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古語辞典比較〜前書・後書(4)基本古語辞典/改訂版〜最新詳解古語辞典

❄基本古語辞典/改訂版(小西甚一著、1966年3月初版1969年11月改訂初版1973年3月改訂4版、大修館書店)

【はじめに】
 古文の勉強にほんとうの意味で役だつ辞書がほしい━━ということを、高校の先生がたから、ずいぶん承った。古語辞典としていくつも刊行されている。しかし、高校生の学習にかならずしも最適とはいえないのだそうである。その理由は、第一に、不要な古語が多すぎることだという。つまり、つまり、専門の国文学者だってことによれば生涯ぶつからないかもしれない語の満載された辞書を高校生に推奨するのは、ほしくもない品まで抱き合わせで押しつけるようなもので、不当な浪費をしいる結果になるのではないか━━という苦情は、もっともだと思われる。
 第二の理由は、もっと重要である。それは、現在おこなわれている古語辞典では、質的に不足だというのである。つまり、古文教科書には、くわしい語釈が付けられており、ひとわたり通釈するためなら、わざわざ古語辞典なんか引く必要はない。しかも、引いてみたら、辞典の説明は教科書の脚注と同じだった━━というのでは、何のために辞典を持たせるのか、わけがわからない。脚注に示されている意味が、どこから出てくるのか、あるいは、よみかたや解釈に異説があるとき、ある説がなぜ正しいのか等を考えるため、積極的に拠り所を与えてくれるような辞書こそ、学習者にとって必要なのではないか。
 辞書というものは、一般に、語義と用例をできるだけ正確に示せばよいのであり、なぜこうよみ、こう解釈するかという議論まで持ちこむにはおよばない。しかし、学習辞典としては、必要な知識をなるべく親切に提供するのが、むしろ義務なのであって、「なるほど、そうなのか」という理解への協力こそ、辞書のいちばん眼目となるべきだろう。こんなふうに考えてくると、量的には適切な規模を、質的には豊富な解説を━━というのが、学習辞典としてどうしても無くてはいけないはずである。そんなことを考えたり話したりしているうち、自分がそれを実行しなくてはならない事態となり、この辞典が生まれた。着手したのは昭和三七年五月だから、あしかけ四年になる。
 その間、悪戦苦闘の連続であった。なぜそんなに苦労したかというと、すべてを根本からやり直したからである。参考のため、いくつかの古語辞典を調べてみたが、驚いたことに、語釈・用例ともに大部分は先行辞書のまる写しというのが多い。前の辞書が誤っていると、あとは右へならえ、同じ誤りがいつまでも写し継がれてゆく。「多くの辞書にこうなっているから……」ということは、残念ながら、拠り所にはなりえないようである。そのなかで、さすがに良心的だなと感心させられた古語辞典が、ひとつだけ存在する。わたくしは、その辞典に高い敬意をはらい、用例はすべてそれと違ったものをあげ(他に用例のない語は別として)、語釈も新しい言いまわしで押しとおした。
 これは、容易なことでなかったけれど、結果において、わたくしの辞典をかなり独創的なものにしてくれたらしい。従来のあらゆる古語辞典に見られない解釈が、そういったプロセスから生まれた。だから、学習辞典であるけれど、学術的には最高レベルから半ミリもさがっていないことを、あえて断言する。
 昭和四〇年一二月
著者しるす