つらつら思うこと

特にテーマは決めずに書きます

助動詞『り』について③

助動詞『り』について②
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❂例解古語辞典 第二版(佐伯梅友・森野宗明・小松英雄編著、1980年1月初版1985年1月2版、三省堂

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助動詞活用表〜ラ変型活用
  未然 連用 終止 連体 已然 命令
り……ら  り  り  る  れ  れ

接続:四段の命令形とサ変の未然形に
意味:完了 継続 結果の存続
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り〈助動ラ変型〉[用法]四段動詞の命令形、サ変動詞の未然形について、完了の助動詞とよばれるが、動作・作用・状態の存続・継続を表わすのがおおもとの用法であり、一般に、次の三つに類別されている。
❶動作・作用・状態が継続している意を表わす場合。
❷動作・作用の行なわれた結果の存続している意を表わす場合。
❸動作・作用がすでに終わっている意を表わす場合。

[用例]❶動作・作用・状態が引き続き継続している意を表わす場合。……ている。……てある。
(a)「奥山に立て[ら]ましかば、なぎさ漕ぐ舟木も今は紅葉してまし」〔拾遺・雑秋〕[解]琵琶湖で、舟が通るのを見て詠んだもの。「舟木」は、舟を造る材料の木。舟などに使われないで、ずっと今でも奥山に立ったままであったなら、この木も今ごろはきれいに紅葉したところだろうに、という意。「ら」は「り」の未然形。なお、『俊頼髄脳』という歌論書で、この和歌を取り上げ、舟の漕ぎ出るのを見て紅葉の和歌を詠もうなどとは普通の人なら思いもつかないだろう、と述べ、「思ひがけぬふしある歌」の例としている。

❄歌は〈拾遺和歌集1126〉恵慶法師の歌で「秋からさきにまかり侍て舟のまかりけるを見侍て」との詞書がある。「からさき」は琵琶湖岸の「唐崎」か。
なお「拾遺和歌集の研究」(片桐洋一著、1970年12月、大学堂書店)・「日本古典文学全集50/歌論集〜俊頼髄脳」(橋本不美男校注訳、1975年4月、小学館)はいずれも「紅葉しなまし」となっていて、「紅葉してまし」とする異本の存在は確認できなかった。

