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資料……猫関係㉔ 猫の日本画史(近世篇)

【これは以前にはてなハイクに書いたもののコピーです】



キャットライフ1983年11月号

随筆・猫の文化史47
猫の日本画史(近世篇)
大木卓 動物文化史研究家

 前号に続き、南北朝、室町から江戸時代までの日本画の猫をたずねてみます。この時期の猫の絵は、美術史上意味のある作品だけでも数百はあるでしょう。
 金井紫雲氏の『芸術資料』3期6冊「猫」によると、黙庵霊淵の猫図というのがあるそうです。黙庵は鎌倉末期1327年に元へ渡り、至正5年(1345年、日本の南北朝初期)頃中国で没した画僧で、その絵が逆輸入されたというのです。黙庵の作とすれば、猫を主題とした日本人の絵としては一番早い方になりますが、確かなことはわかりません。また同書には小栗宗丹の『枇杷猫図』がでており、宗丹は宗湛(1413〜81年)と同じとされていますが、これも確証については知りません。
 米国ヴァージニア州立美術館には土佐光信(1469〜1523年頃まで活動)筆と伝える貼交(はりまぜ)屛風『花鳥草虫図』があり、なかに一枚猫の絵があります。これらが近世の猫の絵では古い方でしょう。

麝香猫図

 室町時代末期から江戸時代前期、16,7世紀のみぎりに、主として狩野派の画家によってかかれた障屛画(障子、襖、屛風などにえがく装飾画)には、麝香猫(霊猫)の図というのがたくさんありますが、それらはほとんど動物学上のジャコウネコの類とはみえず、犬科の獣としか思えないようなものが多いのですが、なかには長毛種の家猫をかいたと考えてよい例もあります。
 京都市左京区臨済宗南禅寺本坊の大方丈(国宝)の麝香之間にある有名な襖絵『松に遊猫図』は、松の下に牡丹が咲き、その下に親猫と2ひきの子猫がたわむれており、その画面は左に続いて、中二面をへだてた左の襖にも同種の大小2ひきの獣がえがかれていて、これらは麝香猫ととなえられていました。しかし特に右側のものは三毛らしい長毛種の家猫と見ることができます。ただし唐獅子風に様式化されているので、この画家が実物をみてかいたかどうかは疑問です。天正10年代(1582〜91年)頃、狩野派作とみられ、永徳(1543〜90年)、山楽(1559〜1635年)などの説がありますが、特定はできません。
 米国のボストン美術館には「■〈車偏に周〉隠」の印のある『麝香猫図』六曲一隻の屛風があり、やはり親子猫がいますが、特に親猫をみると、明らかに長毛種の家猫です。■〈車偏に周〉隠(ちょういん)は元信(1476〜1559年)の弟または兄という狩野之信の号とされていますが異説もあります。いずれにしても15世紀中葉から後期の狩野派の名手の作と考えられています。

睡猫図

 眠り猫の彫刻は9月号に述べましたが、絵のほうでは同じ画題がより古くからあったようです。小栗宗栗画という『芍薬睡猫図』(しゃくやくすいみょうず)が前述の金井氏の『芸術資料』にでていて、ネズミみたいに細長い尻尾をした虎猫が花の下にねむり、上には蝶と小鳥がとんでいます。宗栗は小栗宗湛の子といわれ、室町中期1490年代頃の人とされています。事実とすればこれが日本で一番古い眠り猫の絵ということになりそうですが、作者については確かではありません。
 京都の南禅寺所蔵の16世紀から17世紀はじめ頃の絵扇を集めた『扇面貼交屛風』六曲八隻にはりつけてある240面の扇のうち『牡丹睡猫図』というのが一面あり、蝶の舞う牡丹のかげに目をとじてうずくまる尾の長い斑猫がいます。狩野派の画家で「秀□」と印がありますが二番目の字は読まれていません。1600年代の初頃の作のようです。
 京都市右京区臨済宗妙心寺塔頭(たっちゅう)のひとつで寛永8年(1631年)建立という天球院の方丈(重要文化財)には、満開の白牡丹の花の下に香箱姿の眠り猫、花の上に蝶の舞う図柄を四面の杉戸にえがいた有名な『牡丹睡猫図』があります。寺伝は狩野山楽(1559〜1635年)筆としていますが、山楽の弟子で女婿となった狩野山雪(1589〜1651年)の作という説が有力です。眠り猫だというので左甚五郎作などとたわいない俗説もあります。もっともこの眠り猫、うっすら目をあけていることは、9月号にもちょっとふれた通りです。
 円山應挙(1733〜95年)筆と極わめつきの『睡猫図』は、ユキノシタの下にねむりこける斑猫をえがいた有名なもので、また、渡辺華山(1793〜1841年)が天保9年にかいた『湖石睡猫図』もよく知られています。

