つらつら思うこと

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知恵袋の回答/2019.4.28

❂「角川古語大辞典」(中村幸彦・岡見正雄・阪倉篤義編、1984年、角川書店)より。

けまり【蹴鞠】名

貴族を中心に行われた伝統的遊戯の一。賀茂社の社人や僧侶などの行う地下蹴鞠の流れもあった。
鞠庭(まりには)の四隅に懸(かかり)の木を植え、下枝を切り払うなど、蹴鞠に適するように手入れをしておく。人数は普通八名で、四本の懸りの左右に位置して向い合う。衣冠装束、扇を帯し、足もとは襪(したうづ)・沓(くつ)を着用する。
宮中の公式の蹴鞠では、最初に「露払ひ」といって、賀茂社の鞠足が鞠を懸りに蹴りかけて露を払い落してのち、主上の出御がある。
まず上鞠(あげまり)が行われ、一足(または二足、三足)蹴って落す。その後、各自自由に蹴るのであるが、受け鞠、自分の鞠、渡す鞠といって三足蹴るのが普通である。最後に手または袖で受け、中央に転がして終る。
「数の鞠」の場合は、できるだけ落さぬようにし、その数を競う。左右二方に分れ、数によって勝負を定めることもあった。鞠の動きに従って全員の進退に定法があり、また延足(のべあし)・返足(かへりあし)など種々の技術があった。
鞠は直径二〇センティメートル余り、鹿のなめし革ニ枚をつなぎ合わせて作り、中央がややくびれている。皇極天皇の時シナより渡来し、天智天皇鎌足が初めて行ったと伝えるが、実際には平安時代になって行われた。
卿相の中で堪能であったのは藤原成通、地下の上手は賀茂成平という(遊庭秘抄)。源頼家・実朝が特に好み、以後、中世には歌道と並んで鞠道として重視され、宗長を家祖とする難波家と雅経を家祖とする飛鳥井家が鞠道を支配した。江戸時代には娯楽として町人たちの間にも行われた。「まり」とも。
「角にして丸く楽しむ蹴鞠の場」(柳多留・83)
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源氏物語図屏風(17世紀)より
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源氏物語若菜下の蹴鞠の場面。一番右の人物が柏木か。画面右端に二匹の猫が描かれているが、一匹が赤虎つぽく見える。実際には平安時代の日本に赤虎や三毛の猫は居なかったと思うが。