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資料……猫関係㉘ 猫が歩いてきた道③

【これは以前にはてなハイクに書いたもののコピーです】



猫が歩いてきた道③
大木卓 動物文化研究家

猫神信仰

 猫は信仰上の理由で家畜化されたという説があったほど、古くから信仰上の対象になっていた。これは、まず古代エジプト時代から明らかである。
 古代ギリシア人によってヘリオポリス(太陽の都)と呼ばれ、太陽神ラァの神殿を中心に栄えた下エジプトの主要都市アンヌでは、猫はラァの聖獣として崇拝された。新王国時代にエジプトのテーベで集成された『死者の書』では、猫はラァの化身として、闇の悪蛇を退治する姿が、第18,9王朝(前1400〜1300年頃)の写本に描かれている(図14)。中王国時代に中エジプトのベニ・ハサンで信仰された女神パケトにも猫は結びついていて、この遺跡からは猫のミイラが多数発見された。末期王朝の第21王朝(前1000年頃)から下エジプトのペル・バスト(バストの館の意)を中心に信仰が盛んになったバステト(バスト女神)は、猫の頭をした女人の姿で表わされ(図15)、この女神の神殿あとの遺跡からも、猫のミイラがたくさん出土した。へーロドトスの『歴史』によると、エジプトでは猫が死ぬと、バステトを祭った神殿のあったペル・バストの町へ運んでミイラにして埋葬したからである。
 中世西北欧神話に活躍するフレイヤ女神は、13世紀アイスランドの『スノリのエッダ』によると、2匹の猫が引く車に乗り、恋愛上の願いごとをよくききとどける美しい女神であった(図16)。
 古代エジプトの夢占いでは、肥えた猫の夢は吉兆で、これをみた人は豊作を獲得するものとされた。作物の豊饒と鼠と猫との関係を短絡しても容易にその説明はつくが、スイスで収穫の女神として信仰された聖ヴェローナの像にも、豊饒のしるしとして麦の穂と猫がそえられていた。
 7世紀ベルギーに実在した聖ゲルトルートには、後世鼠除けの信仰があり、この聖女の像は猫を伴なっていた。
 1853年に中国ででた黄漢著『貓苑』によると、浙江省杭州の人たちは毎年末に猫神を祭って降鼠将軍と尊称し、また、同省金華府には、鼠鎮圧のため朝廷から差しつかわされた猫を祭ったと伝える差猫亭という神社があった。
 日本でも鼠除けの猫を祭ったと伝えられる神社があちこちにあり、古いところでは、宝暦元年(1751年)の『但馬考』に、但馬国養父(やぶ)郷(兵庫県養父郡養父町)の猫の宮には、鼠が蚕を害するのを防ぐ御利益があったと記されている。そのほか、山形県東置賜郡高畠町高安(こうやす)にある猫の宮も、養蚕家が鼠除けのために信仰し、長野県長野市篠ノ井の唐猫神社、熊本県荒尾市中一部の猫宮大明神などにも同様の信仰がある。岩手県陸前高田市矢作の猫淵神社には猫の絵馬を上げ、蚕の敵である鼠を防ぐための猫が安全に育つよう祈った。

