉⑤《動詞の連用形について》……ていらっしゃる。「つくろひ━━するさま、親にはあらで」〈源氏・螢〉▷奈良時代の語、オホ(大)イマシ(坐)の約。öFöimasi⇒öFömasi⇒oFowasi⇒oFasi



❂例解古語辞典/第二版(佐伯梅友・森野宗明・小松英雄編著、1985年1月2版1刷、三省堂

◎おは・す㈠【御座す】〈動サ変41〉①〘「有り」の尊敬語〙いらっしゃる。おありになる。②〘「行く」「来(く)」の尊敬語〙いらっしゃる。おいでになる。
㈡〈補助動詞サ変41〉①〘「あり」の尊敬語〙(形容詞・形容動詞・助動詞の連用形、またはそれに助詞の付いたものに付いて)……いらっしゃる。②(動詞の連用形に付いて)尊敬を表わす。お……になる。……ていらっしゃる。
[用例]㈠①(a)「我、朝ごと夕ごとに見る竹の中に━━するにて知りぬ。ことなり給ふべき人なめり」〔竹取・かぐや姫の生ひ立ち〕[解]「ことなり給ふべき」の「こ」は「子」と「籠(=カゴ)」とをかける。(b)「わ党たち(=オマエサンガタ)こそ、させる(=タイシタ)能も━━せねば」〔宇治拾遺三・六〕②「粟田殿は、露台の外(と)までわななく(=震エナガラ)━━したるに」〔大鏡道長・上〕
㈡①「聞きしにも過ぎて、尊くこそ━━しけれ」〔徒然・52段〕②「うち絶えて、内裏(うち=宮中)・東宮へも参り給はず、籠り━━して」〔源氏・賢木〕
[語形]命令形に「おはせよ」と「おはせ」があり、また、まれに未然形に「おはさ(ば)」があるから、元来は四段と下二段との二様の活用で、のちにそれらが混同し、サ変のような見かけになったらしい。近世の文語では、多く四段活用。



❂全訳古語例解辞典/第三版(北原保雄編、1998年1月3版1刷、小学館

◎おは-す【御座す】
‖相手の動作や状態を尊敬して表現する語。その動作や状態にあたる代表が、あり、居り、行く、来の四語。文脈によってどの語の尊敬語の役割をはたしているか考える必要がある。‖
㈠〔自サ変〕①〘「あり」「居り」の尊敬語〙いらっしゃる。おいでになる。おありになる。[例]「この住吉の明神は、例の神ぞかし。欲しき物ぞ━━すらむ」〈土佐・二月五日〉[訳]この住吉神社の神様は、例の(欲ばりな)神様なのですよ。(このように風を吹かせていらっしゃるのは)何か欲しい物がおありになるのでしょう。
②〘「行く」「来(く)」の尊敬語〙おいでになる。お越しになる。[例]「今出川のおほい殿、嵯峨へ━━しけるに」〈徒然草・114〉[訳]今出川の大臣殿が、嵯峨(=京都市ノ西北)にお越しになった時に。
㈡〔補動サ変〕……ておいでになる。……ていらっしゃる。[例]「中将の君の東面(ひんがしおもて)にうたたねしたるを、あゆみ━━して見給へば」〈源氏・幻〉[訳]女房の中将の君が東側の部屋でうたた寝しているのを、(光源氏が)歩いておいでになってご覧になると。
[要点]平安時代以降「ます」「まします」に代わって用いられた。「おはします」に比べて敬意が低い。四段と下二段の両様に活用したと見る説もある。近世の文語文では四段に活用することが多い。



❂旺文社全訳古語辞典/第三版(宮腰賢・桜井満・石井正己・小田勝編、1990年11月初版2003年10月3版2010年重版、旺文社)

