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小池清治《助動詞「き」の接続━━その変則性の由来について》再録

雑誌「月刊文法」1970年5月号《特集・「き」「けり」の徹底的研究》に下記の記事があり、注目すべき内容ですが、現在「月刊文法」は入手困難な状況なので全文引用します。


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【助動詞「き」の接続】━━その変則性の由来について
   小池清治(※目白学園女子短大講師)
        ※当時。現在は宇都宮大学国際学部名誉教授。また「三省堂全訳読解古語辞典」の編著者の一人。

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  はじめに━━変則性 Ⅰ ・ Ⅱ ━━

 助動詞「き」の接続について、古来、問題とされてきたのは、カ行変格活用(以下、カ変と略す)およびサ行変格活用(以下、サ変と略す)の動詞に接続する場合であった。
 すなわち、カ変およびサ変の動詞を除く、他の活用語(動詞・形容詞・形容動詞および〘注1〙一部の助動詞)には、連用形に接続するのに対して、この両者の場合においては、連用形に接続するばかりではなく、未然形にも接続するという特殊な接続のしかたをするということである。本稿では、これを変則性 Ⅰ と名づけることにする。
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〘注1〙 一般には、助動詞「き」は、用言および助動詞の連用形に接続すると記述されているが、「む・らむ・けむ・らし・まし・じ・けり」等には接続しない。
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 また、カ変の動詞に対しては、助動詞「き」の終止形は接続せず、サ変の動詞に対しては、助動詞「き」の連用形および已然形は接続しない。これを本稿では、変則性 Ⅱ と名づけることにする。便宜上、これらを図示するとつぎのようになる。

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 本稿の目的は、右に述べた変則性 Ⅰ ・ Ⅱ がなぜ起きたのかについて考察し、若干の仮説を提示することにある。
 従来、変則性についての指摘はなされてきたが、その変則性の由来については、十分論議されてはいない。ここに拙論をかかげ諸賢のご叱正を賜わりたいと願うしだいである。
 

