つらつら思うこと

特にテーマは決めずに書きます

助動詞『り』について②

助動詞『り』について①
http://nobinyanmikeko.hatenadiary.jp/entry/2018/05/30/151942




次に辞書の記述をみてみる。



❂時代別国語大辞典上代編(上代語辞典編修委員会編、代表:澤瀉久孝、1967年12月、三省堂

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完了「り」
   未然 連用 終止 連体 已然 命令
り ……ら  り  り  る  れ  れ
接続:四段は命令形
   サ変は未然形
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り(助動ラ変)動詞四段活用の命令形、およびサ変活用の連用形〈ママ、未然形の誤りか〉に接して、完了の意味をあらわすと説かれているが、本来、動詞連用形にアリが複合した形(たとえば、書クの場合、 kaki + ari > kakeri )からリだけを析出したものである。したがって、「玉づさの使のケれ(家礼)ば嬉しみと」(万3957)「我がケる(祁流)おすひの上に」(熱田縁起)のように、カ変活用のク(来)、上一段活用の着ルについても、同じ事情( ki+ari > keri )でケリという形が存在するが、ただこの場合は、来や着るのいわゆる活用形六つの中にケという形が立てられていないので、このリを助動詞として考えないだけである。四段活用・サ変活用の場合は、その連用形(ともに i 母音をもつ)にアリが結合し、 ia>e という音韻変化の結果新しく生まれた形が、たまたま四段活用の命令形(甲類エ列音をもつ)やサ変活用の未然形と一致するということにほかならない。このようにして助動詞リの意味としては、一つの動作や作用を状態的に述べるというべきであって、その点でいわゆる完了の助動詞に似たところがあるのである。
「西のみまやの門に立て[ら(良)]まし」(万3776)「けつの若子の籠らせ[り(利)]けむ」(舒明前紀)「吾がやどの萩の花[さけり(咲有)]」(万1621)「鮪がはたでに妻立て[り(理)]見ゆ」(記清寧)「かしこくも残し給へ[れ(礼)]」(万4111)「忘れ貝寄せ来て置け[れ(礼)]沖つ白波」(万3629)
【考】活用は当然のことながら、完全にラ行変格に一致し、各活用形の用法が揃っている。リを助動詞として立てず、動詞として考えようとする説があるが、その理由は上に説いたところからも明らかである。また、「筑波ねに雪かもふら[る(留)]否をかも愛しき児ろがにぬ(布)乾さ[る(流)]かも」(万3351)のように、東国語には四段活用の未然形に一致する形から接したれいが見えるが、これは、たとえば furi+aru>furaru と、母音連続にあたって i 母音が脱落した形であろうか。

❄この記述から、1967年以前に既に助動詞「り」を認めずに動詞の一部として考える説があったことが判るが、論文名・著者名は確認できず。

けり〈『け』は甲類〉[来有](動ラ変)来てここにいる。来(キ)=アリの約。…………「見まくほり思ふ間に玉づさの使のけれ(家礼)ばうれしみとあが待ち問ふに」(万3957)「雪消(げ)の道をなづみける(来有)かも」(万383)「蓑笠著ずてける(来有)人や誰」(万3125)

けり〈『け』は甲類〉[著有](動ラ変)着ている。身につけている。着(キ)=アリの約。「この我(あ)がける(家流)妹が衣の垢つく見れば」(万3667)「摺衣けり(著有)と夢(いめ)見つ」(万2621)「吾が背子がける(著)衣(きぬ)薄し」(万979)「宮の舎人も栲(たへ)の穂の麻衣けれ(服)ば夢かもうつつかもと」(万3324)



❂新訂詳解古語(佐藤定義編、1972年11月初版1982年10月新訂初版、明治書院
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付録 〈助動詞(34種)の総合整理〉より