◎おは-す【御座す】(自サ変)
①「あり」の尊敬語。いらっしゃる。おありになる。〔竹取〕かぐや姫の生ひ立ち「竹の中に━━する(連体)にて知りぬ。子となり給ふべき人なめり」[訳]竹の中にいらっしゃるのでわかった。(あなたは私の)子におなりになるはずの人であるようだ。[文法]「なめり」は「なるめり」の撥音便「なんめり」の「ん」の表記されない形。
②「行く」「来(く)」の尊敬語。いらっしゃる。おでかけになる。おいでになる。〔源氏〕若紫「御供に、むつましき四五人(よたりいつたり)ばかりして、まだ暁に━━す(終止)」[訳](光源氏は)お供に、気心の知れた四、五人ほどを伴って、まだ夜明け前におでかけになる。
[参考]中古から用いられ、「おはします」に比べて、敬意が低い。
◎おは・す【御座す】(補動サ変)(活用語の連用形、あるいは連用形に助詞「て」の接続したものに付いて)尊敬の意を表す。……て(で)いらっしゃる。……て(で)おいでになる。……て(で)おありになる。お……になる。〔源氏〕帚木「『あなかま』とて、脇息(けふそく)に寄り━━す(終止)」[訳]「ああ、やかましい」と言って、ひじかけに寄りかかっていらっしゃる。〔平家〕五・福原院宣「小松の大臣殿(おほいどの)こそ、心も剛に、はかりこともすぐれて━━せ(未然)しか」[訳]小松の内大臣殿(=平重盛)は、心も剛毅で、知略もぬきんでておいでになったのに。[文法]係り結び「こそ……しか」は、強調逆接となって下に続く。
[参考]訳語としては、「お……になる」「……なさる」よりも、「……て(で)いらっしゃる」「……て(で)おいでになる」「……て(で)おありになる」があてはまる場合が多い。



三省堂詳説古語辞典(秋山虔渡辺実編、2000年1月1刷、三省堂
◎おは・す【御座す】[自サ変][補動サ変]
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▶中古に発生した、主語を高める尊敬語。
▶「いる」「ある」「行く」「来る」の意をもつ〔㈠〕。補助動詞の用法もある〔㈡〕。
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㈠[自サ変]❶「いる」の意の尊敬語。いらっしゃる。おいでになる。[例]「ただ今おのれ見棄てたてまつらば、いかで世におは・せむとすらむ」〈源氏・若紫〉[訳]たった今私が(死んでしまってあなたを)お見捨てしたら、(あなたは)どうやって世の中にいらっしゃろうとするのか。〘疑問語との呼応〙「いかで→おはせむ(体)」。〘敬語〙「見棄てたてまつらば」→「たてまつる」
❷所有の「あり」の尊敬語。おありになる。持っていらっしゃる。[例]「欲しき物ぞおは・すらむ」〈土佐〉[訳](住吉の明神は)欲しい物がおありになるのでしょうよ。〘係結び〙「ぞ→おはすらむ(体)」
❸「行く」「来(く)」の尊敬語。いらっしゃる。おいでになる。[例]「粟田殿は、露台の外(と)まで、わななくわななくおは・したるに」〈大鏡道長・上〉[訳]粟田殿は、露台(=紫宸殿と仁寿殿の間にある板敷き)の外まで、わななきわななきおいでになったところ。
㈡[補動サ変](動詞・形容詞の連用形や、形容動詞・形容動詞型活用語の連用形などに付いて)「……て(で)いる」「……である」の意の尊敬語。……て(で)いらっしゃる。……て(で)おいでになる。[例]「御衣(おんぞ)の袖を引きまさぐりなどしつつ、紛らはしおは・す」〈源氏・幻〉[訳]お召し物の袖を引っぱりいじりなどし続けて、(涙を)まぎらわしていらっしゃる。
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(1)「いる」「行く」「来る」といった意の尊敬語としては「おはす」のほかに「おはします」があり、「おはします」のほうが敬意は高い。→「おはします」
(2)「おはす」の命令形として、「おはせよ」に交じって少数ではあるが「おはせ」の形も見られる。このことから「おはす」の活用は完全なサ変ではなく、下二段活用と四段活用の混交と見る考えもある。
(3)㈡は、上に付く語との間に、接続助詞「て」や係助詞・副助詞・間投助詞などが入る場合がある。