(b)「今宵はただに(=コノママ何モセズニタダ)臥し給へ[れ]」〔落窪一〕[解]命令形の例。おやすみになっていてください、の意。
(c)「(ソノ水車ハ)とかく直しけれど、つひに回らで、いたづらに立て[り]けり」〔徒然・51段〕[解]動かないままに、むなしくずっと立ち続けていた、ということ。「り」は連用形。
❷動作・作用の行なわれた結果が存続している意を表わす場合。……た。……ている。……てある。
(a)「後(のち)見むと(=後ニ見ヨウト)君が結べ[る]磐代の小松がうれ(=梢)をまた見けむかも」〔万葉ニ・146〕[解]斉明天皇の四年(658)、有間皇子は、謀反をくわだてたという嫌疑で紀伊の国へ護送され、絞首刑に処せられた。護送される途中、無事にもどれることを祈って、磐代という所で松を結び、「磐代の浜松が枝を引き結びま幸(さき)くあらば(=サイワイニ無事ダッタナラ)またかへり見む」〔万葉ニ・141〕と詠んだ。その作を念頭に置いて詠んだのがこの和歌。皇子が結んだその松は、ずっとそのまま結ばれたまま今に存するのである。しかし、それをふたたび見ようと願った皇子は、むなしく生命を断たれてしまった。結ぶという行為をした人はすでにこの世に存在しない。そういう思いが、この助動詞「り」と「けむ」とにこめられている。
(b)「行成大納言の額、兼行が書け[る]扉、あざやかに見ゆるぞ、あはれなる」〔徒然・25段〕[解]「行成」も「兼行」も能書家として知られているが、平安時代の人物で、とうの昔に故人になっている。しかし、彼らが筆をふるった結果は、歳月がたっても消滅することもなく、あざやかに残っているのである。
❸動作・作用がすでに終わっている意を表わす場合。……た。……てしまった。
(a)「浦島が子(=人名)の、七世の孫に会へ[り]しにも過ぎ」〔平家一・願立〕[解]「浦島が子」はいわゆる浦島太郎のこと、平安時代初期の『浦島子伝』には「尋ねて七世の孫にあはず」とある。それを逆用したのか、あるいは七世の孫に会ったという伝承もあったのかははっきりしない。どちらにしても、ずっと昔の浦島の話を引き合いに出して、浦島が七世の孫に会った以上に、ほんとうに久しぶりの珍らしい対面が実現したということを述べたもの。
(b)「天災を和ぐること、唐の貞観の帝の、蝗を飲め[り]ける政にも劣らざりけり」〔著聞集五〕[解]イナゴが大発生して人びとが困っていたとき、唐の太宗がイナゴをつかまえ、人民に罪があるならば、それは自分の責任であるから、人民を苦しませず、自分を害せよ、と言って、それを飲みこんだところ、イナゴの害が二度と起こらなかったという。作者の知らない中国で、その昔、太宗がイナゴを飲んでしまったということを、「り」の連用形に「けり」を付けて表現したもの。
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助動詞「り」の要説
[要説 A ]
 ラ変動詞の「あり」が四段活用およびサ変の連用形に付いた「咲きあり」「しあり」の類から変化した「咲けり」「せり」の「り」を助動詞として認めたもの。その場合、「咲け」の形を已然形とみるか命令形とみるかが問題になるが、上代では、四段などで、已然形と命令形とで、使用する万葉仮名に区別があり、「咲けり」のような場合には、命令形のほうの仮名と一致するので、その点からいえば、命令形接続ということになる。ただ、そうした仮名遣いの区別は、平安時代以後なくなるので、従来は、命令形の用法は命令表現に限ることとし、已然形に「り」が付くものとして扱われてきた。
[要説 B ]
 ❶❷❸と用法を分けておいたが、実際には、そのうちのどれか、決めかねるような例が多い。たとえば、
  不二の山を見れば、五月の晦日に、雪いと
 白う降れ[り]。〔伊勢・9段〕
という例は、これだけでは、現に盛んに降っている意ともとれるし、また、降り続いているというのではなくて、降った結果、消えずにそのまま降りつもっている意ともとれる。このすぐ次に、
  時知らぬ山は富士の嶺何時とてか鹿の子ま
 だらに雪の降るらむ
という和歌が記されており、「降るらむ」が、現に降っている光景を見ながらの推量だとすれば、前者の解がいいことになる。もっとも、「降るらむ」も、消えずに降りつもっている光景を見ての推量だと解することができないわけではなく、必ずしも絶対的な決め手とはなしにくい。こうした例は、随所にあるが、文脈をていねいにたどり、場面がどのようであるのかをよく考えてとらえるほかはない。いずれにしても、機械的に❶❷❸のどれかの決定を急ぐのではなくて、まず、どういう意味での存続であり、継続であるのかを、はっきりつかむように努力することが大切である。❶❷が中心であり、❸の確例とすべきものは少ない。
[要説 C ]
 未然形の「ら」に助動詞「む」の付いた「らむ」は、推量の助動詞「らむ」と混同されやすいので注意を要する。推量の「らむ」は、ラ変型の活用語には連体形、それ以外の活用語には終止形に付く。「り」に「む」の付いた「らむ」とは接続のしかたがまったく異なる点に注意すること。…………
[要説 D ]
 「り」は「たり」とともに、ラ変型の活用語には、普通付かない。ただし、まれに次のような例が見出だされる。
  ことの外に侍れ[り]けり。(=イヤア、
 大層オイシュウゴザイマス)。死したるを
 おろして(=庖丁ヲ入レテ肉ヲ切リ分ケテ)
 煎り焼きたるには、ことの外に増りたり。
 〔今昔一九・二〕
[要説 E ]
 四段活用の語に付く場合は、「たり」とかち合うことになるが、語によって、また、作品によってある種のかたよりがある…………。だが、時代が下るにつれて、「り」は衰退していき、「たり」が優勢になる。たとえば、四段活用の「給ふ」に付く場合は、『枕草子』や『源氏物語』あたりでは、「り」が用いられるのが普通であったのが、後には「たり」の進出が目立つようになる。「り」がもっとも活発に用いられていたのは、上代である。