猫と妖術

 猫に対する信仰の影の一面は、その超能力にたよって願望を達成しようとする呪術や妖術にもみられる。歴史上、猫が妖術に関係したとされる古い記録は、中国の南北朝末から隋代、6〜7世紀のみぎりに、猫鬼(猫の精霊)を使う妖術が流行したと、『隋書』、『朝野僉載(ちょうやせんさい)』、『野客叢書(やかくそうしょ)』など唐宋代の史書に記されているのが有名である。家に老猫を養って呪術を行なったとかに子の日の夜毎に女が猫鬼を祭り、他人の家に猫鬼を送り込んで人を殺し、その家の財物をひそかにうばうなどの悪徳行為をしでかしたとかで、社会問題になったというのである。この中国の猫鬼事件は、千年後のヨーロッパの魔女事件の流行とよく似た社会現象で、その前例と解釈することができる。
 フランス王フィリップ四世が1307年から聖堂(テンプル)騎士団を弾圧しはじめた異端裁判で、その異端行為として挙げられた事実と称する項目に、悪魔が猫の姿をして現われ、その猫を団員が礼拝したとある。1325年、やはりフランスのシトー教団に対する異端弾圧事件では、教団の僧侶が妖術遣いと組んで黒猫を地中に埋めて術を行ない、魔王を呼び出したとされ、1324年、アイルランドのキルケニイの富豪の婦人が、猫の姿で現れた男と性的関係を結んだとして告発されるなど、猫が妖術と関わった記録は14世紀前期にさかのぼる。特に、15〜18世紀の魔女裁判が盛んだった時代のヨーロッパでは、猫はしばしば妖術使い(魔女)の変身または手先として悪事をはたらくものとして登場した(図17)。
 イタリアの画家・科学者レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452〜1519)は、その手記のなかで、妖術によって人間が猫その他の獣に変身することができるなどと主張する書物が多いが、そう主張する連中こそ獣の仲間だ、とこきおろしている。
 英国イングランドの魔女事件の初期のものとして有名な1566年エセックス州チェルムスファドで行なわれた魔女裁判では、エリザベス・フラーンシスおよびアグニス・ウォーターハウスとその娘ジョウンズの三人の女性が被告となり、彼女等はサタンと呼ばれる1ぴきの白ぶち猫を使って、近所の子供や家畜を殺させたとやら、この猫は魔女の生血を吸って養われたとやら、あらぬとりざたが、ロンドンで刊行された当時の記録には述べられている。

マスコットとしての猫

 猫の呪力は、飼う人を守り、福をさずけるマスコットとして、世界的に信じられてきた。猫を船乗りの守りとするなどはその好例であり、日本では特に雄の三毛猫が霊験あらたかとされてきた。雄三毛はまた、花柳界や相場師の間でも縁起物とされた。
 今や日本文化の特異な象徴の一つとして海外にも知られるようになった招き猫は、福をもたらすマスコットとしての猫の信仰が具象化された結果なのである。
 イギリスでは、家庭に黒猫を飼うと縁起がよいとされ、また、欧米では劇場に猫、特に黒猫を飼っておくと興行が当たるという俗信がある。

猫の社会的地位

 猫は古代エジプトなどで信仰上の対象として尊重された一方、西暦紀元前後の古代インドの『マヌの法典』などでは、うわべは立派だが影で悪徳行為をする人間のたとえに猫が引かれていて、あまり良く思われていなかった事例もあり、歴史的・地理的・階層的に、猫の人間社会における評価は今日もなお多様である。
 1345年頃に作られたフランスの祈禱書には、従者たちが薪を運び、ふいごで吹きつけている炉火に、老主人と猫とがのんびりあたっている絵があり、中世後期の生活と社会風刺の一端がうかがえる。同じ頃の日本の絵巻『春日権現験記』にも、いろりばたに鎮座する猫が登場している。この時代にはすでに洋の東西を問わず、猫は使用人などのめったにあたることのならぬ暖炉に座を占める権利を獲得していたのである。
 一方、ヨーロッパでは、魔女事件の流行と併行して、16,7世紀のフランスなどで夏至四旬節の火祭りに、猫を生きながら焼くことによって厄をはらい福を得る行事も行なわれた。今日、世界の観光客を集めて5月にベルギーのイープル(イーペル)で華やかにくりひろげられる猫祭りなども、もとはそうした猫を虐待する年中行事から変化してきたものなのである。