❄活用について問題になる語。
「岩波古語辞典」は《サ変⇒四段・下二段》、「三省堂例解古語辞典」が《四段・下二段⇒サ変》と逆の見解を示している。
「大辭典」(大辭典編集委員会編、1936年11月発行、平凡社)では『オワス』の項目に《この語『詞の八衢』にサ變と斷定して以來、一般にかく信ぜられたるも、サ變ならば連用形に「おはせ」なる形無し。然るに「おはせ給ひしより(宇津保)」「おはせたれど(榮花)」の如く連用形に「おはせ」の形あるを以てサ變に非ず。また未然形「おはさ」となるは四段にも活用したるなり。故に四段及び下二段とするを可とす。》とある。
元になった『います(坐す)』の活用の変化も考えると、本来は四段活用(自動詞)と下二段活用(他動詞)の二つの活用を持つ語だったのが活用が混同されてやがてサ変活用に変化したのではないか。ということで、「三省堂例解古語辞典」の解説を支持したい。

補助動詞(形式動詞)については、補助動詞(形式動詞)を認めず助動詞とする考え方もある。
『おはす』についても「品詞別日本文法講座8助動詞Ⅱ」(1972年12月、明治書院)~「転化の助動詞」(林巨樹著)では助動詞として扱っている。

「春をわするな」か「春なわすれそ」か

(算合本拾遺和歌集より)
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菅公菅原道真の著名な歌だが、こんな記事があった。

http://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000066229

ここでは初出の拾遺和歌集では「こちふかばにほひをこせよ梅花あるじなしとて春をわするな」であるとしている。

ところが「拾遺和歌集の研究・校本篇伝本研究篇」(片桐洋一著、1970年12月、大学堂書店)を見ると、拾遺和歌集の段階で既に伝本により「春をわするな」「春なわすれそ」の双方があることが判る。

「こちふかはにほひをこせよ梅花あるしなしとて春をわするな」(◎京大図書館蔵中院通茂筆本)
宮内庁書陵部蔵東常縁筆本
尊経閣文庫蔵伝浄弁筆本
◎京大図書館蔵二条為重奥書本
早大図書館蔵甘露寺親長筆本
◎京大図書館蔵冷泉為満奥書本
◎北野克氏蔵無年号本(算合本)
◎陽明文庫蔵近衛基熈筆本
国会図書館蔵永正15年書写本
天理図書館蔵甲本
京都市北野天満宮

「こちふかはにほひおこせよ梅の花あるしなしとて春な忘れそ」(◎堀河宰相具世筆本)
◎片桐洋一氏蔵為秀奥書本
◎岩国吉川家蔵為相奥書本

数の上では「春をわするな」が圧倒的に多いのだが「春なわすれそ」となっている写本も若干ながら存在する。
したがって「春をわするな」と「春なわすれそ」のどちらが古いかは簡単には言えない。

ただ「匂おこせよ」という強い命令表現のあとに続くものとしては懇願的な「春なわすれそ」よりも「春をわするな」の方が自然だろうと私は思う。

古語辞典比較~①かみなづき(神な月)

(2018年5月25日記)
ヤフオクで「三省堂詳説古語辞典」(秋山虔渡辺実編、三省堂)を購入して古語辞典が7冊になったので、7冊の記述を比べてみた。

まずは『かみなづき(神な月)』の比較。



❂時代別国語大辞典上代編(上代語辞典編集委員会〈代表・澤瀉久孝〉編、1969年12月初版1刷、三省堂
    
◎かむなづき〈キは乙類〉[十月](名)十月。冬の始めの月。しぐれの季節である。あるいはカミナヅキともいわれたものか。「十月(かむなづき)しぐれにあへるもみち葉の吹かば散りなむ風のまにまに」(万葉1590)「十月(かむなづき)雨間もおかずふりにせば誰が里のまにやどか借らまし」(万葉3214)
【考】神=ナ=月としてナを古い連体格助詞とみる説が普通である。十月に神を祭る習俗が古代朝鮮にあり、また秋の収穫の後に行われるカガヒ(嬥歌会)などとも関連させて、十月に神を祭る風習があったとするのである。



