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資料……猫関係㉒ 猫の日本画史(古代篇)

【これは以前にはてなハイクに書いたもののコピーです】



キャットライフ1983年10月号

随筆・猫の文化史46
猫の日本画史(古代篇)
大木卓 動物文化史研究家

 日本の絵画に猫が登場するのは平安時代後期からです。今回はそれから鎌倉時代末頃までの古い猫の絵の話題を拾ってみましょう。この時代の日本の絵にはまだ猫を主題として独立した作品はありません。

三十六人家集

 京都の西本願寺に所蔵されている国宝、西本願寺本『三十六人家集』は平安後期の豪華本歌集で、その中の一帖、「能宣(よしのぶ)集」上の下絵に猫が1ぴきえがかれています。この歌集の装丁は粘葉装(でっちょうそう)といって、本文は一枚の紙を二つに折り、その折り目の外側に5,6ミリ幅で糊をつけて次つぎに同様に二つ折りにした紙をはって連ねていったもので、一枚の紙が四ページになるわけですが、「能宣集」上の猫の絵は表紙につづく第一枚めの紙の終り(4ページめ、但し文章がかかれているのは3ページから)の下端左寄りに墨でえがかれ、猫は長さ3センチちょっとで、小さいうえに、本文の文字の墨書が上に重なっていて見えにくいのですが、かわいらしい童女が猫を抱こうとしている様子が、優雅な筆致でえがかれ、猫を愛玩する風俗がよく表現されています。本文の筆写を1109〜1112年と推定する説が正しいとすると、これが日本最古の猫の絵ということになるかも知れません。黒白斑の猫のようです。

高山寺絵巻

 京都栂尾の高山寺に伝えられた国宝『高山寺絵巻』は現在四巻あって、その第一巻(甲巻ともいう)は、いわゆる『鳥獣戯画』として名高く、12世紀中頃の作とされ、開巻こら野兎、猿、鹿、狐、蛙、猪などの日本産の動物が登場なかを2/3ばかり進んだところに、立烏帽子をかぶり扇を持って長いひげをはやかした長尾の虎猫が後足で立ってあとをふりかえりながら気どって歩いている姿が現れます。その手前(画面の下部)に立つ兎のかげから、鼠が恐るおそる猫の方をのぞいて見ていて、猫と鼠はそうした関係ですでによく知られていたわけです。この絵巻は墨だけでかかれた白描なので毛色などはわかりませんが、多分キジ猫をかいたのでしょう。
 この第一巻には猫が3びきいるという説もありますが、それはまちがいで1ぴきだけです。この猫より後の方に、一見猫みたいな獣が2ひきいることはいますが、確かに猫である烏帽子姿のとくらべると、目、尻尾その他の表現に大差があって、とうてい同じ種類の獣をかいたとは思えません。殊にこのすぐ後、衣を着たヤマドリらしい鳥のうしろで左手を額にかざして立っている小さな獣を、手まねきしている小猫と見る人が多いようですが、これはテンかイタチです。鼬の目陰(まかげ)と言って、イタチがこのような動作をするということは『源氏物語』にもでているので、多分イタチのつもりでかいたと思われます。終りの方にでる珠数をくる獣も同じでしょう。
 もっとも、現在の第一巻には3ヵ所で絵のつながらない部分があり、殊に前半は、猫のでてくる後半とはもと別仕立ての巻物で、しかもまだその前につづく同じくらいの長さの絵と一しょに独立の一巻になっていたはずであることがほぼ明らかになっています。しかもその前の部分に当る住吉模本と呼ばれる江戸時代の写しには、今の第一巻の猫に似た、立烏帽子をつけて右手に扇を持って立つ長尾の虎猫がでてきます。左手には盃らしい器をささげていて、一ぱいきげんみたいです。この部分の原本の行方は知れませんが、『高山寺絵巻』には、今の第一巻と後で述べる第三巻の猫のほかに、少なくとももう1ぴき猫がいたと考えられるのです。第一巻の前半と後半は相前後してかかれたと考えられ、画家も同派ではあるが別人だと見る説がかなり有力視されるようになっています。その場合、絵の出来からみて、前半の作者は後半の絵をまねて後からかいたとする見方があります。
 『高山寺絵巻』の第三巻(丙巻)は、『人物鳥獣画巻』とも呼ばれているように、前半の人物を主とした部分と後半の動物を主役とした部分とでは、主題も筆致も明らかにちがっていて、元来は別べつの巻物であって筆者も異なることは確実です。後半は第一巻に主題が似て登場する動物もほぼ同じで、後半の部分の真中よりちょっと後にやはり猫が1ぴき現れます。香箱をつくった虎猫で、まわりにいる蛙、狐などと一しょに、木の葉の冠り物をつけています。第三巻後半は鎌倉時代13世紀の作とみられています。その巻末に秘蔵すべき絵本であるということを記した建長5年(1253年)5月の奥書がありますが、この奥書はもと第二巻についていたのではないかとの説もあり、この巻の出来がそれ以前だという証拠にはなりにくいようです。
 『高山寺絵巻』は鳥羽僧正覚猷(1053〜1140年)の筆と伝えられていますが、確証はありません。特に覚猷の時代にほぼ見合うと考えられているのは第一、二巻だけです。技法からみても猫がでてくる第一巻と第三巻後半とは別人の筆と見られ、そのことは猫のかき方についても明らかに言えます。

