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資料……猫関係⑱ 猫絵馬考

【これは以前にはてなハイクに書いたもののコピーです】



キャットライフ1982年9月号

随筆・猫の文化史33
猫絵馬考
大木卓 動物文化史研究家

 絵馬はその名称からも、また、静岡県伊場遺跡の奈良時代出土品からも、馬が古くからえがかれたことがわかりますが、後世いろいろな図柄が普及したなかにも、動物を表わした絵馬が少なくないのは、占ない、まじない、お祭りなどの場面で動物が果した役割の名残りなのかも知れません。
 絵馬には、有力な個人や団体が、祈願などのほか、信仰・奉加の心を顕示するために、名ある寺社の堂祠に掲げる、美術装飾的な価値も高い大絵馬と、庶民が個人的な願いをこめて供える質素な小絵馬とがあって、大絵馬は概して優れた絵師の一品作で、小絵馬の方は、絵馬職人にたのんでかかせ、絵馬ないしはその出来合を買い求めるか、または自分で作るもので、ふつう同じ図柄のものがたくさんあります。猫をかいた絵馬の多くは小絵馬ですが、大絵馬も少しはあります。

大絵馬

 猫の絵馬の中で大絵馬的なものとして知られるのは、京都市上京区出水(でみず)通六軒町西入ル光清寺弁財天堂に掲げられてきた絵馬で、もと伏見宮の鎮守玉照(たまてる)神社にあって、宝暦年間にここに移されたというから、いずれにせよかなりの古物で、直接には弁天さまとゆかりはないのかも知れませんが、牡丹花下に香箱をつくり、顔を左へまげて観る人の正面を向いているために、真向猫(まむきねこ)と呼ばれているこの猫は、夜中にぬけ出したという、よくある伝説も伴なっているくらい、かなり優れた作で、三味線の上達を願ってこの音曲の女神の堂に詣でる隣近の花街の生き弁天通を、その光る眼でどうにらんできたかは、およそ想像できます(京都新聞社、『京都・伝説散歩』1971年)。
 渡辺康芳氏の『ふくしまの絵馬』(1978年)によると、福島県須賀川市棚倉町の社寺に猫の絵馬があり、須賀川市中宿の鎌足神社には、香箱姿のぶち猫をえがいた明治30年の額絵馬が伝えられ、先年火災にあったということですから、現存しているかどうか知りませんが、大絵馬風のものでした。目的は明らかでありませんが、養蚕に関わっていたかと思います。

鼠除け

 『増訂最上郡史』(1929年)によると、山形県新庄町(市)の役場傍、御蔵稲荷はもと五日町(今、新庄市に入る)の御蔵所属の鼠除けの稲荷で、猫をえがいた額面がたくさん上り、それを蚕棚におけば鼠がかからぬとあって、庶民が養蚕時に借りる者が多く、返す時は二枚にして返したということです。この額絵馬の機能は、関東から中国地方に行われた猫石信仰(小著『猫の民俗学』1979年参照)のそれと同様で、また、この稲荷は、飛騨高山の陣屋稲荷(本誌7巻7号拙稿、1978年)がやはり御蔵の守護として信仰され、猫石の伝承を伴なっていたのと較べられます。
 絵馬研究家北条時宗氏(『ねこ』26号、1961年)は、東京都青梅市吉野梅郷の背後の山上にある、金比羅社に猫の絵馬があったと報告していますが、私が1969年に訪れた時には猫絵馬は見あたりませんでした。この社には養蚕の鼠除けのために猫の土偶を借りて返す猫石信仰流の習俗があったため、その節も数十個の猫の土偶を見ましたから、絵馬も同じ趣旨だったかと思います。

開運

 東京で最近まで猫絵馬が掲げられ、海外にまで紹介された著しい例に、世田谷区豪徳寺2丁目の豪徳寺境内猫塚があります。戦後1951年にはすでに行われていて、私が1969年におとずれた折もまだ存続しており、昭和43年とかかれた猫絵馬が上っていました。ふつうの小絵馬より大きく額ぶちつきのもので、ふちに「大願成就」と書いてあり、ここの猫絵馬の信仰は一般の心願の絵馬とほぼ同じで、この猫塚へあげる招き猫のそれとも共通であることは、図柄が招き猫である点からも察せられます。招き猫をあげるより少しく御念の入ったものといえましょう。もっとも、1978年にとぶろうた際には招き猫はたくさんありましたが、絵馬はもう一つも見あたりませんでした。
 谷真介氏(『歴史と人物』7巻11号、1977年)が1977年春に実見した徳島市八万町の王子神社は猫神さんと呼ばれて、社の壁板には猫の絵馬や画用紙にかかれた猫の絵がたくさんかけられ、招き猫の絵馬には「心願成就」、猫の絵には「高校入学」「中間テスト」などの文字がかいてあって、この猫神さんは、入試、開運、良縁の神として知られているということです。この八万王子社も前から招き猫をあげる社として有名でした。

