つらつら思うこと

特にテーマは決めずに書きます

伊勢物語初段の『をいつきて』について

伊勢物語初段の

 かすかのゝわかむらさきのすり衣
 しのふのみたれかきりしられす
となむをいつきていひやりける
学習院大学蔵伝定家筆本)

の『をいつきて』をどう解釈するかは注釈書・参考書・訳書でもほぼ二つに分かれている。

〈以下は《》の部分が本文。[]の部分が校注・語釈。『』の部分が訳。〉


【A.『おいづきて』もしくは『おいつきて』と取る】

★大津有一
・「現代語譯日本古典文學全集/伊勢物語」(1954年3月、河出書房)━━『まるで大人のような口振で』
・「日本古典鑑賞講座/伊勢物語」(1958年5月、角川書店)━━《おいづきて》[大人めいて][ませた言いぶりで]『ませた言いぶりで』
・「岩波文庫伊勢物語」(1964年12月、岩波書店)━━《おいつきて》

★池田亀鑑
・「伊勢物語精講」(1955年4月、學燈社)━━《おいつきて》[老つきて][大人びて]『ませた口調で』
・「学燈文庫/伊勢物語」(1956年9月、学燈社)━━《おいつきて》[老つきて][大人びて]『ませた口調で』

★伴久美
・「伊勢物語の解釈と鑑賞」(1958年4月、有精堂)━━《おいづきて》[老つきて][大人びて]『ませた口調で』
・「伊勢物語に就きての研究/索引篇」(1961年12月、有精堂)━━《おいづきて(老い附きて)》

★山田清市
・「伊勢物語影印本付」(1967年4月、白帝社)━━《をいづきて》[大人めいた様][年のわりにませた言い方]
・「古典文庫/鉄心斎文庫本」(1979年10月、古典文庫)━━《をひづきて(伝為相筆本)》《をいづきて(承久三年奥書本)》

★上坂信男
・「伊勢物語評解」(1969年1月、有精堂)━━《おいつきて》[老成した態度と詠みぶりで]『老成した態度で』

★森野宗明
・「講談社文庫/伊勢物語」(1972年8月、講談社)━━《おいづきて》[老いづきて]『ませた口調で』

渡辺実
・「新潮日本古典集成/伊勢物語」(1976年7月、新潮社)━━《おいづきて》『経験をつんだ大人みたいに』

★永井和子
・「対訳日本古典新書/伊勢物語」(1978年4月、創英社)━━《おいづきて》[老いづく][ませた態度で]『大人びた口調で』
・「笠間文庫/伊勢物語」(2008年3月、笠間書院)━━《おいづきて》[老いづく][ませた態度で]『大人びた口調で』

石田穣
・「角川文庫/新版伊勢物語」(1979年11月、角川書店)━━《おいづきて》[老い付きて][大人ぶって]『大人ぶって』

田辺聖子
・「現代語訳日本の古典/伊勢物語」(1980年11月、学研)━━《おいづきて》『おとなびて』
・「集英社文庫伊勢物語」(1987年7月、集英社)━━『おとなびて』

★吉岡曠
・「学燈文庫/現代語訳伊勢物語」(1982年12月、学燈社)━━《老いづきて》『いっぱしの大人がするように』
・「現代語訳伊勢物語」(2005年11月、學燈社)━━《老いづきて》『いっぱしの大人がするように』

★坂口由美子
・「ビギナーズ・クラシックス日本の古典/伊勢物語」(2007年12月、角川学芸出版)━━《おいづきて》『いっぱしの大人ぶって』

★此島正年
・「伊勢物語要解/改訂版」(1955年、有精堂)━━《おいづきて》[老いづきて]『(年に似合わず)老成したふうで』

★橘誠
・「伊勢物語の文法と解釈」(1957年11月、学燈社)━━《おいづきて》[老いづきて][大人びて][年齢に似合わずませた言いぶりをすること]『ませた口調で』

★長瀬治
・「伊勢物語精解」(1958年4月、加藤中道館)━━《おいつきて》[老つきて][老成して][年令に似合わずませた口調で]『ませた口調で』

★小西宏
・「ニューメソッド国文対訳シリーズ/伊勢物語」(1959年6月、評論社)━━《おいづきて》[老いづいて][年に似合わずませて]『年に似合わずませた調子で』

