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資料……猫関係㉗ 猫が歩いてきた道②

【これは以前にはてなハイクに書いたもののコピーです】



猫が歩いてきた道②
大木卓 動物文化研究家

猫と鼠

 猫が人間と結びついた実用上のきずなは、人間の食糧を食べあらす鼠などの小獣や、毒蛇など人体に危害を加える毒虫を退治する機能を持つ動物としてであった。世界のどこでも、猫はまず鼠を捕るものとして記録に登場する。
 古代エジプトでは、第18王朝(前1500年頃)の写本とされるエーバース医療パピルスによると、鼠に着物をかじられるのを防ぐには、猫の脂をぬりつけておけばよいとあり、当時すでに鼠除けの猫の功徳は信用の高いものになっていた。
 エジプトのカイロ美術館には、猫が鼠に対して乳母日傘(おんばひがさ)でチヤホヤしている有様を描いたパピルス絵巻がある(図5)。新王国末の第20王朝(前1100年)頃の戯画で、現実にはエジプトの家猫たちが、穀倉などにむらがる鼠どもを常日頃大いにやっつけていたからこそ、こうした風刺漫画もできたのである。当時流行のエジプト動物戯画は、日本ではよく鳥獣戯画に比べられるが、その鳥獣戯画すなわち『高山寺絵巻』甲巻(平安末期、12世紀)には、猫の様子をおっかなびっくりうかがっている鼠の姿も描かれている(図6)。
 中国では前3世紀の韓非とその一派の説を集めた『韓非子』に、適材適所のたとえとして鶏に夜を司どらせ、狸に鼠を捕らせる、という文句がある。狸はタヌキではなく野生の猫を意味するが、この場合は飼い猫を指しているようである。また、中国古来のしきたりを述べた『礼記(らいき)』(西暦紀元頃)には、年末に農業感謝のためよろずの神を祭る蜡(さ)という祭りで、作物を害する野鼠を食べてくれる「貓」と、猪を食べてくれる虎を招待して祭る意味の儀式があると記されている。貓は猫の本字で、家畜の猫を意味する文字だが、この場合虎と対になっているので、野生の山猫であることを否定できない。蜡は周代の祭りで、孔子が在世した春秋時代、前5世紀には盛大な祭りとして行なわれていた。このように猫の実用的功徳が注目された時代には、中国でも猫は家畜として飼われていたようである。
 紀元400年頃までに集成された古代インドの大叙事詩マハーバーラタ』には、苦行する猫とそれにだまされる鼠の物語があり、インド南部のヒンズー寺院マハーバリプラムにある7〜8世紀の岩壁彫刻にその説話を表わした猫と鼠の姿がきざまれている(図7)。インドでも古くから猫は鼠を捕ることになっていて、インドの古典語サンスクリットで猫を意味する言葉の一つにアークブジュというのがあったのも、鼠を食べるものという意味だった。
 6世紀頃に西アジアの。学者たちによって集大成されたバビロニア集成タルムードの諸書には、猫は鼠を捕って食べるものとしてしばしば説かれている。そのなかの一書『ホラヨト』には、犬が主人をおぼえているのに猫がそうでないのは、猫は鼠を食べるからで、鼠を食べると忘れっぽくなるのだと。また『ババ・メジア』には、借りてきた猫が鼠に食い殺された場合、飼い主は補償されない。それは女に殺された男みたいなもので面目ないからだと。『ベサヒム』によると、猫は蛇も捕って食べることになっている。
 アイルランドの800年頃の有名な彩飾写本で福音書の一種である『ケルズ書』には鼠と一緒にいる猫の絵がある(図8)。同じ頃のアイルランド語の詩に、パングル・バーンという名の飼い猫のことをうたったものがあり、バーンは白という意味だから、白猫だと考えられているが、その猫が好んで鼠を捕ることが述べられている。
 猫を尊重する法律を作ったということでよく知られているハウエル善王は、950年頃に没した南ウェイルズの王だが、今日“ハウエル善王の法典”として伝えられているとの古法典は、みな12,3世紀あるいはそれ以降の写本で、10世紀の善王の時代のままとはみられていない。しかし、それらのなかの『ヴェネドティア法典』(北ウェイルズ)にも『ディメティア法典』(南ウェイルズ)にも、猫を重要視する条文があり、猫を売買する際の保証条件の一つに、鼠を捕ることがあげられているから、12世紀以前にその法律はできていたのであろう。『ディメティア法典』には、王の穀倉を番する猫を殺した場合の罰則についての条文もあり、その猫は穀物を食べあらす鼠を除く役をしていたことはいうまでもない。