小松英雄氏が主幹を務めた辞書だが、「日本語はなぜ変化するか」とは異なり、四段活用は命令形接続、サ変活用は未然形接続としている。
「日本語はなぜ変化するか」より20年ほど前に書かれているので、この間に考えを変えたということだろうか。
現在この辞書は絶版になっていて、改訂作業は中断したままになっているという。あるいは小松英雄氏は「日本語はなぜ変化するか」で述べた考えに沿って全面書き換えを断行しようとしたが三省堂側が難色を示しているということなのかも知れない。小松氏の年齢を考えるとこのまま改訂版は出ず終いになりそうだ。いつか誰かが小松氏の考えを受け継いで改訂版に取り組んでくれることに淡い期待をかけるしかない。



❂全訳古語例解辞典/第三版(北原保雄編、1987年1月初版1998年1月3版、小学館

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〈主要助動詞一覧表〉より

完了「り」

未然 連用 終止 連体 已然 命令
ら  り  り  る  れ  れ

接続:四段の命令形
   サ変の未然形

主な意味・用法:1 継続(テイル・テアル)
        2 存続(テイル・テアル)
        3 完了(タ)

例:吉野の里に降れ[る]白雪(古今)
  落人帰り来た[れ]り(平家)
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り〔助動ラ変型〕[接続]四段活用の動詞の命令形、サ変動詞の未然形に付く。

【完了】❶〘動作・作用が引き続いて行われている意(継続)を表す〙……ている。……し続けている。
[例]「春日野は今日はな焼きそ若草のつまもこもれ[り]我もこもれ[り]」〈古今・春上・17〉
[訳]春日野は今日だけは野焼きをしないでくれ、私の愛する人も隠れているし、私も隠れているのだ。
[例]「とかく直しけれど、つひに回らで、いたづらに立て[り]けり」〈徒然草・51〉
[訳](その水車は)あれこれと修理したけれど、とうとう回らないで、むなしく立ち続けていた。
❷〘動作・作用の結果が引き続き存在している意(結果の存続)を表す〙……てある。……ている。……た。
[例]「中の庭には、梅の花咲け[り]」〈土佐・二月九日〉
[訳]邸内の庭には、梅の花が咲いている。
[例]「富士の山を見れば、五月のつごもりに、雪いと白う降れ[り]」〈伊勢・9〉
[訳]富士の山をみると、五月の下旬なのに、雪がたいそう白く降り積もっている。
❸〘動作・作用がすでに終わっている意(完了)を表す〙……た。……てしまった。
[例]「人をやりて見するに、おほかた会へ[る]者なし」〈徒然草・50〉
[訳]人をやって見させるが、一向に(鬼に)会った者はいない。
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【要点】
(1)「つ」「ぬ」や「たり」とともに、一般に完了の助動詞と呼ばれているが、「り」と「たり」はもともと継続・存続の意を表す(❶❷の用法)助動詞で、完了の意を表す「つ」「ぬ」とは区別される。例も❶❷の用法に集中している。
(2)❶❷❸の用法の区別は絶対的なものではなく、どちらとも決めがたい例も多い。
(3)四段活用の動詞には已然形に付くと説明することもあるが、已然形接続説も命令形接続説も便宜的な説明でしかない。「り」はもともと、四段動詞・サ変動詞の連用形に「あり」が付いた形から成立したもので、例えば「咲けり」の場合、「咲きあり( sakiari )→咲けり( sakeri )」のように変化した「り」を助動詞と考えた時、残った「咲け」が偶然、已然形・命令形と同じ形であったというにすぎない。上代では、已然形「咲け」と命令形「咲け」の「け」が別の音であり、「咲けり」の「け」は命令形の音と一致するので、「り」を命令形接続としておいたが、このような音の違いは平安時代以降なくなるので、平安以降については決め手はない。
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け-り【来り】〔連語〕〘動詞「来(く)」の連用形「き」にラ変動詞「あり」の付いた「きあり」から変化した形〙来ている。来る。
[例]「玉梓の使ひの━━・れば」〈万葉・一七・3957〉
[訳]使いが来ているので。

