つらつら思うこと

特にテーマは決めずに書きます

伊勢物語第40段《すける物思ひ》はどう訳されているか④

伊勢物語第40段《すける物思ひ》はどう訳されているか③
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【中野幸一[対訳古典シリーズ]1990年6月、旺文社】
★昔、男がまんざら悪くない女を好きになった。おせっかいをやく親がいて、深く思い込むようになってはいけないと言って、この女をよそへ追い出そうとする。とはいうものの、まだ追い出さないでいる。(男は)親がかりの身でまだ自分の意志を通す気力もないので、女を留める力もない。女も賤しい身分なので、抵抗する力がない。そうしているうちに女への思いはいやが上にも募っていく。突然親がこの女を追い払う。男は血の涙を流して悲しんだが、引き留めるすべもない。(家人が)女を連れて出て行ってしまった。男は泣きながら歌を詠んだ。

出でていなばたれか別れのかたからむありしにまさる今日は悲しも
(女が自分から去って行ったのなら、だれがこんなに別れをつらく感じるだろうか。無理やり連れ出されて行ったきょうは、これまでにもまして悲しいことだ。)

と詠んでこと切れた。親はあわててしまった。何と言おうが子供のことを思えばこそ言ったのに、まさかこれほどのことはあるまいと思っていたところ、本当に死んでしまったので、うろたえて神仏に祈願した。その日の日暮れごろ絶命して、次の日の戌の刻ごろになってやっと生き返ったのである。昔の若者はこんな一途な恋をしたものだ。今日の年寄り連中はどうしてこうした恋ができようか。


俵万智[少年少女古典文学館2]1991年10月、講談社
★むかし、若い男が、その家の召し使いである女に恋をした。びっくりするような美人というわけでもない。が、いちばん身近なところにいた女性でもあるし、いっしょうけんめい働いている姿に、男はたいそう心ひかれた。気が気でないのは、親のほうである。息子の初恋の相手を知るやいなや、本気になってしまってはまずいと考えた。身分がちがいすぎる。
「だいいち、この子はまだ女性を見る目ができていないんですよ。結婚したいのだと、みょうなことをいいださないうちに、あの娘にはやめてもらいましょう。」と母親。
「いや、しかし、あまり不自然な別れかたをさせるのも、どうかね……。」と父親。
息子は、まだ経済的にも自立していないうえ、けっこう親思いの青年だった。両親の考えにうすうす気づいてしまったので、強いことはいいだせない。召し使いの女のほうも、いつからか真剣に青年を愛するようになっていたが、身分のことを思うと、ただ涙がでてくるだけである。
そうこうしているうちに、ふたりの気持ちはどんどん高まってゆくばかり。はた目にもそれは明らかだった。
いよいよこれは、と思った親は、強硬な態度にでて、娘をくびにしてしまった。青年は血の涙をながしたが、彼女をひきとめる手だてなどない。かといって、いっしょに家をでる勇気も……。でてゆく彼女の背中を見て、泣く泣く一首、歌を詠んだ。

  心さめてわかれるのならつらくない熱い心で見送るつらさ

そしてショックのあまり、男はその場に気を失って倒れてしまった。ふたたび目をひらく気配もない。両親は、たいへんなあわてようである。そもそも、息子のためを思ってしたことなのに、それがもとで息子が倒れてしまってはなんにもならない。まさかこんなことになろうとは……。
いよいよ症状は悪化して、青年はほんとうに死んでしまうのではないかと思われるほど、衰弱してしまった。うろたえた親は、神仏に願をかけて祈った。すると、日没のころ最悪の状態だったのが、翌日の午後八時ごろになって、ようやく回復して息をふきかえした。
その後の、青年と娘のことは、きくだけ野暮というものである。むかしの青年というのは、こういういちずな恋をしたものであった。年老いてしまった者には、うらやましいような情熱である。


【倉本由布[21世紀によむ日本の古典3]2001年4月、ポプラ社
★むかし、若い男がいて、容姿などがそれほど悪くはない女のことを思っていました。ところが、その女は男の家の使用人だったのです。
よけいな口出しをする親がいて、その思いが深まりすぎてはいけないと心配して、女を追いだし、遠くへ行かせてしまおうとしました。
そうはいっても、まだじっさいに追いだしてはいません。男は、まだ親に世話をしてもらっている身なので、強くさからってまで女をとどめることができません。女も使用人なので、男の親にさからうことができないのです。そうしているあいだに、女への思いはさらに深くなっていきます。
すると突然、親が、女を追いだしてしまったのです。男は、涙を流してなげき悲しんだけれど、女を引きとめることができません。女は、親に命じられた者につれられ、出てゆきました。
男は、