❂新訂詳解古語(佐藤定義編、1972年11月初版1982年10月新訂初版1985年1月新訂7版、明治書院

◎かみ な づき【神無月・十月】(名)陰暦十月の別称。全国各地の神が、みな出雲の大社に集まり、他の地には神がいなくなる月という。一説に、「な」は古い連体格助詞で、「神の月」の意ともいう。「━━降りみ降らずみ定めなき時雨ぞ冬のはじめなりける」〈後撰・冬〉⦿「かみなしづき」「かんなづき」とも。
◎かむなづき【神無月・十月】カンナズキ(名)⇨かみなづき
◎かんなづき【神無月】(名)「かみなづき」の転。⇨かみなづき



❂岩波古語辞典/初版(大野晋佐竹昭広・前田金五郎編、1974年12月初版1刷1990年2月補訂版1刷2013年1月補訂版21刷、岩波書店

◎かみなづき【神無月】陰暦十月の称。中世の俗説に、十月は諸国の神神が出雲大社に集まって不在となるからという。「━━しぐれしぐれて」〈古今1002〉。
◎かむなづき【神無月】《もと「神の月」の意か。ナは連体助詞であったが、平安時代になると一般に使われなくなったので、無シのナと思われ、「神無月」の俗説を生じたか》陰暦十月の称。「━━しぐれに逢へる黄葉(もみぢば)の」〈万葉1590〉⇒かみなづき kamunadukï
◎かんなづき【神無月】⇒かむなづき。「今日よりや色葉散りぬる━━」〈俳・正章千句下〉



❂例解古語辞典/第二版(佐伯梅友・森野宗明・小松英雄編著、1980年1月初版1985年1月2版1986年2月2版8刷、三省堂

◎かみ-な-づき【神無月・十月】〈名〉陰暦十月の称。「かむなづき」「かんなづき」。
[用例]「君がさす(=枕詞)三笠の山のもみぢ葉の色、━━時雨の雨の染めるなりけり」〔古今1010・雑体・旋頭歌・貫之〕[解]「染める」の「る」は助動詞。しみこんでいる、の意。和歌の世界では、時雨が木や草を紅葉させるという発想が定型となっていた。
[要説]「な」はもと上代の格助詞。「神の月」の意かという。この「な」を「無し」と誤解し、諸国の神がみが出雲大社に参集して、諸国に神がいなくなる月という俗説が生まれ、一方、近世以後、特に出雲では「神あり月」とも呼ぶようになった。
◎かむ-な-づき【神無月・十月】〈名〉「かみなづき」に同じ。
◎かん-な-づき【神無月・十月】〈名〉「かみなづき」に同じ。



❂全訳古語例解辞典/第三版(北原保雄編、1987年1月初版1998年1月3版2002年2月3版9刷、小学館

◎かみな-づき【神無月・十月】〔名〕(「かむなづき」「かんなづき」とも)陰暦十月の称。
[参考]「な」は上代の格助詞で、今の「の」に相当し、「神の月」の意からかという。また、新酒を醸(か)み成す月とする説もある。「な」を「無」と解し、出雲に全国の神が集まり、各地を留守にするからとする俗説は、平安時代末から生じた。なお、近世以後、出雲地方では十月を「神あり月」とも呼ぶようになった。
◎かむなづき⇒かみなづき
◎かんなづき⇒かみなづき



❂旺文社全訳古語辞典/第三版(宮腰賢・桜井満・石井正己・小田勝編、1990年11月初版2003年10月3版2010年3版重刷、旺文社)