●完了なのに連用形嫌いの一匹狼

完了 り:動詞型活用

未然 連用 終止 連体 已然 命令
ら  り  り  る  れ  れ

「り」の接続は特別であり、四段の命令形(已然形説あり)、サ変の未然形(命令形とも考えられる)に付く。これは「咲きあり→咲けり」「しあり→せり」と転じたものから「り」の部分を取り出したもの。
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り(助動ラ変型) ……ている。……てある。……た。……てしまう。主として存続の意を表すが、完了の意に用いられることもある。「のち見むと君が結べ[る](=結ンデイル)磐代(いはしろ)の子松がうれをまた見けむかも」〈万146〉「われ、ものの心を知れ[り]しより(=知ッテシマッテカラ)」〈方丈記
⦿㈠四段・サ変の動詞の連用形(たとえば「咲きあり→咲けり」「しあり→せり」のような母音融合によって成立した形から、「り」の部分を一語とみなして取り出したもの。
㈡「り」と「たり」とは、同じく「完了・存続」の意を表す助動詞と言われる。もっとも、「たり」は記紀の歌謡にはみえず、万葉集から現れ始め、中古以降大いに活躍する語であるが、「り」は古くから使われ、万葉時代にすでに“古語”であり、その後も現れてはいるが、古風な表現として使われることが多かった。
㈢「あり」の転じたものであるから、「り」は、ある動作が行われ、その結果が、現在も状態として存在している意を表し、また、動作が継続的に進行している意をも表す。これをまとめて「存続」という。なお、中古の中期ごろから、「たり」と同じようにとれる場合も現れてくる。なお、「たり」は「てあり」のつづまったもので、この「て」は接続助詞だが、もともと、助動詞「つ」の連用形が変質したのであるから、「り」に比べると、「て」を含む「たり」の方が、完了・確述の気持ちは強いとも説かれる。
㈣「り」はラ変動詞の活用をするが、命令形の例は少なく、未然・連用の二形も中古の初期を境としてほとんど姿を見せなくなり、中世以降は終止・連体二形が主として使われた。
㈤「咲きあり→咲けり」「しあり→せり」となったものから「り」だけを取り出し助動詞として扱うようになったのが、この「り」であるが、その上接部分は、万葉仮名による音韻の研究の結果からすると、「咲け」は、四段動詞の命令形と同じ音を表すことがわかった。また、「せり」の「せ」はサ変動詞と考えられ、この形を未然形と判断して、「助動詞『り』は、四段の命令形に、また、サ変の未然形に接続する」と結論づけている。ただし、古くは、サ変の命令形は「せ」だけで用いられてもいたので、「り」の上部も命令形とする考えがある。ところが、中古以降、四段動詞の命令形と已然形とに、かなづかいの区別がなくなり、サ変動詞の命令形も「せよ」の形が普通となるので、「『り』は四段の已然形、サ変の未然形に付く」と説く立場もある。なお、「り」を「たり」と同じような語と考えたらしいふしのある文献にあっては、「り」を連用形に付けることもあった。「花山院も位を降り、御年十九にて出家せさせおはしまし━━」〈宝物集三二〉

け・り【来り】(自ラ変)来ている。「たまづさの使ひの━━れば」〈万3957〉⦿カ変動詞「く」の連用形+ラ変動詞「あり」=「きあり」の約。

け・り【着り・著り】(自ラ変)着ている。「わが背子が━━る衣(きぬ)うすし」〈万979〉⦿上一段動詞「きる」の連用形+ラ変動詞「あり」=「きあり」の約。



❂岩波古語辞典(大野晋佐竹昭広・前田金五郎編、1974年12月初版1990年2月補訂版、岩波書店)〈※初版と補訂版とで若干記述に違いが見られるので、ここでは補訂版の記述を載せる〉