出でていなば 誰か別の 難からん ありしにまさる 今日は悲しも
〈女が自分から出ていってしまったというのなら、こんなにも別れがたく思うことはないだろう。きっと、あきらめもつくはず。けれど、このように追いだされてしまったのでは、いままでのつらい思い以上に、きょうは悲しくてたまらないよ。〉

と、歌をよんで、気をうしなってしまいました。
親は、大あわてです。
子どもを思うからこそしたことですが、これほどのことになるとは思っていなかったのです。男がほんとうに気をうしなってしまったので、あわてふためき、神仏にすがって願かけをしました。
男は、日暮れごろに気をうしない、よく日の戌の時(午後八時ごろ)に、ようやく生きかえりました。
むかし、若者は、このように命がけの恋をしたものでした。分別くさい老人は、このような恋などけっしてしないでしょう。


高橋睦郎[すらすら読める伊勢物語]2004年12月、講談社
★かつて、若い男が家で使っている器量の悪くない女を愛するようになった。小うるさい親があって、出来心が本物の愛執になってはと心配して、この女を外へ追い出そうとする。そうはいっても、まだすぐには追い出さずにいる。男は親がかりの身ではあり、意志を通すほどの気力もなかったから、女をとどめておくいきおいもない。女も卑しい婢(はしため)の身分だから、抵抗する力もない。そういううちにも、二人の愛の思いはいやさらに募る。ある時急に親が女を追い出す。男は紅(くれない)の涙を流したけれども、引き止める手だてもない。人が女を連れて行ってしまった。男が泣きながら詠んだ歌は次のとおり。

出でていなば誰か別れの難からむ
ありしにまさる今日はかなしも
(女が自分で出て行ったのなら、どうして別れがつらかろう。けれども無理に連れ去られたのだから、同じ家にいながらなかなか会えなかった以前にもまして、今日は悲しくてしかたがない)

と詠んで息絶えてしまった。親はとり乱してしまった。やはり親としては子供のためを案じたからこそ言ったので、こんなことになるまいと思うのに、ほんとうに絶息してしまったので、うろたえて神仏に願を立てた。その日の日暮れごろに息絶え、翌る日の戌の時(午後八時)ごろ、やっと息を吹き返したのだった。かつての若者は、これほど一途の恋をしたものだ。当今の老人くさい若者などにこれほどの一途な恋ができようか。できはしまい。


【坂口由美子[ビギナーズ・クラシックス日本の古典/伊勢物語]2007年12月、角川学芸出版
むかし、若い男が、器量や人柄などが悪くはない召使いの女をいとしく思っていました。ところが男にはお節介を焼く親がいて、息子が惚れ込んでしまったら困ると思い、この女を他へ追い払おうとします。そうはいっても、まだすぐには追い払わずにいます。男は親がかりの身で、自分の考えを押し通す力がなかったので、女を引きとめる勢いがないのです。女も低い身分なので、抵抗する力がありません。そうこうしているうちにも、二人の愛情はますます燃え上がりました。それで急に、親が、この女を追い払いました。男は血の涙を流すけれども、引きとめる手段もありません。親に命じられた人が女を連れて行ってしまいました。男が泣く泣く詠んだ歌、

女が自分から出て行くのなら、誰が別れ難く思うだろうか(まだ諦めもつく。むりやり連れて行かれたのだから)。同じ家にいて逢えなかった今まで以上に、今日はなんとも悲しいなあ。

と詠んで息が絶えてしまったのでした。親はうろたえあわてました。やはり息子のことを思うからこそ意見したのに、まさかこのようなことにはなるまいと思ううちに、本当に息絶えてしまったので、取り乱して、神仏に願を立てました。今日の入相(=日没)の頃に息絶え、翌日の戌の刻(=今の午後八時)頃に、ようやく息を吹き返したのでした。むかしの若者(昔男)はこのような命がけの恋をしたものでした。今の翁(老人となった昔男)は、このような恋をするでしょうか、……もうそんな情熱はないでしょうね。