◎かみな-づき【神無月・十月】(名)「かむなづき」「かんなづき」とも。陰暦十月の称。
[発展]【「かみなづき」の起源】
「かみなづき」の「な」は「の」の意の上代の格助詞で「神の月」の意、また、新穀で酒を醸す月「醸成(かもな)し月」の意など、諸説がある。俗説に、神々がこの月に出雲大社に集まり、各地に神がいなくなるので、この称があるという。一方、出雲(島根県)では、「神有月(かみありづき)」と呼ぶ。
◎かむな-づき【神無月・十月】(名)「かみなづき」に同じ。
◎かんな-づき【神無月・十月】(名)「かみなづき」に同じ。



三省堂詳説古語辞典(秋山虔渡辺実編、2000年1月1刷、三省堂

◎かみなづき【神無月】[名]〘「かむなづき」「かんなづき」とも〙陰暦十月の称。この月に神々が出雲大社に集まり、諸国神社が留守になるのでこのようにいう。(季ー冬)
〔和歌〕かみなづき……【神無月降りみ降らずみ定めなき時雨ぞ冬のはじめなりける】〈後撰・冬・445・よみ人しらず〉[訳]十月の降ったり降らなかったりと定めのない時雨こそが実は冬の始めだったなあ。
◎かむなづき【神無月】[名]「かみなづき」に同じ。
〔和歌〕かむなづき……【神無月時雨降りおける楢の葉の名に負ふ宮の古言(ふるごと)ぞこれ】〈古今・雑下・997・文屋有季〉[訳]十月、時雨が降って美しく紅葉したナラの葉、そのナラと同じ名をもつ奈良の都の時代に詠まれた古い歌を集めたものです。この『万葉集』は。
〈参考〉清和天皇が、「『万葉集』はいつごろ作られたのか」とお尋ねになったのに答えた歌。
◎かんなづき【神無月】[名]「かみなづき」に同じ。(季ー冬)



❄★「時代別国語大辞典上代編」だけが古代朝鮮の風習について触れているのは注目。

★「三省堂詳説古語辞典」・「新訂詳解古語」が俗説を定説扱いしているのは疑問。「新訂詳解古語」はまだ連体助詞説にも触れているが、「三省堂詳説古語辞典」は俗説しか載せていない。

★俗説の生まれた時期については「岩波古語辞典」と「小学館全訳古語例解辞典」だけが正確に書いている。

★『な』について「時代別国語大辞典上代編」と「新訂詳解古語」は連体格助詞、「岩波古語辞典」は連体助詞、「三省堂例解古語辞典」・「小学館全訳古語例解辞典」・「旺文社全訳古語辞典」は格助詞としている。(「三省堂詳説古語辞典」は『な』を形容詞の語幹としているので、助詞については触れていない)
これは学校文法では格助詞の連体格とされているが、橋本文法では学校文法の格助詞・係助詞・副助詞・接続助詞・終助詞・間投助詞という六分類の他に副体助詞・連体助詞・準体助詞・並立助詞の四つを別にして十分類にしており、大野晋氏はそのうち連体助詞だけを橋本文法から受け継いで七分類にしているため。
「時代別国語大辞典上代編」と「新訂詳解古語」の連体格助詞はやや曖昧な表現だが格助詞連体格と同じことか。

★「時代別国語大辞典上代編」と「岩波古語辞典」は万葉集の用例を「かむなづき」と訓んでいるが、原文は「十月」で、上代においては「かみなづき」または「かみなつき」と訓むべきではないだろうか。

★本来は「かみなづき」または「かみなつき」で、「かむなづき」「かんなづき」はいずれも kamnadukÏ あるいは kamnaduki という音の表記であり、撥音部分の表記に「む」を宛てたか「ん」を宛てたかの違いに過ぎないと思う。

★「三省堂詳説古語辞典」は【かむなづき】の用例として古今集の歌を載せているが、伊達本等幾つかの影印本で見てもここは『神無月』『神な月』『神なつき』などと書かれ、読みが確認できる本は無かったので、この用例の選択は疑問。

伊勢物語関係書③

伊勢物語関連書

古今和歌集(28)