日本猫の起源

 縄文時代の中期から後期頃までは、日本にもオオヤマネコが野生していて、その下顎骨や牙に穴をあけて垂飾品としたものが貝塚から出てくる。それを身につけることによって、狩猟物などの豊産や厄除けの呪力を得るまじないにしたと考えられるから、後の世の日本人が家猫に求めたマスコットとしての御利益を、まだ猫を飼っていなかった3〜5000年前の日本人は、当時おそらく日本最大の猫科動物だったオオヤマネコに求めていたようだ。
 家猫に近い小型の猫科動物の骨も貝塚からよく出てきており、その一例、愛知県渥美郡渥美町伊川貝塚(縄文晩期)から出土した猫の骨についても、これを飼われていた家猫のものと考える説と、野生のものと見る説とがあって、まだはっきりとは定まっていない。考古学者のなかには、縄文遺跡から出る小型の猫の骨は、みな後世の家猫のものが混入したものだろうとしている人もある。
 いずれにしても、日本の家猫は海外から家畜としてもたらされたものだろうが、その時期はまだ明確ではない。しかし、水田稲作文化が渡来した縄文晩期、前1000〜前500年あたりに上限のめどを置いてよかろう。
 文献的には8世紀の中頃に、奈良東大寺あたりの僧が書いたのではないかとされている『新華厳経音義』に、猫の倭言(日本語)を「尼古」と記してあるから、猫の日本語ができていた奈良時代中頃には、すでに日本に猫が飼われていたとみてまちがいないであろう。「尼」は今日のネにあたる音にあてた字で、当時の音はニェに近い音だったかも知れず、さらに古くはニャだった可能性もある。「古」は当時甲乙二種類あったコの音のうち、今日のコに近い甲類のコに用いた字で、子供のコなどがそれに当たる。つまりネコという日本語の語源は、今日の児童語の猫、「ニャンコ」に近い意味合いだったと思われる。いずれにしても、ネコのネは古代エジプト語や中国語の猫と同様、猫の鳴き声からきたものである。平安時代に入ると、すでに猫はよく知られた家畜になっていたことは、どなたもご承知の通りである。



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この「猫が歩いてきた道」はキャットライフに連載された「猫の文化史」の要約と言ってもいい内容だけれど、「猫の文化史」の連載から5〜7年が経過しているので、一部「猫の文化史」とは内容が違っている所もある。縄文時代貝塚から出土した小型猫の骨をどう解釈するかという点では「猫の文化史」とは見解が異なり、この間に見解を変更されたものと思われる。

日本での『ねこ』という語彙の初出文献が「新華厳経音義」となっているが、正確には「新訳華厳経音義私記」。しかし、猫雑学本の著者でこの文献に触れている人は他に居ないので流石だと思う。

大木卓氏は1932年生まれとの事なので、これを執筆された時は50代半ば、現在存命なら86〜7歳になる。2007年に出た犬種図鑑に監修者として名前が載っているので、この時点で健在であったことは確認できるが現在の消息は不明。

猫雑学家としては『ねこ/その歴史・習性・人間との関係』(1958年、法政大学出版局)の木村喜久弥氏がその博識さで知られ、木村氏の著作の受け売りをしているだけの猫雑学本やネットの猫雑学サイトも多数あるが、大木卓氏は知識の広さ、深さのいずれにおいても木村氏をはるかに凌駕している。

木村氏は博識ではあったのだけれど、得た知識を整理して自分の考えをまとめるのは苦手だったようで矛盾した事も書いているし、悪く言えばただの物知り博士に終っている。
一方大木氏は単なる物知り博士ではなく、どの情報が信頼できるかという吟味もしっかり行っている。

それにもかかわらず猫雑学本やネットの猫雑学サイトでは圧倒的に木村説が受け入れられていて、大木氏の説はほとんど顧みられないという状況はつくづく残念だと思う。

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聖ゲルトルートという聖女は二人居て、13世紀のドイツにも同名の聖女が居て、むしろそちらの方が有名なようだけど時代も国も違うので要注意。