日栄社編集所
・「要説伊勢物語」(1964年5月、日栄社)━━《老づきて》[ませた調子で][おとなびた態度で]『おとなびた口調で』

★三ツ木徳彦
・「伊勢物語精釈」(1965年5月、中道館)━━《おいづきて》[老づきて][年令に似合わずませた口調で]『年に似合わないませた言いぶりで』

坂本哲郎
・「明解古典学習シリーズ/伊勢物語」(1972年12月、三省堂)━━《おいつきて》[老いつきて][おとなびて]『おとなびた言いぶりで』

★野口博久・関恒延・中野猛
・「武蔵野古典学習講座/伊勢物語」(1978年5月、武蔵野書院)━━《おいつきて》[老い付きて][大人びて][老成して]『大人びて』

★原国人
・「伊勢物語新解釈」(1980年10月、有精堂)━━《おいづきて》[老づきて][老成した風で][経験を積んだ大人のように]『いかにも成人ぶって』

★中河與一
・「日本国民文学全集5/王朝物語集 Ⅰ /伊勢物語」(1956年6月、河出書房)━━『大人びて』

中村真一郎
・「豪華版日本文学全集第2集2/王朝物語集/伊勢物語」(1968年10月、河出書房新社)━━『大人っぽい口調で』
・「グラフィック版日本の古典3/伊勢物語」(1976年6月、世界文化社)━━『大人っぽい口調で』
・「新装版日本古典文庫7」(1988年3月、河出書房新社)━━『大人っぽい口調で』

★望月道子
・「ジュニア版古典文学4/伊勢物語」(1975年8月、ポプラ社)━━《老いづきて》『おとなびたいいぶりで』

俵万智
・「少年少女古典文学館2/伊勢物語」(1991年10月、講談社)━━『恋の経験をいくつもつんだ男のような歌いっぷりで』

★中谷孝雄
・「ちくま文庫伊勢物語」(1992年5月、筑摩書房)━━『ませた口調で』



【B.『おひつきて』もしくは『おひつぎて』と取る】

★藤井高尚
・「伊勢物語新譯」(1815年3月、1894年7月積善館)━━《おひつきて》「追付まゐらん」「やがての心なり」

★屋代弘賢
・「参考伊勢物語」(1817年仲春、1928年5月岩波書店)━━《をひつきて》

久松潜一
・「改造文庫伊勢物語」(1930年、改造社)━━《おひつぎて》『すぐさま』

武田祐吉
・「新編伊勢物語選」(1952年3月、明治書院)━━《おひつきて》[あとからすぐ]

★松尾聰
・「新註伊勢物語」(1952年5月、武蔵野書院)━━《おひつぎて》[追継ぎて][女を見るや否や追いつづけてすぐに]

★鈴木知太郎
・「古典文庫伊勢物語(天福本・谷森本)」(1952年11月、古典文庫)━━《をひつぎて》(天福本)《をいつぎて》(谷森本)
・「校註伊勢物語」(1971年4月、笠間書院)━━《おひつぎて》[すばやく]

★大津有一・築島裕
・「日本古典文学大系伊勢物語」(1957年10月、岩波書店)━━《をいつきて》[追ひ付きて][追ひ継ぎて]

★鈴木知太郎・田中宗作
・「伊勢物語付業平集」(1960年4月、桜楓社)━━《おひつぎて》[すばやく]

★南波浩
・「日本古典全書/伊勢物語」(1960年7月、朝日新聞社)━━《をいつぎて》[追ひ継ぎて][間髪を入れずすぐに]

★松尾聰・永井和子
・「校註伊勢物語」(1968年4月、笠間書院)━━《おひつきて》[追ひ付きて]

★中田武司
・「泉州伊勢物語の研究」(1968年11月、白帝社)━━《をいつきて》[女をみるとすぐに]

★片桐洋一
・「校注古典叢書/伊勢物語」(1971年3月、明治書院)━━《おひつきて》[追ひ継ぎて]
・「鑑賞日本古典文学/伊勢物語」(1975年11月、角川書店)━━《おひつきて》[追ひ継ぎて][すぐに][間をおかず続けて]『一気に続けて』
・「図説日本の古典5/伊勢物語」(1978年7月、集英社)━━『すぐさま』
・「異本対照伊勢物語」(1981年1月、和泉書院)━━《おいつぎて》

