つらつら思うこと

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伊勢物語第40段《すける物思ひ》はどう訳されているか③

伊勢物語第40段《すける物思ひ》はどう訳されているか② 
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【原国人[文法鑑賞伊勢物語新解釈]1980年10月、有精堂】
《この本は武田本系静嘉堂文庫本の影印・翻刻本である山田清市編著「伊勢物語影印付」(1967年4月、白帝社)を底本としているが、この段の場合は天福本も武田本も本文に違いは無い》
★むかし、若い男が、悪くはない女を思っていたそうだ。分別くさくさし出たことをする親がいて、思いがつのると困ると考えて、この女を他所へ追い払おうとする。そうはいうものの、まだ追い払わない。(この男は)親がかりの身分であったので、まだ気迫がなかったので、(女を自分のところに)引き留めておく元気がない。女も身分が低かったので、さからう力がなかった。そうこうしている間にも、恋しいと思う気持はますますつのってくる。急に親が、この女を追い出した。男は血の涙を流したけれども、(女を)引き留める方法もない。(人が)女を連れ出て(女は)去ってしまう。男が泣きながら詠んだ歌。

(私をきらって自分から)出ていって去るのならば、誰がいったい別れがむつかしいものか。以前にもましてまさる今日のつらさよ。

と詠んで悶絶してしまったことだ。親は慌ててしまった。やはり(わが子を)思って言ったのだけれども、まさかこんなことになるまいと思っていたのに、本当に気絶してしまったので、とまどって神仏に(息を吹きかえすようにと)願を立てた。その日の夕暮れ時に気絶して、次の日の戌の刻(午後八時頃)にようやく息をふきかえしたのであった。
むかしの若い人は、このような一途な恋をしたものであった。(それにしても、)今の老人みたいな分別くさい顔をした人に、このように死ねるだろうか。いやこのようにはできまい。


田辺聖子竹取物語伊勢物語]学研刊、1982年7月】
《1987年7月刊、集英社文庫より》
★むかし、若い男が、ちょっと魅力のある召使の女をあいしていた。この男には、干渉がましくあれこれと気を使う親がいて、息子が本気に女に執着しては大変だと思って、この女をほかへ追い出そうとした。しかしそうはいってもまだ追い出しはしなかった。男は親がかりの身で、遠慮もあり、生活力はなし、女を引きとめる器量はなかった。女も身分卑しいのでさからう力もない。その間に、男の愛情はいよいよ強くなるのだった。親はあわてて、にわかにこの女を追い出そうとした。男は血の涙を流して悲しんだが、女を引きとめる手だてはなかった。人は女を引きたてて出た。男は泣く泣く、

〔あの女(ひと)が
 われから去ってゆくのなら
 なんで別れが辛かろう
 でもあの女は むりやりに
 仲を裂かれて追われていった
 みのらぬ恋の くるしさは
 今までもさりながら
 それにもまさる 今日の悲しみ〕

と詠んで気を失ってしまった。親は狼狽した。もともと息子のためを思えばこそ、女と別れるように叱ったのだが、まさかこんなにまで苦しもうとは思っていなかった。ところがほんとうに息も絶え絶えになってしまったので、あわてさわいで神仏に願をかけて祈った。その日の日暮れごろに気絶して、翌日の戌の刻(午後八時ごろ)ばかりにやっとのことで息を吹き返した。
むかしの若者は、そういうひたむきな恋をしたものだった。いまの老体には、どうしてこんな恋ができよう。


【吉岡曠[現代語訳伊勢物語]1982年、學燈社
《2005年11月刊學燈社現代語訳シリーズより》
★昔、若い男が、なかなかの器量の女を愛した。お節介をやく親がいて、好きになっては困るというので、女をよそへ追い払おうとする。そうはいっても、まだ実行はしない。男は、親がかりで、まだ親にさからえるほど心が成長していなかったので、女を引きとめる力がない。女も身分が卑しいので、さからう力がない。そうしているうちに、男の思いは、いよいよつのりにつのる。突然、親がこの女を追い出した。男は、血の涙を流すけれども、引きとめるすべがない。人が来て、女を連れて出て行った。男が泣く泣く詠んだ歌。

 出て行ったならば、それでおしまい、だれだって別れることなど簡単だ。簡単でないのはそのあとのつらさ。いとしさが、今までよりもいっそうまさる今日は、なんとも悲しいことだ。

と詠んで、息が絶えてしまった。親は仰天した。それでも、「この子のことを思うからこそ意見をしたのだ。まさか死にはすまい」と思うのに、ほんとうに息が絶えてしまったので、途方にくれて、神仏に願を立てた。日暮れ時に息絶えて、翌日の午後八時頃に、やっとのことで息を吹きかえした。昔の若者は、こういう一途な恋をしたものだ。今の年寄りがしようたってできるものか。