三方にらみ猫

 京都市東山区にある浄土宗総本山知恩院の、寛永16年(1639年)或は同18年にできたという大方丈(重要文化財)の杉戸にえがかれた白黒斑の猫は、前から見ても左右から見てもこっちをにらんでいるように見えるというので、真向(まむき)の猫、三方にらみ猫、八方正面の猫などととなえて、甚五郎の忘れ傘や抜け雀などと一しょに知恩院の七不思議のひとつにかぞえられています。この杉戸の猫は、探幽の弟、狩野尚信(1607〜50年)の筆ではないかとみられています。
 寛永10年(1633年)前後に建てられた京都市下京区西本願寺の国宝建築、書院の対面所(鴻の間)の東側にある狭屋(広間の外側の細長い部屋)の天井にも八方にらみの猫がかいてあるというのですが、くわしく知りません。或は犬ではないかと思います。

牡丹に猫

 9月号の眠り猫で述べた牡丹に猫のテーマは当然絵の方にもあります。右の西本願寺書院の対面所の北側に続く白書院の北の狭屋の西端に杉戸があって、その外側(西側)の面に『牡丹に猫図』がえがかれ、先の天井画と共に渡辺了慶(1645年没)かその一統の制作とみられています。京都市北区等持院方丈にも『牡丹に猫図』があるそうで、寛永13年(1636年)に没した狩野興以の作ということです。興以は了慶と同じ狩野光信(1561〜1608年)の門人です。
 それでは親玉のはあるかというと、滋賀県大津市園城寺三井寺)内の勧学院の客殿(しゃくでん)(1600年建立、国宝)にそれがあって、二の間の東側にある狭屋(九の間)の杉戸の『牡丹に猫図』は、狩野永徳の子、光信かその一統の作とされています。

その他江戸時代の猫画

 『国画』3巻3号(1943年)は「古今猫名画集」の特集で、これには「二天」印の『芦猫図』がでています。二天は宮本武蔵(1584?〜1645年)の号といわれています。そう思ってみると、顔をこっちに向けてうずくまる猫の相はなかなか油断ないもののように見受けますが、はたして例の剣豪の作かどうか、よく知りません。
 変ったところでは狩野探幽(1602〜74年)筆の絹本着色『佐久間将監(さくましょうげん)像』があり、徳川家に仕えて作事奉行をつとめた茶道家佐久間直勝(真勝とも。1570〜1642年)の上半身像で、老人が胸に猫を抱いている、江戸時代の男性肖像画としては異例の作品です。上の方に大徳寺の禅僧で茶人の江月宗玩と幕府の儒学者林道春(羅山)の賛があり、寛永18年(1641年)の宗玩の賛によると、直勝はいつも猫をかわいがっていたということなので、こうした猫入りの肖像画ができたのです。画、賛共に豪華メンバーで重要文化財に指定されており、東京都三鷹市の小熊氏所蔵となっています。
 殷元良(1718〜67年)は江戸中期、琉球の宮廷画家で、沖縄絵画史上の巨匠。『神猫図』が琉球王の尚家に伝わっていましたが第二次大戦中、戦禍で失なわれたということです。
 和歌山県西牟婁郡串本町無量寺方丈にある重要文化財の襖絵『薔薇図』は天明6年(1786年)長沢芦雪(1755〜99年)の筆で、3びきの猫がえがかれています。
 だいぶ前に東京国立博物館酒井抱一(1761〜1828年)の、猫に蝶の扇面絵を見た記憶があります。1978年、東京池袋の三越で行われた谷文晁(1763〜1840年)名品展に、ペルシャ猫の図というのがでたそうです。もっとも私は新聞の広告写真でみただけですが、すわって右手をなめている虎白斑の猫で、どうもペルシャ猫とは思われず、実は徳川家伝来の徽宗(きそう)皇帝の筆と伝えられた宋画の猫の写しのようです。
 浮世絵版画にも猫がでてくるのがたくさんありますが、これにとりかかるときりがないので、いずれまたの機会にまわしましょう。