しこしこ書くブログ

特にテーマは決めずに書きます

終りのない始まり

北村太郎の年譜には「1952年8月、妻子、川崎の海で奇禍により死亡」とある。進駐軍ジープに撥ねられたと書かれたものを読んだような記憶もある。




★終りのない始まり

ぼくらはやがて冷たい闇に沈むだろう
さよなら、あまりに短いぼくらの夏の強い光りよ!  ボードレール


いま、何時?
   夢ばかり見つめていた黒い眼と、
   ぼくの髪をさぐった指の焼かれるときだ。

いま、何時?
   馬車の鈴ばかり聴いていた小さな耳と、
   葡萄のような乳房の焼かれるときだ。

いま、何時?
   冒険の林ばかり駆けていたほそい脚と、
   蜜を滴らした唇の焼かれるときだ。

いま、何時?
   犬ばかり追っていた冷たい鼻と、
   いい匂いのした頬の焼かれるときだ。

いま、何時?
   お互いに深く愛しあった八歳の
   男の子と、若い母の焼かれるときだ。

いま、何時?
   おお、夕ぐれの横浜子安火葬場、
   夏の光りが、生けるものたちの影を
   長々と敷石にうつす、午後六時!

骨をひろう人たちよ、
どうか、泣かないでください。
泣いて鉄の箸に挟んだ昭彦の骨を
落したりしないでください。まだ熱い
この子の骨を、ひとつでもコンクリートの床に落すと、
そのひびきが、ぼくの骨に伝わりそうです。
骨をひろう人たちよ、
どうか、泣かないでください。
泣いて錆びた箸に挟んだ和子の骨を
落したりしないでください。まだ赤い
和子の骨を、ひとつでも靴のうえに落すと、
その音が、ぼくの骨を折りそうです。
しずかな、しずかな、夏の
夕方の火葬場、光りが斜めに射す窓の
向うにある空は、沈黙して
ひろがっています。ああ、どうか
泣かないでください。死んだものたちの
影も、あの鰯雲のあたりで
おしゃべりをして、にこにこと
ほほえんでいるころかも知れません。どうか
泣かないで、骨を
ひろう人たちよ、泣いて昭彦と
和子の骨を落したりしないでください…

つちくれを一握り、ぱらぱらと
落す、これで終りだ、とパスカルはいいました。ぼくはシャヴェルで
二つの骨壺のうえに、しめった土を
落しました。微かな
音が、生の終りをつげました。たしかに
これで終りです。晩夏の昼の
しずかな郊外の墓地で、そのあと
墓掘人夫が思いきりよく、たくさんの
土をほうり込みました。さよなら、
和子と昭彦よ、さよなら。ぼくは
粗末な、新しい木の墓標のうえから、水を
かけました。和子よ、この水で
気持よく乳房をぬらしておくれ、昭彦よ、
この冷たい水を、ほそい咽喉をあけて
飲んでおくれ。たしかに
これで終りです。百舌が高い樹のうえから
生きのこったものの心臓を
裂きました。そよかぜがコスモスの
草むらをなでてゆきました。遠くから
電車の走る音がきこえます。たしかにこれで終りました。
何が? 生けるものと
生けるものとの関係が、です。そして
いま、この郊外の
晩夏の昼、もっとスイートな関係が、死せるものたちと
生けるものとの関係が、始まったのです。たしかに、それは、
スイートな、スイートな、終りのない始まりでした。

ウイスキーかジンを、ほんの
グラスに一杯、飲むと、すぐにぼくは
酔っぱらう。そして、すぐに
睡ってしまう。笑わないでおくれ、陽気な唄の一つも歌えないからといって。
ぼくははやく睡りたいのだ。だって
暗い夢のなかで、おまえたちに逢えるからね。笑わないでおくれ、冗談の
一つもいえないからといって。ぼくは
はやく睡りたいのだ。だって
夢のなかには、生のなかよりも充分の
死があるのだから。秋の
夜は寂しい。コオロギの声が、ぼくの
睫毛をくすぐるよ。だから
ぼくははやく睡りたいんだ。ウイスキーかジンを、
ほんのグラスに一杯飲むというわけなんだ。
そうすれば、揺れて光るアルコールの鏡のなかで見るよりも、はっきりと
おまえたちの微笑が見えるからね。昭彦の
栗鼠のような眼と、和子の
レモンのような頬が、闇のドアの向うにのぞくからね。
秋の
夜は長い。電灯の光りが壁にうつすのは、
生きているぼくのレントゲン写真だ。すぐに酔っぱらって
睡ってしまうからといって、笑わないでおくれ、ほんのグラスに
一杯でさ。