つらつら思うこと

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市原悦子のこと その2

1965年11月、俳優座日生劇場で「ファウスト・第一部」を上演した。

ファウスト博士が平幹二朗、グレートヒェンが岩崎加根子メフィストフェレス千田是也小沢栄太郎のWキャストだった。確か昼と夜、一日二公演で、昼は千田是也、夜は小沢栄太郎だった。
私が観た時は千田是也メフィストフェレスだった。そしてこれが私が観た千田是也の最初で最後の演技になった。私が観た数日後に千田是也が舞台の階段から転落して骨折し、この後は車椅子生活になったので俳優としては再起できなかった。

千田是也が入院したので、劇団の運営権はNo.2の小沢栄太郎が握った。
小沢栄太郎千田是也とは考え方が異なり、既に決っていたブレヒト作品の公演を他の作品に差替えるなど娯楽路線を鮮明に打ち出した。

これに反発したのが中村敦夫原田芳雄市原悦子の若手トリオだった。さらに古参の松本克平らも加わって小沢栄太郎の路線を拒否したので、俳優座内は混乱し、結局小沢栄太郎とその右腕だった永井智雄が退団に追い込まれ、東野英治郎も退団寸前だったけれども残留した。息子の東野孝彦(英心)の立場も考慮したのかも知れない。

この俳優座の内紛で、市原悦子千田是也路線を支持して小沢栄太郎路線を拒否したことで、彼女が意外に硬派であることを知ってちょっと驚いた記憶がある。