け-り【着り】〔連語〕〘動詞「着る」の連用形「き」にラ変動詞「あり」の付いた「きあり」の変化した形〙着ている。着る。
[例]「我が背子が━━・る衣薄し佐保風はいたくな吹きそ家に至るまで」〈万葉・六・979〉
[訳]私の甥の着ている着物は薄い、佐保風よひどく吹かないでくれ、(彼が)家に帰り着くまでは。

Amazonのレビューで、この辞書が「り」は四段活用の命令形に接続するとしていることを挙げて、「この辞書は間違いだらけだ」と攻撃している人がいるが、実は今はほとんどの古語辞典が命令形接続と書いている。



❂旺文社全訳古語辞典/第三版(宮腰賢・桜井満・石井正己・小田勝篇、1990年11月初版2003年10月3版、旺文社)
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〈主要助動詞活用表〉より

完了:り

未然 連用 終止 連体 已然 命令
ら  り  り  る  れ  れ

活用型:ラ変型
接続:四段の已然形
   サ変の未然形

意味・用法:❶動作・作用が継続している意を
       表す。……ている。
      ❷動作・作用の結果が存続している
       意を表す。……ている。……てある。
      ❸動作・作用が完了した意を表す。
       ……てしまった。……た。

❄今では少数派になった「四段活用動詞には已然形接続」説をとっている辞書。

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り(助動ラ変型)
【意味・用法ガイド】
継続 ┃ ……ている。❶
存続 ┃ ……ている。……てある。❷
完了 ┃ ……てしまった。……た。❸
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❶動作・作用が継続している意を表す。……ている。
[土佐]『上中下、酔ひ飽きていとあやしく塩海のほとりにてあざれ合へ[り](終)』
[訳]上・中・下の身分の者が十分に酔って、たいそう不思議にも、(物が腐るはずのない塩辛い)海のほとりでふざけあっている。(「あざれ」は、「ふざける」「(魚肉などが)腐る」の二つの意があることをふまえたしゃれ)。
[落窪]『今宵はただに臥し給へ[れ](命)』
[訳]今夜は何もせずおやすみになっていて(ください)。
❷動作・作用の結果が存続している意を表す。……ている。……てある。
[万葉]一八・4150〈古典大系では4126〉『天の川橋渡せ[ら](未)ばその上(へ)ゆもい渡らさむを秋にあらずとも』
[訳]天の川に橋が渡してあるならば、その上を通ってもお渡りになるだろうに。秋でないにしても。
[文法]「い渡らさむを」の「さ」は上代の尊敬・親愛の助動詞「す」の未然形。
[古今]春上『袖ひちてむすびし水のこほれ[る](体)を春立つけふの風やとくらむ』
[訳]袖が濡れて、(そんなふうにして)手ですくった水が(冬になって)凍っていたのを、立春の今日の風がとかしているだろうか。(「むすび」は「掬び」と「結び」との掛詞。「春」に「張る」を、「立つ」に「裁つ」を同音で響かせ、「結ぶ」「はる(=張る)」「裁つ」「とく(=解く)」は「袖」の縁語)
[伊勢]101『瓶に花を挿せ[り](終)』
[訳]瓶に花が挿してある。
❸動作・作用が完了した意を表す。……てしまった。……た。
[土佐]『いと思ひの外なる人の言へ[れ](已)ば、人々あやしがる』
[訳]まったく意外な人が(歌を)詠んだので、人々が不思議がる。
[枕]184『大納言殿の参り給へ[る](体)なりけり』
[訳]大納言殿(=藤原伊周)が参上なさったのであった。
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【文法】
(1)「り」の意味
 「り」は「たり」と同じく、動作の実現・完了を表現する助動詞で、その動作がいつ起こるのかにはかかわりをもたない。したがって、
 「家づと(=家へのみやげ)に貝そ拾へ[る]
  浜波はいやしくしくに高く寄すれど」
 {[万葉]二〇・4435〈古典大系では4411〉}
 「沖つ波高く立つ日に会え[り]きと
  都の人は聞きてけむかも」
 {[万葉]一五・3697〈古典大系では3675〉}
 「かくしてや荒し男すらに(=勇敢な男でさえも、こうして)嘆き臥せ[ら]む」
 {[万葉]一七・3984〈古典大系では3962〉}
上の第一例は現在の事実、第二例は過去の「き」があって、過去の事実、第三例は推量の「む」があって、未来の事実に用いられているわけである。

