つらつら思うこと

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資料……猫関係⑨ 船乗りと猫

【これは以前にはてなハイクに書いたもののコピーです】



キャットライフ1981年11月号
特集 船乗りと猫
船のマスコット
大木卓 動物文化史研究家

船の鼠と猫

 船乗りの習慣や俗信に世界的な共通性があることはよく知られていますが、猫を船のマスコットとするのもその一つです。
 小さなパピルス舟に猫が乗っている絵は古代エジプトにあります。当時、新王国時代フェニキア海岸と行き来をしていたエジプトの大船にも猫が乗せられた可能性は十分あります。
 江戸時代後期、田宮仲宣の『愚雑爼』(1822年序、1833年刊)に、「大船には鼠多くあるものなり。往古仏経の舶来せし時、船中の鼠を防がんがために、猫を乗来る事あり。これ大蔵経に鼠の付を恐れて也」とあるのは、古代の文献の確証があることではありませんが、江戸時代に商船の積荷を鼠にかじられるのを防ぐため、猫が船に乗せられたことはあったのでしょう。
 ヨーロッパでも猫を商船に乗せたのは、かなり古くかららしく、1553年、ヴェニスからイェルサレム方面へ向かったフィラ・カヴェナ号の猫が海に落ちたのを、ボートを降して助けあげた記録があります。
 水木京太氏(『猫の飼ひ方』1940年)によると、英国の海上保険法では、船主が猫を船に乗り組ませないで積荷が鼠にやられた場合、荷主に対して弁償する義務があることになっていたそうです。

船霊様のお使い

 竹内貞一氏(『随筆犬と猫』1946年)によれば、氏の郷里遠州では、三毛の牡猫を船の守り本尊として、これを船霊様と呼んだということです。民俗学者倉田一郎氏(『民間伝承』4巻12号、1939年)は、三毛猫の牡が天候を予知するからというので、船乗りや漁夫の間で、船のマスコットとして珍重されている例は、日本全国的にかなり広く、関東の近海ではこれを船霊様のお使姫だという所がある。牡なのに姫というのは、使わしめの誤伝かも知れない、と述べています。たしかに、お使わしめ、というべきところを、お使い姫のようにいう地方は多いのです。船霊様は船の守り神で、ふつう女神だと考えられており、シケなど海難の危険も予報してくださるとされています。三毛猫の雄は、その船霊様の権化ないしはお使いとみなされていたのです。

三毛の雄猫

 三毛はふつう雌ばかりで、雄はきわめて稀であることはよく知られた事実で、それが珍重される理由になっており、魔除けになるとか、天気予報が特にうまいとかいわれます。
 明治時代に在日した英人日本研究家チェンバレンは、日本の猫の俗信について、三毛の雄猫は船乗りにとって縁起がよく、難破をまぬがれるということで、船長はいくら支払ってでもそれを手に入れると記しています。(B.H.Chamberlaim:Things Japanese, 5th ed.1905)。
 南方熊楠氏(Notes and Queries,12 Series No.13.1916.)も、言い伝えによると、往時日本の金持ちの船長たちは千両から三千両もの金を出してまで、三毛猫の雄を手に入れようとして張り合った。そんな法外な値を呼んだわけは、この猫が帆柱のてっぺんへのぼるとまちがいなく荒天の予兆と信ぜられていたからだ、と報告していますが、値段の方は少し大げさかも知れません。
 柳田国男氏(『随筆』1巻1号、1926年)は、三毛の雄について、海上風波の場合にこれを龍神に捧げると難破を免がれるという俗信があったと述べています(この問題については、本誌1980年2月号の拙稿参照)。
 そのほか盛岡市で採集された俗信に、海が荒れる時三毛猫の雄を舟に乗せると静かになる(『岩手の俗信』2集、1954年)とか、岡山県川上郡あたりでは、船中にて三毛猫の牡を飼えば魔がつかぬ(『川上郡誌』1920年)など、海からはなれた地方にもこの手の俗信はひろまっていて、つまりは船乗り仲間ばかりにしまっておけない性質のものであっただけに、内容の奇抜さと、実利もからんで、広く流布したらしいのです。
 今日なお三毛の雄猫を船のマスコットとする俗信は根強く、日本の特殊な動物に対する信仰の現存する例として著しいものです。
 1953年7月6日の『朝日新聞』によると、岩手県三陸海岸の大船渡市の農家にこのほど三毛の雄猫が生まれ、天候をピタリ当てるという言い伝えがあるだけに、漁港のこととて船主たちから譲渡の申し込みが殺到しているが、「値段より珍しいから」と飼主は手放したくない口ぶり云々とのことでした。
 1965年1月11日『毎日新聞』には、昨年4月、島根県松江市の東林寺に雄の三毛猫が生まれ、伝え聞いた船会社や漁港からマスコットにしたいからと、4万だ、5万だ、と買値をせりあげ、和尚をびっくりさせている、とありました。
 1967年に私の友人小林忠太郎氏が島根県出雲市で聞いてきた話では、漁師網元などは三毛猫の雄をいくら高い値を出しても買い、漁師はこのほか、黒猫、特に足のうらまでくろいのを喜ぶとのことでした。

