つらつら思うこと

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『ねこ』の語源を考える⑫

『かな』の語源

 江戸時代の方言辞書「物類称呼」(越谷吾山著、1775年)にはこんな記述があります。

 「かなといふ事はむかしむさしの国金沢の文庫に 唐より書籍(しょじゃく)をとりよせて納めしに 船中の鼠ふせぎにねこを乗(のせ)て来る 其猫を金沢の唐ねこと称す 金沢を略して かな とぞ云ならはしける(中略)今も藤沢の駅わたりにて猫児(ねこのこ)を■〈口偏に羅〉(もら)ふに 其人何所(どこ)猫にてござると問へば 猫のぬし是は金沢猫なり と答るを常語とす」

 江戸時代の東国(関東地方)での猫の方言『かな』の語源は金沢文庫の『かな』なのだと書かれている訳ですが、この語源説には疑問があります。

金沢文庫創始者金沢実時ですが、金沢氏の姓は『かねざわ』であって、金沢文庫鎌倉時代には『かねざわ文庫』と呼ばれていました。
金沢文庫が創設され、盛んに利用された鎌倉時代、中国は元の時代で日本とは国交が無かった訳ですから、この時代に中国から書物を輸入したとは考えられません。
③「全国方言辞典」(東條操編、1951年、東京堂出版)によれば、猫を『かな』と呼ぶのは東国だけでなく、対馬でも『かな』と言う。

と言う訳で、『かな』の語源が金沢文庫の『かな』であるとは納得できませんので、『かな』の本当の語源は何なのかを考えてみようと思います。
 そこで、まず③の、関東と対馬という分布のしかたに注目しました。
 民俗学者柳田國男(1875〜1962)は論文「✱蝸牛考」において、カタツムリの方言の分布調査から、「京都を中心にデデムシ・デンデンムシ系の語彙が広がり、その外側にマイマイ系の方言があり、さらにその外側にカタツムリ系の方言地域がある」という結果を得る一方で、「倭名類聚鈔」には『加太豆不利(かたつぶり)』という表記があり、カタツムリが平安時代には都の言葉であったと考えられるところから、「かつて都の言葉であったカタツムリが、後から生まれた言葉マイマイによって都から駆逐されて方言になり、そのマイマイもさらに後から生まれた言葉デンデンムシによって都から追われて方言になった」と考え、このように都で生まれた新しい言葉が古い言葉を滅ぼしながら地方に広がってゆくという事が何度も繰り返されることによって都から遠く離れた西と東に同じ言葉が方言として残っているという現象が生じると説きました。

✱「蝸牛考」は1927年、「人類学雑誌」に初稿発表。1930年に改訂稿が、1943年に三訂稿が発表されています。現在、改訂稿が岩波文庫に、三訂稿がちくま文庫の「柳田國男全集19」に収められています。

 これは「方言周圏論」と呼ばれ、方言研究に初めて科学的実証的方法論を持ち込んだ論文として今日でも高く評価されています。
 京都を間に、遠く離れた関東と対馬で使われるという『かな』の分布は、まさに方言周圏論の典型のような分布です。このことから『かな』がもともとは都で生まれた言葉であり、非常に古い時代に都では使われなくなった言葉であろうと推定できます。
 先の全国方言辞典で『かな』の項を引くと、『かな』と呼ばれるのが猫だけではなく、いろいろな動物が『かな』と呼ばれているのが判ります。
  Ⓐかな=魚の雄(栃木県河内郡)
  Ⓑかな=鮭の雄(新潟県阿賀野川筋)
  Ⓒかな=蛇(福島県
  Ⓓかな=蚊(山梨県
  Ⓔかないむん=家畜(南島喜界島)
  Ⓕかなお=鮭の雄(北海道)
  Ⓖかながめ=やどかり(八丈島
  Ⓗかなぎ=めだか(秋田県仙北郡)
  Ⓘかなぎっちょ=かなへび(宮城県山形県米沢・新潟県・長野県北安曇郡
  Ⓙかなくび=とかげ(栃木県河内郡・群馬県勢多郡
  Ⓚかなこ=とうせみ蜻蛉(津軽
  Ⓛかなごろ=鰻の子(三重県志摩郡)
  Ⓜかなすずめ=鶺鴒(秋田県鹿角郡
  Ⓝかなちっち=鶺鴒(岩手県九戸郡
  Ⓞかなちょろ=とかげ(東国・佐渡
  Ⓟかなめ=めだか(長野県東筑摩郡
  Ⓠかなやま=しいら(佐賀県唐津
  Ⓡかなよ=蜉蝣(千葉県山武郡
  Ⓢかなんぼー=鹿(山梨県
  Ⓣかんなっちょ=こおろぎ(静岡県志太郡
  Ⓤかんなつぼ=鳰(愛知県碧海郡
  Ⓥかんなめ=鰻の子(愛知県知多郡
  Ⓦかんなめ=どじょうの子(愛知県東春日井郡
  Ⓧかんなん=大きい螢(福井県坂井郡
 このうちⒹとⓈは本体は『か』で、『な』は『ねこま』の章で述べた接尾辞の『な』であろうと思われます。Ⓔの『か』は家のこと、『な』は「~の」の意味の連体助詞だと思います。
 ⒶⒷⒻⓁⓆⓋⓌはいずれも魚ですが、一見『さかな』から語頭の『さ』が脱落した形のように見えますし、Ⓠの場合はそれに当てはまるかも知れませんが、ⒶⒷⒻがいずれも雄を指している事からみて、『な』が魚を意味し、『か』は男性を意味する『こ』の母音交替形であろうと思います。ⓁⓋⓌの場合は子供を意味する『こ』の母音交替形でしょう。
 またⒸⒽⒾⒿⓄⓅはいずれも身体が細長いという共通点があり、蛇を意味する『かな』、そしてそこから転じた糸を意味する『かな』に由来すると思われます。
 Ⓖの『かな』は『あな(穴)』の意味でしょうが、『かな』の方が『あな』よりも古い言葉なのかも知れません。
 ⓀⓇⓉⓍはいずれも昆虫なので、昆虫を意味する『かな』という言葉がかつてあったのかも知れません。
 こうして残ったのが、猫を意味する『かな』とⓂⓃⓊです。鶺鴒は古くは『にはくなぶり』と呼ばれていましたし、鳰はカイツブリの事で、古くは『にほどり』と呼ばれていました。この『には』『にほ』は『にへ(贄)』の被覆形で、『にへ』はもともとは「神に捧げる食物」の意味ですが、そこから転じて、『には』『にほ』は「神聖な」「めでたい」の意味で使われます。つまり鶺鴒もカイツブリも古来日本人に愛されてきた鳥なのです。
 『愛し』と書いて『かなし』と読むことがありますが、上代の『かなし』には「いとしい」「可愛い」という意味もありました。今日でも全国方言辞典によれば北海道松前地方・青森県・南島宮古島にはこの意味の『かなしい』という言葉が残っています。奄美を舞台にした流行歌「島育ち」の歌詞にある「かなも年ごろ」の『かな』が恋人を意味するのも、かつて奄美でも『かなしい』が「いとしい」「可愛い」の意味で使われていたからです。
 この「いとしい」「可愛い」の意味の『かなし』の語幹『かな』が、猫や鶺鴒やカイツブリを意味する『かな』の語源であろうと私は思います。