(2)「り」と「たり」
 「り」と「たり」は、同様に完了の助動詞といわれる「つ」「ぬ」とは違って、動詞だけに付いて形容詞・形容動詞には付かない。これは、「り」「たり」が、確認など事柄の述べ方をも表す「つ」「ぬ」と異なって、動作の実現・完了だけを表す助動詞だということである。「り」と「たり」は、前者は動詞に「あり」が融合したものから、後者は「てあり」が融合したものから分離されたものであると考えられるにもかかわらず、意味上の差はない。
 「内侍のかみの、右大将藤原朝臣の四十賀しける
 時に、四季の絵かけ[る]うしろの屏風にかき
 [たり]けるうた」
 {[古今]賀・詞書}
のように、すぐそばで同じ動詞に用いられて、その間に意味の違いを見いだせないことも多い。

(3)
 「り」が四段・サ変動詞にしか接続しないという用法上の狭さがあったので、それを補う意味で、「たり」が生じたと考えられる。まず「り」が上代に盛行し、平安時代の中期を境に接続の自由な「たり」が優勢となる。平安時代の仮名文学作品では、「給へり」「思へり」などのきまった形が多いのであるが、それも後期になると「給ひたり」のような形が多く出るようになる。

(4)「り」の由来
 「り」は四段・サ変動詞の連用形に「あり」の付いたものの語尾を、便宜上、助動詞として扱ったものである。たとえば、「泣きあり」から生じた「泣けり」、「しあり」から生じた「せり」から「り」を分離して助動詞としたということである。だから、「着あり」から生じた「着(け)り」や「来あり」から生じた「来(け)り」の「り」もまったく同じ性質のものであるのに、分離した場合、残った「着(け)」「来(け)」が上一段活用の活用表には見られないという理由で分離せず、「着(け)り」「来(け)り」をラ変動詞として扱うということになっているのである。
 「わが旅は久しくあらしこの吾が[着(け)る]
 妹が衣の垢づく見れば」
 {[万葉]一五・3689〈古典大系では3667〉}
 「玉梓の使ひの[来(け)れ]ば(=来たので)
 うれしみと吾が待ち問ふに」
 {[万葉]一七・3979〈古典大系では3957〉}

❄この説明ではカ変動詞の「来」が上一段活用扱いになっていて、これは明らかに誤り。

(5)「り」の接続
 上代の仮名遣いの研究から、このような「り」は、四段・サ変動詞の命令形に付くといったほうがよいことがわかっているが、
上代にあった已然形と命令形の仮名遣いの区別が平安時代には消失したので、従来どおり四段動詞の已然形に接続するといっても、歴史的仮名遣いの上では矛盾をきたさない。それで、便宜上、四段動詞の已然形に接続すると説明しているのである。

❄これだと、上代の用例は命令形接続、中古以降の用例は已然形接続となって整合性を欠くのではないか?