夜泣き封じなど

 栃木県の日光東照宮門前町では今でも眠り猫の絵馬をお土産用に売っていますが、これは戦前からあったもので、また、この眠り猫の姿を画いて蚕室に貼れば鼠の害をさけるとか、居間に貼れば神経衰弱や不眠症にならない(『民間伝承』6巻6号、1941年)といいましたから、絵馬の方も同じ御利益をとなえていたかも知れません。いずれ眠り猫にかこつけたものと思われますが、子供の夜泣き封じに猫絵馬をあげる例もあるだけに、不眠症云々なども必ずしも的はずれではないのです。
 福井市宝永4丁目の神明神社境内の猫塚さんは、戦前猫絵馬があげられ、子供の夜泣きを止めるのに霊験があるというので若い母親の信仰が厚く、また花柳界の人の参詣も多く、満願の折には必ず猫絵馬を奉納することになっていたそうです(『福井県の伝説』1936年)。岸本彩星氏(『上方』50号、1935年)によると、大阪市西区西長堀橘神社、通称猫稲荷も幼児の夜泣き封じの願をかける習慣がありましたが、ここにも明治17年奉納の猫絵馬があったということです。

和合

 北条時宗氏(『ねこ』26号)によると、戦前、宮城県仙台市の大崎八幡(八幡町4丁目)あたりに睦み猫の絵馬がよく見られ、夫婦和合のお礼にあげたものらしい。故北条氏の蒐集かと思われるその現物は現在東京の中野区史料館にあり、同館資料叢書第7号『絵馬写真集』(1972年)および『銀花』29号(1977年)に写真がでていて、香箱をくんだ猫と犬つくばいの猫各1ぴき、計2ひきの赤い首玉をしめた斑の猫がえがかれ、昭和3年1月の日付けがあります。
 以上は、人間を対象とした祈願内容のものですが、猫を対象としたものもあります。

家出猫の帰還など

 家出猫の帰還を願って猫絵馬を奉納した例は、東京日本橋堀留の三光稲荷、岡山市田町の蓮昌寺猫塚などがあり、これも小著『猫の民俗学』に述べました。
 岩手県水沢市あたりでは、養蚕に猫が関わってきましたが、その大切な猫がよく育つように神社に猫絵馬を納めたりしたものだそうです(『水沢市史』6民俗、1978年)。

供養

 石子順造氏の『小絵馬図鑑』(1972年)には、栃木県小山の猫絵馬の一例がでていて、つくばい猫の上に奉納の二字、右に南無妙法蓮華経、左に五月一日、施主、男性らしい姓名、五二という施主の年令が記されています。ここのは猫一切の祈願ということですが、この一例などはお題目と施主の姓名が記されていることから、このあたりで犬猫の供養のために犬そとばを立てることと似たような心持ちから奉納したものでしょう。
 今一つ石子氏の図譜には、埼玉県飯能の一例があり、ぶち猫が西瓜のように見える球の上にだきついている図柄で、もしこの物体が瓜のたぐいだとすれば、猫と南瓜の昔話が想い起され、やはり供養の意味の絵馬かとも考えられますが確かではありません。

神送り

 青森県津軽地方の猫絵馬はかなり前からよく知られていて、武井武雄氏の『日本郷土玩具』東の部(1930年)にも弘前の猫絵馬として紹介されています。宮園の八幡宮、銅屋町の最勝院など弘前市の主要な寺社にあげられました。松野武雄氏の「津軽の絵馬」(『旅と伝説』3巻10号、1930年)には、明治31年旧10月7日の日付の猫絵馬一例があって、図柄はすり臼の上にぶち猫が乗っているもので、文面などから判断すると、猫の霊を絵馬に託し寺社にゆだねて送る意味合のようです。そこで弘前を中心とした津軽の小絵馬は一般のそれとは性質が少し違っていると見られています(柳田国男氏、『旅と伝説』7巻7号)が、本来はこのような神送りの意味が、絵馬の元の意味に近いのかも知れません。