り 
 完了の助動詞と一般に名づけられている。しかし、本来は、動詞の動作・作用・状態の進行・持続を明確に示すのが役目で、アスペクトの一つである。
 「り」は、四段・サ変・カ変・上一段活用の動詞の連用形と、それを承ける「あり」との音韻の融合によって奈良時代以前に生じた形である。…………
〔接続〕「り」は従来は四段は已然形、サ変は未然形を承けると説かれたが、四段・サ変の動詞では、形の上ではともに命令形を承けたことが明らかになった。また、「り」はカ変・上一段の動詞にも接続する。
 まず、四段活用の動詞の場合、「咲きあり」「逢ひあり」「摘みあり」などが音韻変化して、「咲けり」「逢へり」「摘めり」のような形を生じたものである。ところがそれを動詞の活用形と見られる「咲け」「逢へ」「摘め」という部分と「り」とに切り離して、助動詞「り」と扱った。それがこの「り」である。この「咲け」「逢へ」「摘め」は已然形と認められ、「り」は四段活用動詞の已然形を承けると説かれて来た。しかし、奈良時代の万葉仮名の研究によって、当時の発音についての理解が深まり、奈良時代には、例えばケ・へ・メの発音には、 ke・Fe・me と kë・Fë・më との二種類の区別があったことが明らかになった。そこで、已然形の「咲け」「逢へ」「摘め」の「け」「へ」「め」の万葉仮名を調べると、kë・Fë・më という音であったことが判明した。ところが、「咲けり」「逢へり」「摘めり」などの「咲け」「逢へ」「摘め」の「け」「へ」「め」の部分の万葉仮名は ke・Fe・me に当るものであったこと、その ke・Fe・me 音は命令形の「咲け」「逢へ」「摘め」の語尾 ke・Fe・me と一致することが知られた。従って、「咲けり」「逢へり」「摘めり」などの「り」は音韻の形式の上だけからいえば奈良時代には四段活用動詞の命令形の下につくというべきであることになった。
 しかし、「咲け」「逢へ」「摘め」などという四段活用動詞の命令の機能の下に、さらに「り」が加わるということは考えられない。すでに述べたように「咲けり」「逢へり」「摘めり」という形は、「咲きあり」「逢ひあり」「摘みあり」の形がつまって成立したもので、sakiari→sakeri, aFiari→aFeri, tumiari→tumeri という音韻の変化の結果成立した sake, aFe, tume という部分が、命令形の sake, aFe, tume とたまたま同形になったにすぎないものである。
 サ変動詞「為(す)」については、その連用形「し」に「あり」が加わり、「せり」という形が生じた。この場合の「せ」という音節は、「為(す)」の活用「せ・し・す・する・すれ・せよ」の未然形なので、「り」はサ変動詞の未然形を承けると説かれてきた。しかし、サ変の場合も、「しあり」の音がつまって「せり」が成立したもので( siari→seri )、「せ」という未然形の機能に「り」が加わったというものではない。サ変の命令形「せよ」は、古形では「よ」を欠いて「せ」だけであったから、サ変についても、命令形の「せ」に「り」がついたとする方が四段活用との対比においては統一的な見方である。しかし、この場合にも、命令の機能を備えた「せ」に「り」が加わったのではなく、「しあり」のつまってできた「せり」の「せ」の部分が、たまたま命令形「せ」と語形が一致したにすぎないことを承知しておくことが肝要である。
 カ変動詞「来(く)」については、連用形「き」に「あり」が加わり「けり」( kiari→keri )という形が生じた。この場合の「け」という音節は「来(く)」の活用「こ・き・く・くる・くれ・こ」の中には見出されない。従って「来(け)り」はふつう、独立した別個の動詞とされ、その活用形(ママ、活用型の誤りか)は「ラ変」なのだとされている。しかし本来は、「ひさかたの雨の降る日をわが門に蓑笠着ずて来有(ける)人や誰」(万3125)のように、ケルはまさに来アルの約で、このように奈良時代には、カ変活用の「来(く)」の連用形「き」にも、「あり」が接続した(⇒1)。しかし、ここに生じた「けり」という形は奈良時代以後は亡びて、平安時代になると「来(く)」には「たり」が接続し、「きたり」というようになった。
 上一段活用の動詞「着る」の場合も、連用形「き」に「あり」が加わり、「けり」( kiari→keri )という形が生じた(⇒2)。この場合の「け」という音節は「着る」の活用「き・き・きる・きる・きれ・きよ」の中に見出されないので、「着(け)り」という語は別の動詞として取り扱われた。ただし、この形は、「来(け)り」と同じく奈良時代だけで亡び、平安時代には一般に使われなくなった。また、上一段活用の「見る」の連用形「み」に「あり」がついて融合した形「めり」もあった( miari→meri )。これは平安時代の助動詞「めり」の最も古い例である(⇒3)。これも別語として取り扱われて来ている。このように奈良時代には、上一段活用の動詞にも「あり」がついたのであるが、音の融合の結果、語幹の形が変り、語の同一性の認識が保ちにくくなったので、平安時代には、上一段活用の動詞には「たり」がつくように変った。