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ら 助動詞「り」の未然形。
[万葉]一四・3524〈古典大系では3503〉
「安斉可潟(あぜかがた)潮干のゆたに思へ[ら]ばうけらが花の色に出めやも」
[訳]安斉可潟の潮の満ち干のようにゆったりと思っているならば、うけらの花のように顔色に出すだろうか(いや、出さない)。
[竹取]貴公子たちの求婚『ゆかしき物見せ給へ[ら]むに……仕うまつらむ』
[訳](私が)見たいと思う品物をお見せくださったような人に……お仕え申し上げよう。

り 助動詞「り」の連用形。
[伊勢]2『その女、世人にはまされ[り]けり』
[訳]その女は(容貌が)世間の人よりすぐれていた。

伊勢物語ではすぐその後に「その人かたちよりは心なむまさりたりける」とあるので、この訳はおかしい。

[更級]東山なる所『こ暗う繁れ[り]し木の葉ども残りなく散り乱れて』
[訳]うす暗くなるほど繁っていた数多くの木の葉が残らず散り乱れて。

る 助動詞「り」の連体形。
[万葉]八・1485〈古典大系では1481〉
『わが宿の花橘にほととぎす今こそ鳴かめ
友に逢へ[る]時』
[訳]私の家の花橘で、ほととぎすよ、今こそ鳴くがいい。友と会っているこのときに。
[徒然]107
『ほととぎすや聞き給へ[る]』
[訳]ほととぎす(の鳴き声)をお聞きになったか。⇒る【識別ボード】
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【識別ボード】「る」
①助動詞「る」の終止形
 「家の作りやうは夏をむねとすべし。冬はいかな
 る所にも住ま[る](=住むことができる)」
 {[徒然]55}
②助動詞「り」の連体形
 「袖ひちてむすびし水のこほれ[る]を(=凍っ
 ているのを)春立つけふの風やとくらむ」
 {[古今]春上}
③動詞(ラ変)の連体形語尾
 「わが旅は久しくあらしこの吾が着(け)[る]
 (=着ている)妹が衣の垢づく見れば」
 {[万葉]一五・3689〈古典大系では3667〉}
①は未然形接続。②は已然形接続。③は「着る」で一語。同類の語に「来(け)り」がある。
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れ 助動詞「り」の已然形。
{[万葉]一五・3720〈古典大系では3698〉『天ざかる鄙にも月は照れ[れ]ども妹そ遠くは別れ来にける』
[訳]この辺地にも月は照っているけれども、妻とは遠く別れて来てしまったことだ。(「天ざかる」は「鄙」にかかる枕詞)。
[古今]春上『あだなりと名にこそ立て[れ]桜花年にまれなる人も待ちけり』
[訳](散りやすく)移り気であると評判になっているが、桜の花は一年にたまにしか来ない人をも待っていたことだ。

れ 助動詞「り」の命令形。
{[万葉]一五・3773〈古典大系では3751〉}
『白栲の吾が下衣失はず持て[れ]わが背子直に逢ふまでに』
[訳]白い私の(あげた)下着を失くさないで持っていよ、あなたよ。直接逢うときまでも。
梁塵秘抄]『春の野に小屋かいたるやうにて突い立てる鉤蕨忍びて立て[れ]下衆に採らるな』
[訳]春の野に小屋を構えたように、(頭を下げて)突っ立っている鉤蕨よ、こっそりと立っていろ、身分の低い男に採られるな。
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け-り【来り】(自ラ変){ら・り・り・る・れ・れ}
カ変動詞「来(く)」の連用形「き」にラ変動詞「あり」の付いた「きあり」の転]来ている。来た。
{[万葉]一七・3979〈古典大系では3957〉}
『玉梓の使ひの━━・れ(已)ばうれしみと』
[訳](都から)使者が来ているので、うれしくて。(「玉梓の」は「使ひ」にかかる枕詞)

け-り【着り・著り】(他ラ変){ら・り・り・る・れ・れ}[上一段動詞「着る」の連用形「き」にラ変動詞「あり」の付いた「きあり」の転]着ている。
{[万葉]六・984〈古典大系では979〉}
『わが背子が━━・る(体)衣薄し佐保風はいたくな吹きそ家に至るまで』
[訳]私の甥(=家持)の着ている着物はうすい。佐保の風よ、ひどく吹かないでおくれ、家に着くまでは。

❄「転」は曖昧な表現なので「音韻変化」とした方が正確だと思う。




助動詞『り』について④
http://nobinyanmikeko.hatenadiary.jp/entry/2018/06/10/090107