【福井貞助[完訳日本の古典10]1983年2月、小学館
《「完訳日本の古典」は「日本古典文学全集」(1972年12月)の簡装版だが、「日本古典文学全集」の訳文そのままではなく、若干書き換えた所がある。なお「新編日本古典文学全集」(1994年12月)はほぼこの「完訳日本の古典」の訳文と同じ》
★昔、若い男が、ちょっと人目をひく召使女を愛しいと思った。この男には、子を思うあまり、気をまわす親がいて、わが子が女に執着しては困ると思って、この女をほかへ追い出そうとする。そうは思っても、まだ追い出してはいない。男は、親がかりの身なので、まだ進んで思うままにふるまう威勢もなかったので、女をとどめる気力がない。女も身分が低い者なので、対抗する力がない。そうこうしているうちに、女への愛情はますます燃え上がる。にわかに、親が、この女を追い出した。男は、血の涙を流して悲しんだが、女を引きとどめようもない。人が女を連れて家を出た。男は、涙ながらに詠んだ。

 いでていなばたれか別れのかたからむありしにまさる今日は悲しも
(自分から女が去ってゆくのなら、こんなに別れがたくも思わないだろう。無理に連れ去られるのだから、今日は、今までのつらい思いよりもいっそう悲しいことだなあ)

と詠んで、気を失ってしまった。親はうろたえてしまった。なんといっても子を思って、女と別れるように意見をしたのだ。まったく、これほどでもあるまい、と思ったところ、ほんとうに息も絶え絶えになってしまったので、狼狽して願を立てた。今日の日暮れごろに気絶して、翌日の戌の刻ごろに、やっと生き返った。昔の若者は、こんないちずな恋をしたものだ。当節の老人めいた者などに、どうしてこのような恋愛ができようか。


【中野幸一・春田裕之[伊勢物語全釈]1983年7月、武蔵野書院
《中野幸一・春田裕之両氏の共著となっているが、旺文社文庫の中野幸一氏の訳とは違うので、この40段の訳者は春田裕之氏か。春田氏は当時私立海城高校教諭で、参考書をいくつか著している》
★昔、若い男が、それほど悪くはない使用人の女を恋した。息子のことを思ってそれに口出しをする親がいて、息子の女を愛する気持が強くなると困るので、この女をよそに追い出そうとする。そうはいっても、まだ追い出してはいない。男は親がかりの身なので、まだ思うがままに行動するだけの威勢もなかったので、女をとどめるだけの力はない。また女も身分が低かったので、抵抗する力がない。そうこうする間に、男の女に対する思いはいやがうえにもまさって行く。急に、男の親はこの女を追い出した。男は血の涙を流して悲しんだが、とめる手だてもない。人が女を連れて出て行ってしまった。男が泣く泣く詠んだ歌。

女が自分の意志で出て行ったのならば誰が別れを悲しく思おうか。それならば悲しくなどない。だが、私の親に追い出されて出て行ったのだから、以前にもまして今日は悲しいことだ。

と詠んで男は気を失ってしまった。親はあわてふためいた。それにしても、わが子のことを思うからこそ女と別れるように言ったのに、まさかこんなことになるとは、と思っていると、本当に息も絶え絶えになってしまったので、親は周章狼狽(ろうばい)して願を立てた。男は今日の日没ごろに気を失って、次の日の戌の刻ごろ(午後九時前後)にやっとのことで息を吹き返した。昔の若者はこのように一途な恋をしたものである。それに比べ当節の分別臭い若者は、こんな一途な恋ができるであろうか。まあ無理であろう。


【大庭みな子[わたしの古典3]1986年5月、集英社
★むかし、若い男がよいと思う女に恋心をつのらせた。かしこぶった男の親は、息子があまり心を打ちこんでは困ると思い、この女をよそへやってしまおうとした。とはいえ、まだ追いやったわけでもなかった。男は若くて、親のすることにあらがうこともできなかった。女もまた使われている身分なので、どうしようもなかった。
そうこうするうちに、男はますます想いをつのらせたので、親はある日突然、下女であるこの女を追い出してしまった。男は血の涙を流したが、どうしようもなかった。女はむりやり連れ去られてしまったので、男は泣く泣く、
  出でていなば誰か別れの難からむ
  ありしにまさる今日はかなしも
  〚心のままに去(ゆ)く君なれば
   別れもやすし
   追うすべもなし
   悲しきは生木裂かれるこの別れ
   君ある日々の苦しさに
   まさるこの日は
   わが身も果てん〛
と詠んで、息も絶え絶えになってしまった。親は慌てて、子のためを思ってこそしたことなのだから、まさかほんとうに死んでしまうわけでもあるまいと思っているうちに、ほんとうに死にそうな様子なので、驚いて神仏に願をかけて祈った。男は日暮れごろ倒れて、翌日の晩にやっとのことで息を吹き返したということだ。
昔の若者は、いや、若い日にはこういうはげしい恋をしたものだが、今の大人は、この老いた身では、こんな恋ができようか。



〘⇒伊勢物語第40段《すける物思ひ》はどう訳されているか④
http://nobinyanmikeko.hatenadiary.jp/entry/2018/03/12/024034