 以上見たように、奈良時代には、四段・サ変・カ変・上一段活用の場合に、その連用形に「あり」が接続した。これらの活用について共通な点は、それらの動詞の連用形の末尾の母音がみな〔i〕であることである。 i に a が加わると ia→e という音韻変化を起す。従って、 siari→seri, kiari→keri, miari→meri という変化によって、seri, keri, meri などの形を生じた。こう見れば、四段・サ変・カ変・上一段活用の動詞に「り」のつく理由がすべて統一的に理解される。しかし、ナ変の動詞には、「り」は続かない。それは、ナ変が「去(い)ぬ」「死ぬ」など、眼前から消え去って何処かへ行ってしまう意の動詞だけであるから、存続を意味する「あり」がその下につくことは、意味上矛盾するからであった。また、ラ変動詞は、本来すべて「あり」を含む語であるから、その下にさらに「あり」を重ねることはあり得なかった。
 最も古く上二段活用と下二段活用の動詞の連用形を承けるのは「り」ではなく、「たり」である。その理由は次のように考えられる。
 万葉仮名の研究によって明らかになったことであるが、上二段活用の連用形は母音が〔 ï 〕(例えば起き ökï 、尽き tukï など)で、四段・サ変・カ変・上一段活用の連用形の母音〔 i 〕と相違していた。下二段活用の連用形は、母音が〔 ë 〕(例えば上げ agë 、避け sakë など)であった。この ï と ë の音は起源的には ui → ï , öi→ ï , ai →ë のように二つの母音の連続がつまって生じたものと考えられるものである。それ故、もとの形に戻して考えると、「起きあり」「避けあり」という形は、 ököiari , sakaiari のようになる。ところが奈良時代以前の日本語では、二つの母音でさえ連続させることを避ける発音上の習慣が極めて厳重であった。従って ököiari ,sakaiari のような三重母音〈ママ、三連母音の誤りか〉の形、あるいはそれの変化形である ökïari , sakëari という形は発音上困難があったと思われる。そこでその連続する母音の間に助詞「て」をはさみ、「上げてあり」「避けてあり」「起きてあり」のような形を用い、はじめは「上げて」「避けて」「起きて」と「あり」との間に一区切り置いたものと思われる。それがつまって、「上げたり」「避けたり」「起きたり」などの形となったので、そこに「たり」という助動詞が成立した。従って上二段活用・下二段活用の下には「り」はつかず、「たり」が用いられたのである。
 このようにして、四段・サ変・カ変・上一段活用の動詞には「り」がつづき、上二段・下二段活用の動詞には「たり」がつくという原則が奈良時代から平安時代のはじめにかけて存在した。それ故、古い語法を忠実に伝えていく傾向のある漢文訓読体では、この「り」「たり」の用法をかなり忠実に伝承し、四段・サ変には「り」がつき、上二段・下二段には「たり」がついた。ただし、平安時代にはカ変・上一段には「たり」がつくように変化した。また、平安女流の仮名文学の系統では、次第に四段・サ変などの下にも「たり」が多く使われるようになり、「り」の使用は衰え減少して行った。その理由は次のように推定される。
 「たり」は助詞「て」と「あり」との複合である。ところが、助詞「て」は、あらゆる動詞の連用形を承けることができる。従って「てあり」の約である「たり」は、上二段・下二段活用の動詞だけでなく、上一段・カ変・サ変などにも使用の道を広げるようになった。その勢いは、四段活用にまで及び、一句の音節数を調える必要もあったのであろうが、はやく奈良時代万葉集にも「咲きたる」のように四段活用に「たり」のついた例も見える(⇒4)。「たり」の使用は平安時代には一層広まり、女流文学系の文章では「たり」は「り」の五倍から八倍の使用度数を持つようになった。それは「り」のつきうる動詞の種類に、前述のような制限があったこと、また四段以外の連用形に「あり」がついた場合には「来(き)あり→来(け)り」「着(き)あり→着(け)り」「見あり→めり」のように、もとの語幹の形とは全く変った語幹が出現し別の言葉のように意識されて、同源の一語であるという理解が困難になった。そういう言葉遣いは避けたいという心理がはたらき、もとの語幹の形を保ちながら持続および完了の意味を表わすためには、「り」を用いずに、どんな動詞にでも、その連用形に直接「たり」をつけてしまえば、統一的にすべての場合に適用できて、記憶がやさしい。
 以上の理由によって、「り」を使わずに「たり」に一本化するという傾向が奈良時代から始まり、ことに、平安時代の中頃から顕著になった。中世になると、「たり」は広く使われるようになったのに対し、「り」は衰滅の道を歩んだ。その結果、現代では「たり」の後身「た」だけが使われるようになったのである。

