つらつら思うこと

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伊勢物語第4段の歌「月やあらぬ……」の訳の比較

(鉄心斎文庫蔵伊勢物語扇面書画帖より)
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先に伊勢物語第40段《すける物思ひ》の訳の比較を行ったが、第40段を収めていない訳本もあり又歌のみ訳を載せている校注本もあるので、さらに広く訳の比較をしたいと思い、第4段の歌「月やあらぬ春や昔のはるならぬ わが身ひとつはもとの身にして」の訳を比較してみる。この歌は古今和歌集にも入っているので古今和歌集の訳も含める。


❂月は去年(こぞ)のままにてり、春は昔のままの春ではないか。そしてわが身ひとつはもとのままであるが、ただたぐうべきひとのないのをどうしよう。そのためにすべてがかわってみえる。━━久松潜一改造文庫伊勢物語」(1930年、改造社
※1973年新学社刊再刊本に拠ったため現代かなづかいになっている。

❂月は昔の月でなからうか。春は昔の春でなからうか。それは二つながら昔のまゝのものなのだ。それなのに、私の體ひとつだけは、もとの身でありながら、昔のやうでもない事よ。━━光學館編輯部「精解國文叢書/伊勢物語」(1946年10月、光學館)

❂月は去年のままではないのか、去年のままである。春は去年のままの春ではないのか、去年のままである。しかし、我が身一つは、もとのわが身でありながら四圍の情況が一變して、實は去年のままのわが身ではない。戀しき人と語らつたわが身は、ただ去年のものであつて、今日のものではない。あゝ、女は居ない。女さへ居て呉れたら、我が身も去年のままであるものを。えゝ、何とせう。━━西義一「伊勢物語新釋」(1948年8月、有精堂)

❂月も花も昔のままであるが、しかも月色も異り、花の色も異る、ただわが身ばかり舊態依然としてゐる。━━西下經一「日本古典全書/古今和歌集」(1948年9月、朝日新聞社

❂今宵こゝに來てみると、月も春も皆去年のまゝで變ることはないのに、唯吾身一つは去年のまゝの身でありながら、去年まで逢つた人に逢わないで、異つた身となつたのを思うと、あゝ去年の春が戀しいよ。━━松尾聰「新註伊勢物語」(1952年5月、武蔵野書院

❂月は去年のまゝに照らし
 春は昔のまゝの春であるのに
 わが身ひとつはもとのわが身でありながら
 去年のまゝのわが身ではない。
 といふのは四邊ことごとく一變し
 あの人の姿はいくら探しても見あたらぬ。━━中河與一「角川文庫/伊勢物語」(1953年7月)

❂月は昔と同じ月ではないのか。春は昔と同じ春ではないのか。月も春もみな昔のままである筈なのだけれど、その月もその春の梅の花もすっかり去年とは違って見えます。ただ自分の身一つだけが昔のままなのです。━━大津有一「現代語譯日本古典文學全集/伊勢物語」(1954年3月、河出書房)

❂今夜ここに来て見れば月光といい春色といい昔と違っているであろうか、いや昔のままである。それなのに、わが身だけはもとのままながら恋しい人にも逢えない悲しい身の上になってしまった。━━池田亀鑑「伊勢物語精講」(1955年4月、學燈社

❂月も春も皆昔のままなのに、恋しい人だけは昔と違って今は逢えない。それに引きかえて自分の身だけは昔と変らず今ここに在る。昔が恋しい。━━大津有一・築島裕「日本古典文學大系9/伊勢物語」(1957年10月、岩波書店

❂月は違う月なのか、春は昔の春でないのか。わが身ひとつはもとの身であって、あたりの物はみな変わってしまっているような気がする。━━佐伯梅友「日本古典文學大系8/古今和歌集」(1958年3月、岩波書店

❂月は昔と同じ月ではないのか。春は昔と同じ春ではないのか。月も春もみな昔のままであるはずなのだけれど、その月も梅の花もすつかり去年と違つて見えます。ただ自分の身一つだけが昔のままなのです。━━大津有一「日本古典鑑賞講座5/伊勢物語」(1958年5月、角川書店

❂月も春も昔のままのものではないのであらうか。戀しい人の姿の見えぬ今は、すつかり去年のながめと感じを變へてしまった。だが私だけは元のままの身であるのに。━━南波浩「日本古典全書/伊勢物語」(1960年7月、朝日新聞社

❂月は昔のままの月ではないたろうか、昔のままの月である。春は昔のままの春でないだろうか、昔のままの春である。それなのにわが身だけはもとのままであってもとのままではなく、恋しい人にも逢えない悲しい身の上になってしまった。━━中谷孝雄「古典日本文学全集7王朝物語集」(1960年7月、筑摩書房