黒猫

 日本では、このように船乗りのマスコットとして三毛の雄猫の信用は絶大で、一部では黒猫も尊重されているのですが、外国では一般に黒猫がありがたがられたようです。
 英国イングランド北部のヨーク州の港町スカーバラでは、船乗りのかみさんが家に黒猫を一ぴき飼う習慣があって、そうしていれば海上での夫の安全が保証されると考えられており、そんなわけで黒猫が払底して、飼っていてもすぐぬすまれてしまい、油断もすきもならなかったということです。(T.F.Thiselton Dyer:English Folk-lore.1878.)。この例などは、英国で一般に黒猫をマスコットとする俗信と、船乗りのそれとの接点のようにも考えられます。
 中国でもかなり古くから船乗りが猫を大事にしたらしいことは、明代、銭塘(浙江省)出身の瞿佑(くゆう)(1341〜1427年)の詩の一節に、
  海客徒能知黒暗
  舟人自愛畜烏圓
 とあることからもうかがえます。烏圓は、猫の異名とも、黒猫のことだともされていますが、この場合はどうも後の方を指しているのではないかと思われ、当時すでに中国で黒猫が船乗りのマスコットになっていた可能性があるわけで、また、もしかすると猫が方角を見定め、航路を教えるという俗信があったかのようにも見えます。
 日本でも黒猫が舟の道を教えたという言い伝えが、東京大田区の羽田にあった漁村に伝えられていました。

南極探検船の猫

1957年10月11日の『朝日新聞』に、「わが輩は南極のネコである」と題して写真入りで登場した三毛の雄猫タケシは、この年、南極観測船「宗谷」のマスコットとして乗船し、南極の昭和基地で越冬して有名になりました。南極といえば、英国海軍軍人スコットの1910年南極探検の際、木造機帆船テラ・ノヴァにネガという名の黒猫を乗せていたということです。このスコットの南極探検にヒントを得たと思われる少年文学に、日本では『南極へ行った猫』の訳名で知られる、米国のルスとラトローブ・カロル作『ロール・アンド・ゴー号のラック』があり、このメイン州の船のマスコットである灰虎の猫ラックが、船の中でそわそわしはじめ、室の床をかけまわったり壁にとびついたりするのが、あらしの来る前兆ということになっています。

軍艦の猫

 軍艦に猫をのせた例としては、ロシアのゴンチャロフの『軍艦パルラダ』(1852〜4年の、日本を含む東洋航海記)に、ワーシカという名の猫がこの艦に乗っていて、ペットになっていたことが記されています。
 須川邦彦氏(『動物文学』2輯、1934年)によると、「近代では、英国の軍艦でも水兵達が猫を飼って居る。欧州戦争中、独逸潜水艦に撃沈された英国軍艦の一水兵は、最愛の猫を頭に乗せて泳いで居た処を助けられた話がある」ということです。
 時の英国宰相チャーチルが、戦艦プリンス・オヴ・ウェイルズの甲板上で、艦のマスコットである黒猫(体の下側が少し白い)の頭をなでている有名な写真があります。1941年8月の撮影といいますから、この4ヵ月ばかり後にこの戦艦はマレー沖で最後をとげています。 

海難予知

 船のネズミが逃げ出すのは沈没の予兆という、知られた俗信は、猫の場合にも当然あって、須川氏(同上誌)は二例ばかりの話をあげています。その一つは、欧州大戦中スエズ運河河口のポートサイドに神戸棧橋会社の播磨丸が多数の外国船と碇泊中、一外国船の猫が逃げ込んできて、いくら戻してやってもまたやってくる。そうこうするうち、外国船の方は猫無しで出帆し、ほかの船と一しょに、どうやら地中海でドイツ潜水艦にやられたらしいが、播磨丸だけ無事だったのは、猫のおかげだと取沙汰されたそうです。
 今一つ、欧州大戦末の1918年10月2日に英国リヴァプール港を出帆して同14日にアイルランド南方でドイツ潜水艦に撃沈された日本郵船の平野丸の三毛猫の話は有名で、これも須川氏が紹介していますが、ここでは同船の乗組員で九死に一生を得た服部忠直氏(『科学画報』25巻8号、1936年)の回想記によって記しますと、今度の航海はあぶないという予感ははじめからあったそうですが、船が港を出た翌日「猫が居ない」と言ってさわぎ出した者がいる。船でマスコットにしていた三毛猫がいなくなったというのだ。これでいよいよヤラレることが決まったようなものだとの不安が船中にみなぎってきた。一体、船中でのこうした出来事は非常にきらわれ、きっとそれを裏書きするような事件が必ず起ると信ぜられている、と服部氏は述べています。遭難後、英国駆逐艦にたすけ上げられた同氏たちがリヴァプールへ引き返してみると、例の三毛猫は、前から碇泊していた僚船丹波丸に納まって船員たちをよろこばせていた。話を聞き、思い合わせると、平野丸の出帆前夜、危険を予知して安全な船に住みかえたものと思われる、というのが服部氏の感想でありました。
 出港前の平野丸の船員の間に、極度の不安な気分や挙動があったとしたならば、猫がそれを察知して脱出するということも考えられないではありません。いずれにしても、マスコットの猫が船から脱出することを忌む俗信があったわけで、また逆にほかから猫が船に入り込んでくるのは、これもネズミでいわれているように、縁起がよいとされたのでしょう。

船の猫の御利益

 船に猫を乗せた理由は、鼠の害を防いだり、ペットとして船中のつれづれのなぐさみ相手としたりなど、常識的なようとから、猫の天気予報その他の予兆能力の俗信に関連した、シケなどの海難の予知。さらには、船の安全を保証する守り神。ついには、海神への供犠獣など、とんでもない用途までありましたが、これらは 全部ひっくるめて、広い意味のマスコットの性格と考えられます。