ペットとしての猫

 猫は体の大きさも手頃で、見た目も美しく、手ざわりもよく、体臭が少なく、自身きれい好きで、尻の始末もよろしく、定着性があるなど、天性ペットとしての資格をそなえていた。
 古代エジプトでは、新王国の第18、19王朝のテーベの墳墓の壁画、浮彫りなどに、人物の腰かけた椅子の下に猫がいる図が、一つの定形として多く描かれており、この時代のエジプトでは、猫は家庭動物として普及していたことをうかがわせる。その一例、デイル・エル・マディーナ遺跡にある第19王朝(前1275年頃)の壁画には、その夫人の椅子の下に猫がいて、アプゥイのひざの上では子猫がじゃれている(図9)。
 前5〜6世紀頃の古代ギリシアでは、猫は多く上流階級のペットとして美術に登場する。アテネ西郊のプーロプーロスの古代城壁の石材に使われていた前510年頃の石の台座には、当時のアテーナイの青年の風俗がみごとに浮彫されている。椅子にかけた二人の男が向い合い、それぞれに引き綱をつけた猫と犬とを互いにけしかけている(図10)。当時すでにギリシアでは猫がペットとして飼われていて、このように猫と犬とをいがみ合わせるたちのよくない遊びがあったとみえる。
 アテネの西南にあるアイギナ島から出土したといわれる大理石の墓碑は、前430年頃のものだが、この墓の主人公である青年が左手に小鳥をつかみ、右手で軒につるしてある鳥かごを降ろそうとしている姿が浮彫りされている。その鳥かごの下の台の上に、頭は欠けているが明らかに猫とわかる小獣がうずくまっている姿が彫られている。おそらく、この若くして逝った青年はペット好きで、実際に猫や小鳥を愛玩していたのであろう。
 前5世紀に南イタリアにあったギリシアの植民地の古壺にも猫とたわむれる女性の絵がある(図11)。
 ローマの勃興以前に古代ギリシアと並行して、イタリア半島中部西岸から北部にかけて栄えたエトルリア文化の古墳の壁画(前5世紀頃)の宴会場面には、食事用寝椅子の下によく猫がおり、なかには猫と遊ぶ男の姿が描かれた例もある。おそらく、ギリシア同様、エトルリアでも上流階級のペットとして猫が飼われていたのであろう。
 ローマでは、紀元1,2世紀の頃、猫をたて琴の伴奏で踊らせたり、猿まわしのような大道芸人が猫に芸をさせていた。ローマの支配下にあった頃のフランスのボルドーからでた墓碑(4世紀頃)には、子供が猫を抱いている姿がきざんである(図12)。
 アラビアでは、630年頃マホメットの教友アプト・アッラヒマーンは子猫と遊んでばかりいたので、アプー・フライラ(子猫の父さん)とあだ名がついたといわれている。
 中国では唐代から猫の愛玩が盛んとなり、唐末9世紀の大夫張搏(ちょうはく)は、高価な猫を多く飼って、猫の精とあだ名されていた、と宋の『南部新書』などに記されている。
 平安時代、9〜11世紀の日本の宮廷・貴族など上流階級の間に、猫の愛玩が流行していたことはよく知られている。宇多天皇が一匹の黒猫を愛育していた事実や、『枕草子』にみえる一条天皇の愛猫命婦おとど、『源氏物語』に登場する猫好きの皇太子などは、その一端である。西本願寺本『三十六人家集』のなかの「能宣(よしのぶ)集」上巻の料紙には、愛らしい女の子が猫を抱こうとしている絵が優雅な筆致で描かれている。1110年頃にできたとみられるこの絵は、当時猫が愛玩されていたことをしめす好例であると共に、おそらくは日本最古の猫の絵である(図13)。