岩波文庫古今和歌集・嘉禄本《尾上八郎校訂、1927年11月1刷1963年1月33刷、岩波書店》※翻刻本。底本は嘉禄二年本系尾上八郎氏蔵本。

古今和歌集選釋《尾上八郎著、1935年2月発行、日本文學社》※底本は尾上八郎著「校註古本古今和歌集」とのこと。

❂日本古典全書/古今和歌集《西下経一校註、1948年9月初版1970年12月15版、朝日新聞社》※底本は貞応二年本系宮内庁書陵部蔵文和二年本。

日本古典文学大系8/古今和歌集佐伯梅友校注、1958年3月1刷、岩波書店》※底本は貞応二年本系二条家相伝本。

日本古典文学大系8/古今和歌集佐伯梅友校注、1958年3月1刷1969年9月12刷、岩波書店》※同上

古今集総索引《西下経一・滝沢貞夫編、1958年9月発行、明治書院

古今和歌集〔建久二年俊成本〕と研究《竹本元晛・久曽神昇編著、1959年8月発行、未刊国文資料刊行会》※翻刻本。底本は穂久邇文庫蔵伝藤原為家筆建久二年俊成本。限定307号とあるが何部発行されたかは不明。

❂日本古典文学全集7/古今和歌集《小沢正夫校注・訳、1971年4月初版1981年5月13刷、小学館》※底本は貞応元年本系高松宮家蔵伝二条為世筆本。

❂角川文庫/古今和歌集《窪田章一郎校注、1973年1月初版1980年1月11版、角川書店》※底本は伊達家旧蔵藤原定家筆本。

❂複刻日本古典文学館/古今和歌集清輔本《日本古典文学会編山岸徳平解題、1973年4月発行、ほるぷ出版》※影印本。原本は宮本長則氏蔵清輔本。

❂清輔本古今和歌集/上下《日本古典文学会編、池田利夫他翻刻竹鼻績解題、1974年1月発行、日本古典文学刊行会》※翻刻本。底本は宮本長則氏蔵清輔本。

❂伊達本古今和歌集藤原定家筆《久曽神昇編、1975年4月初版、笠間書院》※影印本。原本は伊達家旧蔵藤原定家筆本。

❂中田武司氏蔵宗牧筆古今和歌集《中田武司・高橋良雄編、1975年4月初版1985年10月6刷、桜楓社》※影印本。貞応二年本系。

古今和歌集《玉上琢彌編、1976年3月1刷1979年4月3刷、桜楓社》※元永本の翻刻を含む。

❂在九州国文資料影印叢書2/古今和歌集《後藤昭雄編、1979年7月発行、在九州国文資料影印叢書刊行会》※影印本。原本は貞応二年本系三条西実隆筆本。

講談社学術文庫/全訳注 古今和歌集(一)《久曽神昇訳注、1979年9月1刷1984年12月3刷、講談社》※底本は伊達家旧蔵藤原定家筆本。

❂全対訳日本古典新書/古今和歌集《片桐洋一訳注、1980年6月初版1987年5月6版、創英社》※底本は伊達家旧蔵藤原定家筆本。

岩波文庫古今和歌集佐伯梅友校注、1981年1月1刷1994年5月26刷、岩波書店》※底本は貞応二年本系二条家相伝本。

新典社叢書8/増補改訂古今和歌集《杉谷寿郎・菅根順之・半田公平編、1981年4月初版1994年4月増補改訂8刷、新典社》※底本は嘉禄二年本系高松宮家本。

旺文社文庫/現代語対照 古今和歌集《小町谷照彦訳注、1982年6月初版、旺文社》※底本は貞応二年本系の北村季吟八代集抄」天和二年刊本。

講談社学術文庫/全訳注 古今和歌集(二)《久曽神昇訳注、1982年11月1刷、講談社》※底本は伊達家旧蔵藤原定家筆本。

講談社学術文庫/全訳注 古今和歌集(三)《久曽神昇訳注、1982年12月1刷1984年12月2刷、講談社》※底本は伊達家旧蔵藤原定家筆本。