岡野弘彦[恋の王朝絵巻]2008年3月、淡交社
むかし、若い男が、心ばえも姿も悪くない女を思っていました。出しゃばりな女親があって、このままにしておいて、男が一層ふかく思いこんでは大変だと、この女をよそへ追いやろうとします。そうはいうものの、まだ追い出さないでいました。
男はまだ親がかりの身で、自分の意志を通すだけの気力もなかったので、女が追い出されるのをとどめることもできませんでした。女も召し使われている身分なので、抗う力もありません。そうこうしているうちに、思いはいよいよつのってゆきます。にわかに親はこの女を追い出してしまいました。男は血の涙を流して悲しんだけれど、女を引きとめるてだてがありません。女はつれ出されていってしまいました。そこで男が泣く泣く詠んだ歌。

出でていなば、誰かわかれの難からん。ありしにまさる今日はかなしも
女が自分から出ていったのなら、誰が別れがたいと思うだろう……(実は、無理に追い出されてしまったのだから)いままでにもまして、今日は悲しくてたまらないことよ。

と詠んで、悲嘆のあまり絶え入ってしまいました。親はすっかりあわてたことでした。何といっても、子のためと思ってしたことでしたが、こんなにひどくはあるまいと思っていたのに、真実、息が絶えてしまったから、親はうろたえて、神仏に願をかけました。今日の日暮れどきに息が絶えて、翌日の戌の刻(午後八時ころ)にやっと生き返りました。
(むかしの若者は、こんな一途なもの思いをしたことでした。いまの世は翁だって、こんな恋はとてもできません。)




《参考》
国立歴史民俗博物館蔵大島雅太郎氏旧蔵伝二条為氏筆本】[歴史的仮名遣に変換し、濁点・句読点を付した]
★むかし、わかきをとこけしからぬ人を思けり。さかしらするおやありて、おもひもぞつくとてこの女をほかへおひやらむとす。さこそいへ、まだおひやらず。ひとのこなれば、とゞむるいきほひなし。女もいやしければ、すまふちからなし。さるあひだに思ひはいやまさりにまさる。にはかにおやこの女をつひにおひつ。をとこちのなみだをながせどもさとるよしなし。さてゐていでぬ。をとこなく\/よめる。
  いとひてはたれかわかれのかたならん
  ありしにまさるけふはかなしも
とよみてたえいりにけり。なほざりに思てこそいひしか。いとかくしもあらじと思ふにまことにたえいりければ、まどひつらをふき願をたてけり。けふのいりあひばかりにたえいりて又の日のいぬのときばかりになんからうじていきいでたりける。女かへる人につけて
  いづくまでおくりはしつと人とはゞ
  あかぬなごりのなみだがはまで
とありけるをきゝてこそをとこはたえいりける。むかしのわかき人はさるすける物おもひをなむしける。


酒田市本間美術館蔵伝民部卿局筆本】[歴史的仮名遣に変換し、濁点・句読点を付した]
★昔、わかきをとこ、けしうあらぬ人をおもひけり。さかしらするおやありて、おもひもつくとて、この女をほかへならむといふ。人のこなれば、心のいきほひなくて、えとゞめず。をんなもいやしければ、すまふちからなし。さこそいへ、まだえやらずなるあひだに、思はいやまさりにまさる。おや、この女をおひいづ。男、ちのなみだをおとせど、とゞむるちからなし。つひにいぬれ、女、返人につけて
  いづこまでおくりはしつと人とはゞ
  あかぬわかれのなみだがはまで
をとこ、なく\/よめる
  いとひてはたれかわかれのかたからむ
  ありしにまさる今日はかなしな
とよみて、たえいりにけり。おやあはてにけり。なほざりにおもひてこそいひしか。いとかくしもあらじとおもふに、まことにたえいりたれば、まどひて願などたてけり。けふのいりあひばかりにたえいりて、またの日のいぬ時ばかりになむからうじていきいでたりける。昔のわか男は、かかるすけるものおもひなんしける。今のおきな、まさにしなむやは。



《備考》
❃これは伝為氏筆本の形が原形で「伝為氏筆本→伝民部卿局筆本→定家本」と変化したものか。
民部卿局筆本は話の順序を入れ替えてわかりやすくする一方で最後に『今のおきな、まさにしなむやは』を加えている。
また定家本は初期の建仁二年奥書本系以外は女の歌を削除している。女の歌を削除したのは賤しい雇われ女が歌を詠むような教養があるのは矛盾と考えたからか。

❃この女の歌は堤中納言物語の「はいずみ」にも出てくる。
成立時期から言っても伊勢物語の方が先であり、堤中納言物語はこの歌を家を追われた妻の歌として巧みに取り込んで最後の逆転劇への転換点にしている。