  1 変則性 Ⅰ について

1・0 前節においては、変則性 Ⅰ を、通説に従って記述しておいたのであるが、すでに〘注2〙先学のご指摘もあるとおり、「来(き)し」「来(き)しか」の形は、つぎに述べるごとく、ごく特殊なものであり、これを一般化して、助動詞「き」は、カ変の連用形に接続するとすることは行きすぎである。
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〘注2〙 中田祝夫・小松登美・伊牟田経久・小林芳規「古典解釈のための助動詞━━連用形に続く助動詞━━」、『解釈と鑑賞』昭和32年11月など。
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1・1 まず、「来(き)し」について述べる。
 この語連接が、実現するのは、上代・中古に限っていえば、「来(き)し方」に限られ、他の予期される形、たとえば、「来(き)し時」「来(き)し折り」「来(き)し人」などはないのである。「来(き)し」という語連接は自由性を有してはいないといえる。
 一方、「来(こ)し」についてみると、「来(こ)し方」はいうまでもなく、「来(こ)し時」「来(こ)し折り」「来(こ)し人」など自由な連接能力を有しているのである。
 自由な連接能力をもつ「来(こ)し」と、「来(き)し方」という形でしか存在しない「来(き)し」とを対等に取り扱うことは適当でないことはいうまでもなかろう。
1・2 ━━「来(き)し方」と「来(こ)し方」━━
 ここで問題になるのは、助動詞「き」は、カ変の未然形につくのが普通であるのに、いったいなぜ、「来(き)し方」の場合に限って、いわゆる連用形に接続するということが実現するのであろうか。この疑問に答えるには、「来(き)し方」の成立について考察しなければならないのであるが、この問題については、すでに筆者は〘注3〙別稿で論じているので、ここでは、その要点をのみ紹介するにとどめておく。
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〘注3〙 拙稿「『来(き)し方』と『来(こ)し方』」、『言語と文芸』昭和44年3月。
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 (イ)他の活用語が連用形につくという事実への類推が働いたであろう。
 (ロ)「忘れ草つみて帰へらむ住吉の[きしかた]の世は思ひでもなし」(後拾遺・神祇・1067)など「岸」と「来(き)し」の掛け詞の用法〘注4〙の影響が強く働いたであろう。
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〘注4〙 上代の用例として、「来(き)し」と「岸」を掛けたものはない。「来(き)し」の「き」は甲類、「岸」の「き」は乙類であることも、その原因の一つであったろう。
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 主として、この二つによって、「来(き)し」という語連接は成立したと考えられる。ただし、もし、(イ)にのみよったとするなら、「来(き)し方」だけにかたよりが起きている現象を説明することができない。よって、(イ)はあくまで潜在的に働き、(ロ)の力がより大きかったであろうことは十分推測されるのである。次節に述べる「来(き)しか」の例も掛け詞であることから考えると、かかる不自然な現象、いわゆる破格をひき起こす力を掛け詞がもっていたことは無視できない。
 また、「来(き)し方」の不自然性、破格性をささえるものとして、「来(こ)し方」との意義の対立および、「昔・いにしへ」などとの位相上の対立なども考えられるが、この点については、別稿を参照していただければ幸いである。
 とにかく、「来(き)し」という語連接は、ごく特殊な事情によって起こり、固定化したものであり、「来(き)し方」の例をもって、助動詞「き」は、カ変の連用形にも接続するということは適当ではないのである。
1・3 「来(き)し」の語連接は、「来(き)し方」に限られ、特殊なものであったが、それでも、かなりの用例が存在し、意義・用法の上においても確固たる位置を、中古語の中に保持していたのであるが、「来(き)しか」の語連接になると、いっそう心細く、ただの一例しか見いだすことができない。
  人の召し侍りける男のひとや(=獄)に侍りて
  乳母のもとに遣はしける
忍びつつ夜こそ[きしか]唐衣ひとや見むとは思はざりしを
  (拾遺・雑恋・1225)
 []内は、明らかに、「来(き)しか」と「着しか」の掛け詞ではあるが、この一例をもって、カ変の連用形に、助動詞「き」が接続するというのも言いすぎであろう。やはり、臨時的、一回的なものとするのが穏当な考えであると思う。
1・4 以上の検討によって、変則性 Ⅰ の変則たるゆえんは、助動詞「き」は、カ変・サ変においては、未然形に接続するという点に求められることが明らかになった。