(1)「見まく欲り思ふ間にたまづさの使の[けれ]ばうれしみと吾が待ち問ふに」(万3957)「筑波嶺をよそのみ見つつありかねて雪消の道をなづみ来有[ける]かも」(万383)
(2)「わが旅は久しくあらしこの吾が[ける]妹が衣の垢着く見れば」(万3667)
(3)「をくさ男とをぐさすけ男としほ舟の並べて見ればをぐさ勝ち[めり]」(万3450)
(4)「久方の月は照り[たり]暇なく海人(あま)のいざりはともしあへり見ゆ」(万3672)「をみなへし咲き[たる]野辺を行きめぐり君を思ひ出たもとほり来ぬ」(万3944)

〔意味〕「り」も「たり」も存続・持続の意を示すのが本来の意味であった。しかし、動詞には、意味上、①時間的に持続・継続することがもともと当然であるものがある。例えば、「劣る」「まさる」「似る」「止まる」「思ふ」「生ふ」のごときである。これに対して、②時間的には、動作が瞬間的に一回ずつ完結するものがある。例えば「釣る」「摘む」「倒る」「出だす」「(歌を)よむ」「生む」のごときである。①を「り」「たり」が承けた場合は「……している」の意で、その状態のそのままの持続・存続の意を示すことが多く(⇒1)、②を「り」「たり」が承けた場合には、その動作が済んだ結果が、状態として存続している意を表わすことになる(⇒2)。このような場合の「り」は「つ」とほとんど同じ意味を表わすことになり、「つ」と「り」とを共存させる意味が薄くなる。その点からも「り」の使用は次第に衰えるに至った。

(1)「珠にぬくあふちを家に植ゑ[たら]ば(植エテオイタラ)山ほととぎす離(か)れず来むかも」(万3910)「うの花の咲く月たちぬほととぎす来鳴きとよめよふふみ[たり]とも(ツボミデイテモ)」(万4066)「梅の花夢に語らくみやび[たる]花と吾思ふ酒に浮かべこそ」(万852)「人もいやしからぬすぢに容貌(かたち)などねび[たれ]ど清げにて」(源氏・夕顔)「わが御かげの鏡台にうつれ[る]がいと清らなるを見給ひて」(源氏・末摘花)
(2)「花咲(ゑ)みににふぶに咲みて会はし[たる](オ会イシタ)今日をはじめて」(万4116)「紅の八塩に染めておこせ[たる](染メテヨコシタ)衣のすそもとほりてぬれぬ」(万4156)「山代の石田の森に心おそく手向けし[たれ]や(手向ケシタカラカ)妹に逢ひがたき」(万2856)「今の世の人もことごと目の前に見[たり]知り[たり]」(万894)「足引の山にも野にも御猟人さつ矢手挾み騒き[たり]見ゆ」(万927)「大宮の内にも外にもめづらしく触れ[る]大雪(降ッタ大雪)な踏みそね惜し」(万4285)「高やかなる荻につけて忍びてと宣へ[れ]ど(オッシャッタケレド)、とりあやまちて少将も見つけて」(源氏・夕顔)


け・り【来り】〘ラ変〙《キ(来)アリの約》来ている。「玉梓(たまづさ)の使の━━・れば、うれしみと吾が待ち問ふに」〈万3957〉 keri

け・り【着り】〘ラ変〙《キ(着)アリの約》着ている。「わがせこが━━・る衣(きぬ)うすし佐保風はいたくな吹きそ家に至るまで」〈万979)「錦綾に美しく服(け)れども」〈東大寺諷誦文稿〉keri



❄岩波古語辞典ではサ変への接続を命令形接続としているのが目立つ。現時点で確認したものではサ変にも命令形接続としているのは「基本古語辞典」(小西甚一)と岩波古語辞典のみ。一説としてサ変にも命令形接続説有りと書かれている辞書もあるが、全く無視している辞書も多い。
この問題ではこの岩波古語辞典が圧倒的に記述が詳しい。



⇒助動詞『り』について③
http://nobinyanmikeko.hatenadiary.jp/entry/2018/06/07/093024