★中田武司・狩野尾義衛
・「伊勢物語新解」(1971年5月、白帝社)━━《追いつきて》『すぐに』

大野晋・辛嶋稔子
・「伊勢物語総索引」(1972年5月、明治書院)━━《おひつきて(追ひ付きて)》

★福井貞助
・「日本古典文学全集/伊勢物語」(1972年12月、小学館)━━《おひつきて》[追付きて(すぐに)]『すぐに』
・「完訳日本の古典/伊勢物語」(1983年2月、小学館)━━《おひつきて》[追付きて]『すぐに』
・「新編日本古典文学全集/伊勢物語」(1994年12月、小学館)━━《おひつきて》[追付きて(すぐに)]『すぐに』
・「日本の古典をよむ」(2008年5月、小学館)━━《おひつきて》『すぐに』

★森本茂
・「伊勢物語全釈」(1973年7月、大学堂書店)━━《をいつきて》[「おひつぎて」で続け書きすること]『(字を散らし書きにしないで)続け書きにして』

小林茂
・「影印校注古典叢書/伊勢物語」(1975年5月、新典社)━━《をいつきて》[後から追いかけて]

阿部俊子
・「講談社学術文庫伊勢物語(上)」(1979年8月、講談社)━━《おひつきて》[見るやいなやすぐに]『とたんに』

★中野幸一・春田裕之
・「伊勢物語全釈」(1983年7月、武蔵野書院)━━《おひつきて》[すぐに]『すぐに』

★中野幸一
・「対訳古典シリーズ/伊勢物語」(1990年6月、旺文社)━━《おひつきて》[すぐさま][時間をおかずに]『すぐさま』

★小澤彰
・「定本伊勢物語」(1992年1月、多摩書房)━━《おひつぎて》

★光學館編輯部
・「精解國文叢書/伊勢物語」(1946年10月、光學館)━━《おひつぎて》[後から][女をかいま見て少し後で引返して]『女を見て少し引返してから』

田村信
・「伊勢物語新解」(1963年4月、学修社)━━《おひつぎて》[ある行動に続けてすぐ]『追っかけて直ぐ』

★雨海博洋
・「文法全解伊勢物語」(1969年1月、旺文社)━━《をいつきて》[(女を見ると)すぐ]『すぐさま』

秋山虔堀内秀晃
・「伊勢物語」(1970年12月、昇龍堂)━━《追ひつきて》[間を置かずに、すぐに]『時を移さずに』

★郷衡・田尻嘉信
・「明解シリーズ/伊勢物語」(1972年11月、有朋堂)━━《をひつぎて》[女を見るとすぐに]『さっそく』

日栄社編集所
・「文法解説伊勢物語」(1973年4月、日栄社)━━《おひつきて》『とっさに』
・「新・要説伊勢物語」(1998年7月、日栄社)━━《追ひつきて》[(女を見るや)すぐに][間をおかずに]『とっさに』

★奥野光恵
・「国語 Ⅰ シリーズ/伊勢物語」(1982年5月、中道館)━━《おひつきて》[すぐに]『すぐに』

★春山要子
・「古典新釈シリーズ/伊勢物語」(1984年10月、中道館)━━《おひつきて》[すぐに]『すぐに』

★塚田義房
・「VITALS SERIES 伊勢物語解釈の基礎」(1986年3月、研数書院)━━《をいつきて》「女を見るとすぐに」『女を見るとすぐに』

★西谷元夫
・「精選古典/伊勢物語」(1986年6月、有朋堂)━━《おひつきて》[女の姿を見るとすぐに」『女の姿を見るとすぐに』
・「必読古典/伊勢物語」(1990年7月、有朋堂)━━《おひつきて》[女の姿を見るとすぐに]『女の姿を見るとすぐに』

小原孝
・「新明解古典シリーズ/伊勢物語」(1990年9月、三省堂)━━《をいつきて》[追いつくようにすぐに]『即興で』

吉井勇
・「新譯繪入伊勢物語」(1917年5月、阿蘭陀書房)━━『即興の』

★倉本由布
・「21世紀によむ日本の古典3/伊勢物語」(2001年4月、ポプラ社)━━『すぐに』

岡野弘彦
・「恋の王朝絵巻 伊勢物語」(2008年3月、淡交社)━━《おひつきて》『すぐさま』



またAかBかよく判らないものもある。

★西義一
・「伊勢物語新講」(1948年8月、有精堂)━━《おひつぎて》『ませた調子で』

★中河與一
・「角川文庫/伊勢物語」(1953年7月、角川書店)━━《おひつきて》[弱年のくせにませて]『まだ歳も若いくせに大人びて』

★中田武司
・「有精堂校注叢書/伊勢物語」(1986年9月、有精堂)━━《をひつぎて》[大人びて]