❂月は昔のままの月でないだろうか、春も又、昔のままの春でないだろうか、いずれも昔のままである。そのように我が身も又、過去とかわらぬ身なのに、あの人だけは、手のとどかぬ境遇に変ってしまったことです。━━山田清市「伊勢物語 影印付」(1967年4月、白帝社)

❂月は去年の月とちがうのか、春も去年の春とはちがうのか。私自身は何も変わっていないのに。━━上坂信男「伊勢物語評解」(1969年1月、有精堂)

❂月よ、お前は去年の月と違うのか。春よ、お前は去年の春ではないのかね。かくいう私の体はたしかにもとのままの体なのだが。━━小沢正夫「日本古典文学全集7古今和歌集」(1971年4月、小学館

❂月は昔ながらの月ではなかろうか。そしてまた春も昔の春ではなかろうか、月も春も昔と少しも変わらない。だのに、わが身ひとつはもとの境遇であって、あの恋しい人の境遇はもとと変わってしまったことだ。━━狩野尾義衛・中田武司「伊勢物語新解」(1971年5月、白帝社)

❂西の方、淡くかすむあの月は去年(こぞ)のそれとはまるっきり別なものなのだろうか、いや、月ばかりではなく、そもそも、この春そのものが、あのなつかしい昔の春とは別物なのであろうか、同じ月、同じ春のはずでありながら、あの人とながめ、語らったそれとはまるで異質のようなあじけなさだ、あの人を失った自分だけはもとのままに取り残されて……。━━森野宗明「講談社文庫/伊勢物語」(1972年8月、講談社

❂月は昔の月ではないのか、昔のままの月だ。春は昔の春ではないのか、昔のままの春だ。それなのに、変わった。わたくしの身一つはもとのままで、あの人はいないのだ。━━福井貞助「日本古典文学全集8伊勢物語」(1972年12月、小学館

❂私の身は去年のままなのに、心は深い悲しみにとざされているが、あの月は、(私が喜びにひたっていた)去年のままの月なのだろうか、それとも、(悲しみにとざされている今の私と同じく)去年とは異なる月なのだろうか。また、この春も、去年のままの春なのだろうか、それとも、去年とは異なる春なのだろうか(いったいどちらなのだろうか)。━━森本茂「伊勢物語全釈」(1973年7月、大学堂書店)

❂月は去年の月でないのか!春も去年の春ではないのか!まわりのすべて、変わらぬはずのものまで変わったような感じで、ただわが身だけが元の身のまま、取り残されたような気持ちがする。━━片桐洋一「鑑賞日本古典文学5伊勢物語」(1975年11月、角川書店

❂月も昔の月ではないのか、春も昔のままのあの春ではなくなったのか、自分だけがもとのままの我が身なのに……。━━中村真一郎「日本古典文庫伊勢物語」(1976年、河出書房新社

❂月は昔のままの月ではないのか。春は去年のままの春ではないのだろうか。自分の身だけは去年どおりで、すべてはすっかり変ってしまった。━━渡辺実「新潮日本古典集成/伊勢物語」(1976年7月、新潮社)

❂月はいったい昔の月ではないのか
 春はいったい昔の春ではないのか
 すべて変わってしまったような
 このむなしさ
 わが身だけはもとのままの身でとり残されて━━永井和子「対訳日本古典新書/伊勢物語」(1978年4月、創英社)

❂月は昔のままの月ではないのか、いや昔のままの月だ。春は昔のままの春ではないのか、昔のままの春だ。それなのに、私の身一つはもとのままであの人はいなくなってしまった。━━野口博久・関恒延・中野猛「武蔵野古典学習講座/伊勢物語」(1978年5月、武蔵野書院

❂ことしの月は昨年の月とはちがうのか。ことしの春は昨年の春とはちがうのか。ほんとうに、すべてがちがってしまった感じだ。ただ我が身だけが元のままに取り残されていて……。━━片桐洋一「図説日本の古典5伊勢物語」(1978年8月、集英社

❂月はちがう月なのか。春は過ぎた年の春ではないのか。私の身一つだけはもとのままの身であって、私以外のものはすっかり変ってしまったような気がするが__。━━阿部俊子講談社学術文庫伊勢物語(上)」(1979年8月、講談社

❂月が昔のままの月でない、春が昔のままの春でない、そんなことがあろうか__わが身だけが昔のままのわが身であって__━━石田穣二「角川文庫/新版伊勢物語」(1979年11月、角川書店

❂月は去年と同じ月ではないのか。春は去年と同じ春ではないのか。あの方がいないばかりに、すべてが変わってしまって我が身ひとつだけが去年そのままであるように思われることだよ。━━片桐洋一「全対訳日本古典新書/古今和歌集」(1980年6月、創英社)