講談社学術文庫/全訳注 古今和歌集(四)《久曽神昇訳注、1983年1月1刷、講談社》※底本は伊達家旧蔵藤原定家筆本。

❂契沖筆古今和歌集鶴見大学文学部日本文学科研究室編、池田利夫解説、1986年5月発行、鶴見大学》※影印本。本文は貞応二年本系統。契沖仮名遣ではなく定家仮名遣

❂カラー版古今和歌集《小町谷照彦編、1988年4月1刷2014年3月6刷、おうふう》※元永本・高野切等の筆蹟のカラー写真と解説。

新日本古典文学大系5/古今和歌集小島憲之・新井栄蔵校注、1989年2月1刷、岩波書店》※底本は今治市河野美術館蔵詁訓和歌集。

古今和歌集・花山院師継筆《中田武司編、1996年4月1刷、耕文堂》※底本は貞応二年本系花山院師継筆本。

角川ソフィア文庫/新版古今和歌集・現代語訳付き《高田祐彦訳注、2009年6月初版2010年2月再版、角川学芸出版》※底本は伊達家旧蔵藤原定家筆本。

ちくま学芸文庫古今和歌集《小町谷照彦訳注、2010年3月1刷、筑摩書房》※同じ著者による旺文社文庫の改訂版。

❂関戸本古今和歌集《碑法帖新選刊行研究会、刊行年次不明、みかさ堂》※収録されているのは関戸本の一部のみ。書道の教本として作成された本のようだ。

☆大和物語(16)[◎は伊勢物語と重複]

◎❂日本古典文学大系9/竹取物語伊勢物語・大和物語《阿部俊子今井源衛校注、1957年10月1刷1968年12月12刷、岩波書店》※底本は尊経閣旧蔵伝藤原為家筆本。

◎❂日本古典文学大系9/竹取物語伊勢物語・大和物語《阿部俊子今井源衛校注、1957年10月1刷1969年8月13刷、岩波書店》※同上。

◎❂要説伊勢物語付大和物語《日栄社編集所著、1964年5月初版2006年12月163版、日栄社》※底本については明記無し。

◎❂明解シリーズ19/伊勢物語付大和物語《郷衡・田尻嘉信著、1972年11月初版1995年7月増補8版、有朋堂》※底本については明記無し。

◎❂日本古典文学全集/竹取物語伊勢物語・大和物語・平中物語《校注・訳━━片桐洋一(竹取物語)・福井貞助(伊勢物語)・高橋正治(大和物語)・清水好子(平中物語)、1972年12月初版1刷、小学館》※底本は野坂家蔵天福本。

◎❂文法解説竹取物語伊勢物語付大和物語《日栄社編集所著、1973年4月初版1997年3月改訂122版、日栄社》※底本については明記無し。

◎❂鑑賞日本古典文学5/伊勢物語・大和物語《片桐洋一著、1975年11月初版1976年10月再販、角川書店》※底本は野坂家蔵天福本。

◎❂陽明叢書国書篇第9輯/伊勢物語・大和物語《陽明文庫編南波浩解説、1976年6月発行、思文閣》※原本は寛喜三年本系陽明文庫本。

❂複刻日本古典文学館 第二期第二回配本/大倭物語 蓬左文庫本《日本古典文学会編竹鼻績解題、1977年4月発行、ほるぷ出版》※原本は寛喜三年本系左衛門尉為衆筆本。限定1,500部中No.148。

古典文庫/大和物語抄〈賀茂季鷹文庫本〉《高橋貞一編、1979年7月刊、古典文庫》※翻刻本。北村季吟の大和物語抄とは別の本で室町中期成立か。本文は三条西家旧蔵伝為氏筆本に近いとのこと。原本はその後所在不明となっているとか。

◎❂文法鑑賞伊勢物語・大和物語新解釈《原国人著、1980年10月4版、有精堂出版》※底本は明記されていないが大和物語の扉に三条西家蔵(現学習院大学蔵)伝二条為氏筆本の写真があるので伝為氏筆本が底本か。