信貴山縁起

 奈良県生駒郡朝護孫子寺蔵の国宝『信貴山縁起』絵巻は延喜(10世紀初)の頃、大和の信貴山に籠って朝護孫子寺を興したという信濃の国のひじり命蓮の奇蹟をえがいた平安通後期作の三巻の絵巻物で、その下巻「尼公巻」と呼ばれている巻に猫が1ぴきでます。
 年老いた姉の尼公が20年あまり前に大和へでかけたきり消息の知れない弟の命運をたずねて、信濃を旅立ち大和へ向かう道すがら、とある民家の入口の敷居に腰を休めてものをたずねている。その家の土間の奥、座敷へ上る縁の板の上に、1ぴきの黒白斑の猫が目を開いて寝そべっています(猫の長さ2.5センチくらい)。この巻の二段ある絵の、第一段の中ほどに出ており、奈良へ入る伊賀か山辺あたりの山路にかかる手前の場面で、猫のいる家は、いくらか暮し向きもよい方かと思われる板ぶき屋根の民家。表の道には2ひきの犬がうろつき、見なれない尼公と供の者に向かって吠えているのを、家の主らしい男が窓からのり出して追っています。のどかな里の風景で、猫は内、犬は外の住み分けが平安時代にすでに成立していたことがわかります。
 この絵巻も鳥羽僧正の作と伝えられていますが、現在では覚猷の筆ではないという見方が強いようです。猫のかき方でも、その特徴のとらえ方が『高山寺絵巻』のそれとちがっていて、筆者が同じでないことだけは確かです。『信貴山縁起』絵巻の製作年代を1180年の東大寺大仏殿炎上以前とするのはほぼまちがいないようで、大体、12世紀中頃から後期とみられています。

春日権現験記

 宮内庁蔵の御物『春日権現験記(かすがごんげんげんき)』絵薪は鎌倉後期の延慶2年(1309年)に左大臣西園寺公衡(さいおんじきんひら)が絵所預(えどころあずかり)の高階隆兼とおそらくその配下の絵所の絵師たちにかかせて春日神社に奉納した全20巻の絵巻物ですが、その巻6第3段に猫が1ぴきでてきます。場面はやはり庶民の家で、畳の間に接した板の間に切ってあるいろりばたの、土間側の板の間、後の世に猫の横座などと呼ばれたあたりに、ちゃんと香箱を作っています。向うむきにかいてあるので顔はわかりませんが、尻尾は長いことがわかります。茶黒っぽい色でキジ毛のようです。この時代、すでに日本の猫はいろりばたに座を占める権利を獲得していたのです。

石山寺縁起

 滋賀県大津市石山寺蔵、重要文化財石山寺縁起』絵巻、全七巻のうち終りの6,7巻は江戸時代の補作ですが、初めの1,2,3巻は前の『春日権現験記』と同じ高階隆兼の絵とされてきました。今では14世紀後半、隆兼の系統の絵師の作という見方が強いようです。その巻2の第4段、大津の浦の場面で、これも庶民の家の土間に、キジ猫が1ぴき、赤い首玉に綱をつけられて、うずくまっているところがえがかれています。綱手の先は家の入口ののれんの間にかくれて、どこにつながれているのかわかりません。
 また、14世紀初の『法然上人絵伝』(知恩院蔵、国宝)の巻1の第3段に、童女が抱き上げている黒白斑の動物は、猫としている解説もありますが、これはどうも犬のようです。
 ほかに鎌倉時代の涅槃図に猫がでる例がありますが、それについてはまた別にまとめて述べる機会があると存じますので、ここではひかえておきます。