2 「来(こ)し・来(こ)しか」「為(せ)し」・為(せ)しか」の「来(こ)」「為(せ)」は未然形か

 変則性 Ⅰ の「来(こ)」「為(せ)」を通説に従って、「未然形」と記述してきたのであるが、ここでも、この通説を疑ってみなくてはならない。なぜなら、つぎのような事実があるからである。
2・1
 ①朝早く起きむ
 ②朝早く起きたり
 学校文法では、①の「起き」を未然形とし、②の「起き」を連用形とする。その理由は、①の「起き」は、未然形に接続する助動詞「む」につづいており、②の「起き」は連用形に接続する助動詞「たり」につづいているからである。さて、下接している助動詞の性質により、上接している語の活用形を決定するという、この論法を用いれば、
 ③われぞ朝早く来(こ)し
 ④われこそ朝早く為(せ)しか
の「来(こ)」「為(せ)」は、連用形に接続する助動詞「き」につづいているのであるから、連用形ということになる。しかるに、これらを未然形とするのは、論理の一貫性に欠けると言わなければなるまい。
 右の論理を、形式論理であるとして、かたずけることはたやすいし、また、反論も容易であろう。だが、このような問題をことさら取り上げたのは、「来(こ)し・来(こ)しか」「為(せ)し・為(せ)しか」を連用形としたほうがよいのではないかと考えられる事実があるからである。
2・2 禁止表現「な……そ」においては、一般に、
 ⑤残りたる雪に交じれる梅の花早く奈知利曽雪は消ぬとも(万葉・五・849)
 ⑥おもしろき野をば奈夜吉曽古る草に新ひ草交じり生ひは生ふるがに(万葉・一四・3451)
のように、連用形が用いられる。
 ところで、カ変・サ変では、
 ⑦いざ子どもたは業奈世曽あめつちの固めし国ぞ大和島根は(万葉・二〇・4487)
 ⑧惜めども立ちもとまらず行く春をなこその関のせきもとめなむ(延喜十三年三月十三日亭子院歌合)
などのように、「為(せ)」「来(こ)」が用いられている。学校文法では、これも、カ変・サ変の例外事項の一つに数えている。
 ところで、文法とはあくまでも一つの、論理による構造体である。そこでは、論理的一貫性が求められるし、例外は極力排除されねばならない。また、例外は、その例外たるゆえんが提示されることが望ましい。
 現在の学校文法は、2・1で述べたごとく論理の一貫性に欠け、また、2・2で述べたごとき現象を例外とし、その例外のゆえんを語らない。また、意味の点からいえば、「未然形」に過去の助動詞が接続するのも異常である。
 このような欠点に目をつむってまで、「来(こ)」「為(せ)」が未然形であるとする説に固執するのは、活用表がスッキリした形で表われることをめざす便宜主義にほかならない。しかし、目を現在に転ずれば、五段活用やサ変は、かならずしもスッキリしたものではない。上代・中古のカ変・サ変の活用表が、多少スマートさを失うことをおそれて、論理的一貫性を失うことまでする必要はないのではなかろうか。
 福田良輔氏は、2・2で述べた「来(こ)」を連用形と考えておられるし〘注5〙、また、木枝増一氏・松下大三郎氏などは、2・1で述べた「来(こ)」「為(せ)」を連用形と考えておられる〘注6〙。筆者もこれらにならい、以上の「来(こ)」「為(せ)」を連用形と考えることにしたい。
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〘注5〙 福田良輔「原始日本語と文法」、『日本文法講座・文法史』明治書院昭和32年12月。
同氏『奈良時代東国方言の研究』風間書房、昭和40年6月。
〘注6〙 木枝増一『高等国文法講義』東洋図書、昭和4年6月。
松下大三郎『改撰標準日本文法』中文館書店、昭和5年4月。 
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 以上、ながながと述べてきたのは、変則性 Ⅰ の変則性がどこにあるのかをはっきりみきわめておきたかったからにほかならない。つぎに、新たにとらえなおしたカ変・サ変の活用表を図示し変則性 Ⅰ の正確な把握の便に処したいと思う。

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  3 助動詞「き」の語連接忌避について

3・1 変則性 Ⅱ について 変則性 Ⅱ の、「き・き」「し・し」「し・しか」がないことについては、これまで、助動詞「き」の語源から説明されてきた。
 すなわち、助動詞「き」の終止形は、カ変の動詞「来(く)」から派生したものであり〘注7〙、したがって、「来(く)」との語連接はありえないのであり、一方連体形・已然形の「し」「しか」は、サ変の動詞「為(す)」から派生したものであり、したがって、「為(し)」との語連接はありえないのであると〘注8〙。
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〘注7〙 金沢庄三郎『日本文法論』金港学版、明治36年12月。
〘注8〙 吉田金彦「助動詞小辞典・き」、『月刊文法』昭和44年5月など。してください
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 しかし、まず、サ変についていえば、「せ・し」「せ・しか」という形が存在しているのであるから必ずしも語源からの忌避現象とばかりはいえないし、また、カ変については、「き・き」という形が見いだされない以上、積極的に比定する材料はないのであるが、同じく、「来(く)」を語源とする「けり」(「来(き)+あり」といわれる〘注9〙)が、
 ⑨国人の心の常としては、「今は」とて見えざるを、心あるものは恥ぢずぞなん[きける](土左・十二月十三日)
 ⑩からうじて盗み出でて、いと暗きに[きけり](伊勢・六)
など、「来けり」という形で、「来(く)」に接続しているのであるから、これも、必ずしも、語源の影響とは言いきれないのである。
 また、「せ・し」「せ・しか」の場合は、音節が異なるのであるから許容されるのであろうと説明するとなれば、それは、もはや語源による影響という説明のほかに別種のものを導入していることになろう。
 さて、ここで、「来(く)」と同じく、「き」という一音節(ともに甲類の「き」であるが)を、その連用形にもつカ行上一段活用動詞「着る」について調査してみると「着つ」「着ぬ」「着たり」「着けり」という形は見いだしうるが、上代・中古にわたり、和文・漢文・漢文訓読文の別を問わず、「着き」という例は見いだすことができないのである〘注9〙。
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〘注9〙 春日政治西大寺本金光明最勝王経古点の国語学的研究』岩波書店昭和17年
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あるいは、調査範囲を広げ、博捜すれば一・二例見いだすことができるかもしれない。しかし、それでも「着き」という語連接がきわめてまれであることの証拠となるにすぎないであろう。
 ところで、松下大三郎氏は、前掲著において、変則性 Ⅰ ・ Ⅱ に言及したあと、つぎのように述べておられる。
 此れらは皆「きし」「きき」「しし」等の父音化(=子音化)を忌むのである。「きき」「きし」「しし」を kҫikiҫ , kҫi∫i , ∫i∫i と発音することは困難である。必ず母音が消えて、 kҫkҫi , kҫ∫i , ∫i∫i 或は、 kҫikҫ , kҫ∫i , ∫∫i となる。そうなると音が不明瞭であるから之を忌んで「きき」は用ゐず「きし」「しし」は「こし」「せし」といふので、実は第一活用段(=未然形)へ付くのではなく、「きし」「しし」の通音(=音便)である〘注10〙。
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〘注10〙 松下大三郎『改撰標準日本文法』中文館書店、昭和5年4月、161頁
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 この説を全面的に首肯することはできないが、この説が成立する可能性は十分あると思われる。
 いま、変則性 Ⅰ ・ Ⅱ を音連接の面からとらえなおして図示すると次のようになる。