❂在九州国文資料影印叢書第二期1/大和物語《今井源衛編、1981年5月発行、在九州国文資料影印叢書刊行会》※原本は六条家本系九大蔵支子文庫本。

鈴鹿本大和物語愛媛大学附属図書館蔵《糸井通浩編、1981年10月初版1刷、和泉書院》※原本は愛媛大学附属図書館蔵鈴鹿本。

◎❂細川家永青文庫叢刊第10巻/伊勢物語・大和物語《永青文庫迫徹朗解題、1984年7月発行、汲古書院》※原本は中院通勝筆本。

◎❂精選古典14/伊勢物語付大和物語《西谷元夫著、1986年6月初版1995年7月増補8版、有朋堂》※底本については明記無し。

◎❂新明解古典シリーズ3/伊勢物語・大和物語《桑原博史監修山田博著、1990年9月1刷2013年2月17刷、三省堂》※底本は日本古典文学大系

◎❂国立歴史民俗博物館稀少典籍叢書文学篇16物語一/伊勢物語伝為氏筆本・大和物語伝為氏筆本《国立歴史民俗博物館館蔵史料編集会編、柳田忠則解題、1999年5月初版、臨川書店》※原本は小汀利得氏旧蔵伝為氏筆本。

後撰和歌集(1)

岩波文庫後撰和歌集《松田武夫校訂、1945年2月1刷1994年3月4刷、岩波書店》※底本は武田祐吉氏旧蔵伝亀山天皇宸翰本。

☆古今和歌六帖(1)

❂古今和歌六帖の研究《平井卓郎著、1964年2月発行、明治書院

拾遺和歌集(6)

拾遺和歌集定家本上《片桐洋一校、1964年2月発行、古典文庫》※中院通茂筆本の翻刻

拾遺和歌集定家本下《片桐洋一校、1964年3月発行、古典文庫》※同上。

拾遺和歌集・校異篇《片桐洋一編、1964年10月発行、古典文庫》※中院通茂筆本を底本として各種伝本との校異を記す。

拾遺和歌集の研究・校本篇伝本研究篇《片桐洋一著、1970年12月発行、大学堂書店》※校本篇は中院通茂筆本・堀河宰相具世筆本・北野天満宮本の翻刻及び校異。限定400部の114号。

拾遺和歌集の研究・索引篇《片桐洋一著、1976年9月1刷12月2刷、大学堂書店》※中院通茂筆本・堀川宰相具世筆本・北野天満宮本の自立語を収める。

❂算合本拾遺集の研究・付異本為忠筆本について《北野克著、1982年2月初版、勉誠社》※算合本(北野本)・異本為忠筆本(零本)の影印・翻刻・解説。

八代集(1)

新日本古典文学大系・別巻/八代集総索引《久保田淳監修、1995年1月1刷、岩波書店

続古今和歌集(1)

❂続古今集総索引《滝沢貞夫編、1984年11月発行、明治書院》※本文翻刻を含む。底本は伝御子左為重卿筆本。

☆俊頼髄脳(1)

❂日本古典文学全集50/歌論集《橋本不美男訳校注、1975年4月初版1980年2月6版、小学館》※底本は国会図書館蔵本。

☆古来風躰抄(1)

❂日本古典文学全集50/歌論集《有吉保訳校注、1975年4月初版1980年2月6版、小学館》※底本は宮内庁書陵部蔵本(再撰本)。

☆その他(4)

❂物語作家圏の研究《目加田さくを著、1964年7月初版、武蔵野書院》※伊勢物語69段と元稹「鶯々傳」の類似を指摘した本。

❂王朝のみやび《目崎徳衛著、1978年2月発行、吉川弘文館》※「在五中将と亭子の帝」「在原業平_哀愁と諧謔の詩人」等収録。

岩波文庫/唐宋伝奇集(上)《今村与志雄訳、1988年7月1刷1993年10月10刷、岩波書店》※元稹「鶯々傳」の訳を含む。

新潮文庫/王朝物語《中村真一郎著、1998年2月発行、新潮社》※1993年5月潮出版社刊行の単行本の文庫化。第二章に「伊勢物語」有り。