❂月よ そなたは昔の月ではないのか
 春よ そなたも昔の春ではないのか
 自分ひとりは去年のままなのに
 すべてはかわってしまったのか━━田辺聖子「現代語訳伊勢物語」(1980年11月、学研プラス)

❂この月は去年と同じではないのか。梅の花が咲くこの春の景色は去年と同じではないのか。あの人がいない今、この私の身だけはもとのままの身で、すべてが変ってしまったように思われる。━━小町谷照彦「旺文社文庫/現代語対照古今和歌集」(1982年6月、旺文社)※2010年3月刊のちくま学芸文庫も同じ。

❂月は昔のままの月ではないのか、いや昔のままの月である。春は昔のままの春ではないのか、いや昔のままの春である。それなのに、わたしには何もかもが去年とすっかり違って見えるのだ。あの人がいなくなってしまったばっかりに。わたしだけが、あの人のことを思っては涙を流す、もとのままのわたしであって。━━吉岡曠「學燈文庫/伊勢物語」(1982年12月、學燈社

❂この月は昔の月と違うのであるか、否、昔のままの月である。この春は昔のままの春ではないのか、否、昔のままの春である。そして、私一人だけは昔のままの身であって(今年は相手の女性がいないのがまことに遺憾である)。━━久曽神昇「講談社学術文庫古今和歌集(三)」(1982年12月、講談社

❂月は昔の月ではないのか、昔のままの月だ。春は昔の春ではないのか、昔のままの春だ。それなのに、変った。私の身一つはもとのままで、あの人はいないのだ。━━福井貞助「完訳日本の古典10伊勢物語」(1983年2月、小学館

❂月は去年見た月と同じではないのだろうか。春は去年の春と同じではないのだろうか。いや、月も春も去年と同じである。それなのに、私の身は去年と同じでありながらも、あの人はもうここにはいないのだ。━━中野幸一・春田裕之「伊勢物語全釈」(1983年7月、武蔵野書院

❂月は去年のままの月か。春はむかし通りの春なのだろうか。自分だけがもとの身なのに、状況はすっかり変ってしまった。━━杉本苑子「古典を読む 伊勢物語」(1984年4月、岩波書店

❂月あれど 月あらず
 めぐる春とて 春ならず
 君のなければ 残る身の
 もとのままとて 何としょう━━大庭みな子「わたしの古典5/大庭みな子の伊勢物語」(1986年5月、集英社

❂月は、そして、春は、昔のままの月であり春であって、自然はやはり変らない。それに反して人は変っていくものなのに、どうしたことか、取り残されたように、わたくしのこの身だけがもと通りの状態であって…。━━小島憲之・新井栄蔵「新日本古典文学大系古今和歌集」(1989年2月、岩波書店

❂月は昔の月ではないのか。春も昔の春ではないのか。いや、昔のままなのだ。私の身だけはもとのままで、__あの人を失ったいまはすべてが違って見える。━━中野幸一「対訳古典シリーズ/伊勢物語」(1990年6月、旺文社)

❂おなじ月おなじ春ではなくなって
 おなじ心の我だけがいる━━俵万智「少年少女古典文学館/伊勢物語」(1991年10月、講談社

❂月は昔の月ではないのだろうか、春は昔の春ではないのだろうか、みな移ろい行ったようだ。私の身一つはもとのままなのに、あの人もいないのだ。━━福井貞助「新編日本古典文学全集12伊勢物語」(1994年12月、小学館

❂月は昔のままの月ではないのか。春は昔のままの春ではないのか。あのお方がここにいないとあっては、月も春も、昔とはまったく違ってしまっている。この私だけが去年そのままの身で、あのお方を恋いつづけている。━━秋山虔新日本古典文学大系17伊勢物語」(1997年1月、岩波書店

❂月はかつてと同じ月ではないのか。春はかつてと同じ春ではないのか。ここにいるわが身だけはもとのままのわが身なのに━━高橋睦郎「すらすら読める伊勢物語」(2004年12月、講談社

❂月はむかしのままの月ではないのだろうか。やっぱりむかしのままの月だ。春もまたむかしのままの春ではないのだろうか。やっぱりむかしと変わりない春だ。ところが人事の上では、自分の身ひとつはもとのままで、あの人の境遇はすっかり変わってしまって、逢うこともできない……
そう詠んで、夜がほのぼのと明けるころに、泣く泣く帰ってきたことでした。━━岡野弘彦「恋の王朝絵巻/伊勢物語」(2008年3月、淡交社

❂月はかつての月ではないのか。春は以前の春ではないのか。わが身一つはもとの身のままで。━━高田祐彦「角川ソフィア文庫/新版古今和歌集」(2009年6月、角川学芸出版




❄私の印象では森野宗明氏、秋山虔氏あたりが良いと思う。高田祐彦氏の訳って、これ訳になってないと思うが(´ω`)