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 カ変については、ひとまずおき、サ変についてみると、完全に相補分布になっている。同音忌避ともいうべき現象といえよう。
3・2 しからば、前節で保留した「き・し」という語連接の忌避はどう考えられるであろうか。
 まず、語源からの影響説をとるならば、この語連接が忌避される理由は見いだしがたいであろう。すなわち、助動詞「き」の連体形「し」は、サ変動詞「為(す)」の連用形から派生したものと考えられるから、「「し・し」「し・しか」の語連接忌避については説明できるのであるが、「き・し」「き・しか」の語連接忌避については、説明不可能なのである。
 ここでも、3・1で述べた音連接の忌避ということが考えられそうである。では、上代・中古において、「き・し」「き・しか」の音連接が忌避された事実はあるのだろうか。
3・3 北原保雄氏は、「形容詞『ヒキシ』攷━━形容動詞『ヒキナリ』の確認━━」において、「ヒキシ」という形容詞が「オホキシ」という形容詞と同様、上代・中古においては、その確例が認められず、これらにかわるものとして、「ヒキナリ」「オホキナリ」が用いられていたということを報告しておられる〘注11〙。
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〘注11〙 北原保雄「形容詞『ヒキシ』攷━━形容動詞『ヒキナリ』の確認━━」(『国語国文』昭和43年5月)
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 この事実は、現代人にとっては奇異なことのように思われる。
 ⑪国つ神は高山の末短(ひき)山の末に上り坐して(祝詞・六月晦大祓)
 ⑫侏儒・儒・ヒキヒト・タケヒキ(名義抄)
など、語幹の「ヒキ」があるから、当然「ヒキシ」もあってもよさそうなのである。「オホキシ」についても同様で、中世以降にみえる「オホキイ」という語の存在から、上代、少なくとも、中古にはあってもよさそうなのである。
 「ヒキシ」「オホキシ」などがなぜないのであろうか。いうまでもなく、この疑問に迫るには、上代における形容詞の活用の起源について、十分なる研究がなされてのち、はじめて迫りうるものであり、本稿では、その用意もないので、これ以上のな論及はさしひかえる。ただ右に述べた事実により、形容詞という限定つきではあるが、「きし」という音連接が、その可能性が十分考えられるのに、存在しなかったということだけは指摘できると思われる。
 右の所説を、補強するには、「ヒキシ」「オホキシ」の「キシ」と「来(き)し」の音連接が同種のものであることの論証が必要となるのであるが、「ヒキシ」「オホキシ」の語形が存在しない以上論証は不可能に近い。しかし、つぎに述べることにより、その可能性の一部は保証されよう。
 すなわち、「オホキシ」の語幹「オホキ」の「キ」は甲類である点、「来(き)し」の「来(き)」と同じであること。また、形容詞の語尾「シ」と「来(き)し」の「し」とがきわめて近いこと、おそらく語源を一にするであろうこと〘注12〙。などから、「ヒキシ」「オホキシ」の「キシ」と「来(き)し」とは、きわめて類似した音連接であったであろうことは推定されるのである。
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〘注12〙 岡村昌夫「形容詞の成立」(馬淵和夫『日本文法新書 上代のことば』至文堂、昭和43年12月)。
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3・4 つぎに、残された問題は、「き・し」「き・しか」「し・し」「し・しか」という音連接の忌避にであったとき、なぜ、「来(こ)し」「来(こ)しか」、「為(せ)し」「為(せ)しか」という形をとったのかということがある。
 これについては、福田良輔氏が前掲著において述べておられるごとく、上代語にはカ変・サ変の連用形として、原始日本語の痕跡としての「こ(Kö)」と「そ(Sö)」から変化した「せ(Së)があったと考えたい。そうして、上代日本人が「き・し」「き・しか」「し・し」「し・しか」という音連接において、ある種の発音上の困難性を感じたとき、ごく限られてではあるが、禁止表現の「せ……そ」の構文において生きていた、古形の「来(こ)」「為(せ)」をその代替形として用いたのではなかろうか。
 カ行四段活用の語における「き・し」という音連接、サ行四段活用における「し・し」という音連接も、おそらく、カ変・サ変でのそれらに類する発音上の困難性をともなったと思われるが、これらにおいて、変則性が顕現しなかったのは、カ変・サ変にあった古形の「来(こ)」「為(せ)」に相当するものがなかったためと思う。
3・5 助動詞「き」の変則性の由来については、ほかにも考えられるであろうし、語源からの影響説についても、カ変では、「来(き)き」ばかりではなく、「来(こ)き」という形も見いだされていない以上無視することはできないが、音連接の忌避という現象が働いたであろうことは、以上の論述によって明らかになったと思う。