田辺聖子
・「GAKKEN MOOK 伊勢物語」(1988年8月、学研)━━《追ひつきて》『おとなびて』

高橋睦郎
・「すらすら読める伊勢物語」(2004年12月、講談社)━━《おいづきて》『とっさに』



なお「大庭みな子の伊勢物語」(大庭みな子、1986年、集英社)の訳は『……と書いたのだが……』となっていて『をいつきて』の部分はスルーしている。



伝定家筆本の原文は《をいつきて》。
定家仮名遣いでは『老い』は『おい』、『追ひ』は『をひ』と表記する。〈※歴史的仮名遣いでは『老い』は『おい』、『追ひ』は『おひ』〉
類聚名義抄でもオイ(老)のアクセントは平上で、オフ(追)は上平、ヲヒ(出)は上上だから、平音をオ、上音をヲと表記する定家仮名遣いと合致する。

伝定家筆本では88段の「つもれば人のおいとなる物」、97段の「おいらくのこむといふなる」は『おい』と書かれていて『をい』ではない。
〈※84段の「老ぬれば」は天福本では「老ぬれば」だが武田本は「おいぬれば」でやはり『おい』〉

一方「追う」の意味では、24段の「しりにたちてをひゆけど」、40段の「ほかへをひやらむとす」「この女をゝひうつ」は『をひ』だが、24段の「えをいつかで」、40段の「まだをいやらず」では『をい』と表記されていて『をひ』と『をい』が混用されている。

したがって、初段の『をいつきて』は少なくとも定家は『追ひつきて』の意味に取っていたと考えるべきだろう。

池田亀鑑「伊勢物語に就きての研究・校本篇」を見ても、『おひつきて』と書かれた本が一本(古本系伝肖柏筆本)あるものの『おいつきて』と表記された本は無い。
一方、『をひつきて』と表記された本は多数ある(武田本系伝尊応准后筆本、流布本系七海本、流布本系伝明融筆本、流布本系奈良京物語、流布本系片仮名書入れ本、古本系伝飛鳥井栄雅書入本)。
真名本は「……諾何云計留」となっていて『をいつきて』の部分は無い。
結局、定家本系以外でも『老いづきて』『老いつきて』説を裏づけるようなデータは皆無で、『追ひつきて』『追ひつぎて』説を支持するようなデータが圧倒している。

森野宗明氏のように伝本の表記からは「老い」に取るのは難しいと認めながらも意味の上では「老い」に取る方が自然と述べている人もいて、それはそれで森野氏の学者としての誠実さを感じるが、橘誠氏が「伊勢物語の文法と解釈」で述べたような『い』か『ひ』かだけを見て『を』と『お』の違いを無視するような暴論には賛同できない。

『追ひつきて』・『追ひつぎて』説の大半が「すぐに」の意味に取っている中で、森本茂氏が「続け書きにして」の意味に取っているのが目を引くが、それなりの根拠も示しているので一概に否定できない。

一方、ここを『をいつきて』とは全く違う語句で記している本もある。
実践女子大学蔵異本伊勢物語及び慶応大学蔵異本伊勢物語(この二つの写本の親本は同じ本で兄弟本になるようだ。親本は絵巻本で現存しないが、鎌倉時代の絵巻本と推定され、東京国立博物館蔵の伊勢物語絵巻の原本でもある。国立博物館蔵の絵巻は絵と詞の両方が模写されているが、実践本・慶大本は絵は省略されている。ただ本文部分は国立博物館蔵絵巻には脱落があり、実践本・慶大本の方が正確な模写とされる)では、ここは『家にきて(よめる)』となっている。表現としてはこの方が単純で判りやすく、この両写本が定家本6段の「これは二条のきさきの」以下を欠くなど伊勢物語の古態を伝える本と思われることも考えると、『家にきてよめる』が本来の文であった蓋然性も捨てがたい。