4 補説━━サ行四段活用已然形への接続について━━

  助動詞「き」の接続において、国語史上問題となるもうひとつの点は、中古末・院政期になって生じた、サ行四段活用の已然形に接続するという現象である〘注13〙。
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〘注13〙 この現象は、江戸時代の擬古文にしきりにあらわれ、本居春庭の『詞八衢』、東条義門の『指出の磯』等で論じられている。
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 ⑬我レ、殺[セシ]所実也。更二陳ズル所無シ(今昔・六・41)
 ⑭今汝ヲ召シツル事ハ汝ガ妻ノ愁へ申[セシ]ニ依也〘注14〙(今昔・二〇・16)
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 〘注14〙 流布本系の本文による。古本系では「殺セル」「申セル」。
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 ⑮ヒトタビ、飡食スルニミタビ、ハキイダ[セシ]ハ。(正法眼蔵
 ⑯太神念(いか)りおぼせし時、源の右大将軍と申[せし]人、(日蓮遺文・新尼御前御返事)
などはみな、四段活用の語であるから、「し・し」となるべきところなのであるが、「せ・し」となっている。
 これらは、すでにいわれているとおり〘注15〙「書写[せし]人」「読経[せし]かば」など、サ変動詞の接続形式への類推から生じたものと思われる。もっとも、このような類推による新たな変則を生みだした根源には、3の項で述べた音連接の忌避が働いていたかもしれない。
 この問題についても、発生の時期、使用者の層など論ずべき点は多いが〘注16〙、この点については、またの機会にゆずることにしたい。
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 〘注15〙 湯沢幸吉郎『文語文法小説版』右文書院、昭和34年11月など。 
 〘注16〙 この現象が多くみられるのは、『今昔物語集』、日蓮の遺文『汝石集』等、僧侶関係の資料に多い。
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🔷二つ目の画像のサ変の命令形が《セ(セ)》となっているが、これは《セ(ヨ)》の誤りか。

🔷3・1の《カ変については、「き・き」という形が見いだされない以上、積極的に比定する材料はないのであるが》の『比定する』は『否定する』の誤植か。